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[七朋会]で"青春に回帰"する

今日は、4年ぶりの[七朋会]を東大駒場で開催する。
[七朋会]は国立七大学応援団OB ・OGの同窓会だ。参加者数は約90名。首都圏に加え、九州や関西、名古屋からの参加者もいる。年齢は60歳代が多いが、各年代と幅広い。東大は現役の応援部員も5名参加する。
まだまだ同期会の延長から抜け出してはいないが、私たちの年代に続く若い世代が中心になって運営される[七朋会]に成長していってほしい。

90名の内訳は、国立七大学(北大・東北大・東大・名大・京大・阪大・九大)応援団(部) OB・OGの他、東京六大学からは慶應・早稲田・立教、関西六大学からは立命館の応援団(部) OBと、OUEN Japanの関係者だ。

ただ、飲んで、歌って、踊っての高歌放吟の2時間半だが、学生時代に戻って気持ちが若返るのだ。
そして、この会が、参加者それぞれが、これからの人生の後半戦を前向きに、明るく生きていく起点になってくれることを願うものだ。


[青春]
サミュエル・ウルマン

青春とは人生の或る期間を言うのではなく心の様相を言うのだ。

優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心、
こう言う様相を青春と言うのだ。

年を重ねただけで人は老いない。
理想を失う時に初めて老いがくる。


歳月は皮膚のしわを増すが、
情熱を失う時に精神はしぼむ。

苦悶や、狐疑、不安、恐怖、失望、
こう言うものこそ恰も長年月の如く人を老いさせ、精気ある魂をも芥に帰せしめてしまう。

年は七十であろうと十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か。

曰く「驚異への愛慕心」空にひらめく星晨、その輝きにも似たる事物や思想の対する欽迎、事に處する剛毅な挑戦、小児の如く求めて止まぬ探求心、人生への歓喜と興味。

人は信念と共に若く  
疑惑と共に老ゆる

人は自信と共に若く
恐怖と共に老ゆる

希望ある限り若く  
失望と共に老い朽ちる

大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、そして偉力と霊感を受ける限り、人の若さは失われない。

これらの霊感が絶え、悲歎の白雪が人の心の奥までも蔽いつくし、皮肉の厚氷がこれを固くとざすに至れば、この時にこそ人は全くに老いて神の憐れみを乞う他はなくなる。

『論語』為政篇
吾十有五にして学を志し、三十にして立ち、四十にして惑わず。五十にして天命を知り、六十にして耳順(したが)う。七十にして心の欲する所に従えども、矩(のり)を踰(こ)えず

15歳・・・志学
30歳・・・而立
40歳・・・不惑
50歳・・・知命
60歳・・・耳順
70歳・・・従心

私は、古来稀なる歳(70歳、古稀)を過ぎ、71歳になった。季節は、人生の"白秋"、実りの秋である。

古稀は、"心の欲するところに従えども矩を踰えることのない"、別名[従心]とも言われる。すなわち、古稀は、"人生を達観する歳"と言うことだ。
しかし、まだまだ凡人の私であるから、矩を踰えてしまうことが間々ある。

素直な心で、反省の日々を過ごすことによって、穏やかな心になって、これからの後半人生において、善行と利他行を積む努力精進を弛まなく継続することが何より大切だ。

"青春の志を忘れず"、しかし、"自らを客観的に見つめる"ことによって身に降りかかる事象に対し、"歳相応に対応する"ことだ。

無理はよそうぜ。身体に悪い。
無理をすると長続きしない。
"継続こそ力なり"

若者にはできなくて、私ならばできること、私しかできないことを、青春の志を持って"ネバーギブアップ精神"で果敢にチャレンジし続けることだ。
それぞれの得手を持ち寄って、目標に向かって邁進することだ。
"匹夫の勇"、"若気の至り"では、事を成すことはできない。"老齢だからこそできることをする"ことだ。

[七朋会]は、そんなことを自らに確認するイベントなのだ。
参加する皆さんたちも、それぞれの人生を考えるひと時になってほしいと思う。

不動院重陽博愛居士
(俗名  小林 博重)


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