見出し画像

人縁・地縁を大切にする

1月14日(火)。17日(金)まで3泊4日の石川県出張だ。
2時半に目覚め、事務所に出向く。ルーティンワークになっている早朝のblogを書いて、OUEN信念会の参加状況のチェックをする。正式申し込み(振込)が163名、参加意思をお聴きしている人が20名。東大応援部現役が18名。併せて201名。これにプラスαというところか。250名は想定していたが50名近く少ない。今回はこんなところか。

6時前に事務所を出る。東京駅の駅弁屋でいつもの鳥取のカニ飯とお茶を買って、新幹線北のりかえ口の待合室で黄さんを待つ。
まだ7時20分発の新幹線には1時間近く時間がある。早いのが私の習い性になっている。黄さんも7時前には待合室に着いた。いつも彼女も時間には余裕を持って来る。

7:20東京発敦賀行きのかがやき503号に乗る。停車駅は、上野~大宮~長野~富山~金沢。9:45金沢着。IRいしかわ鉄道・七尾線に乗り換える。IRいしかわ鉄道は金沢から津幡まで。津幡から先が七尾線だ。
9:53金沢発~11:14良川着。1時間21分の七尾線の旅だ。私が高校時代、月一の頻度で金沢と往復していたが、その時は1時間半以上はかかっていただろう。平成3年9月に電化したことによって少し早くなった。

道端弘子さん(鵜様道中保存会事務局長)が富山からいらっしゃる。
金沢で合流し、良川まで同乗する。道端さんは、富山~石動(とやまあいの風鉄道)と石動~津幡(IRいしかわ鉄道)と津幡~良川(JR七尾線)の3枚の切符を持っていらした。新幹線が通っている鉄道路線は第3セクターになって、それは各県に1社というので、3枚の切符だ。同じ石川県内でも、七尾線は新幹線が通っていないので、七尾線管内はIRいしかわ鉄道ではなくてJR七尾線なのだ。
道端さんは、70歳以上で割引を利用しようと思うとこうなるのだと。昔は1枚の切符だったものが、何とも面倒なことだ。少子高齢化と人口減少の日本社会の一つの現象だ。

良川駅から道の駅織姫なかのとへ。
ランチを摂っていたところ、たまゆらの畠山典子さんとばったり会った。畠山さんは、アイシングクッキーをつくっている。
彼女とは、これが初対面だったが、二人ともすぐにお互いを分かった。それぞれのホームページを見ていて、顔は分かっていたからだ。
畠山さんは岡山先生のご紹介で岡山先生と信念会に参加される。そんなことで、彼女は、OUENや私のアイシングクッキーをつくって、道端さんからそのクッキーを私に渡してもらおうと思っていらしたらしい。
道の駅で二人が偶然出逢ってお互い吃驚だった。人生とはそんなものだ。

私がいつも言っている、”類は友を呼ぶ”、”友だちの友だちは皆友だち”は真実だ。

OUEN信念会でも鵜様のアイシングクッキーをつくって販売してほしい。金沢のキャラクター”ひゃくまんさん”(だるま)もいいのではないか。

畠山さん創作のOUENアイシングクッキー

みおやの里(古民家)に泊まっているが、JRの駅から遠いし、町役場からも遠いということで、冬は雪風で時雨れることもあり、いずれも近い住処がいいのではないかと、道端さんが鵜宿の分家の鵜家さんをご紹介してくださった。
鵜家さんは「小林さんが町のために尽くしていらっしゃるなら、喜んでお貸ししましょう」ということで、わざわざ自宅がある関西から中能登に来てくださってお会いした。じっくりと2時間はお話ししたろうか。

「小林さん、何でまた、半世紀ぶりに能登に来て、中能登町を応援しようと思ったのですか」

「能登の地震があって、育ての親の祖父母のことが何度か夢に出てきました。『ぼう、能登に帰ってこい。お世話になった能登のために尽くせ。こんな時に尽くさないでいつ尽くすんだ。死んでからでは遅いぞ』と中能登の墓の祖父母が私を呼んでいる気がしたんです。
そして、私も次の世に旅立ぅた時には、東京と能登に分骨してもらおうと思っています。そして、祖父母と同じ墓に入りたいと思っています。そんなことで、昨年考えていた墓じまいは止めることにしました」
「鵜家家も小林家も、同じ長楽さん(長楽寺のこと、中能登町能登部下にある真言宗の寺、眉丈山の中腹に、祖父が先頭を切って建立した不動明王が鎮座ましましている)の門徒ですね。真言宗で骨は高野山と中能登に分骨するのですね」
「お母様の鵜家かおる先生は私が小学校3年生の時の担任の先生でした。穏やかな別嬪の先生でした」そんなことも話した。

人さまのご縁、地縁は大切にしていかなければんらない。それが人間のルーツであり、人縁・地縁があって今の私がある。
能登のために尽くす想いを強くした1日だった。

不動院重陽博愛居士
(俗名  小林 博重)

いいなと思ったら応援しよう!