自分のために、人のために、ふるさと能登のために、
3月から毎月、2泊3日で能登に帰っている。7月29〜30日は中能登町、31日は七尾市と金沢市を訪問し、7月の能登出張を終える。
中能登町のスケジュールを終えて、泊まった民宿美来里(びっくり)で夕食をご一緒した"あやーん"(LINEの名前)さんに図々しく声掛けして、話に花が咲いた。
彼女は民宿の従業員の方に能登の地図を見ながら、中能登から輪島までの道路事情について質問していた。
彼女の本拠地はどこかどこか、旅行か仕事か、私は興味を持ったので、私から話しかけたのだ。
彼女は、仙台から仮設住宅の内装の仕事で、31日から輪島市に入るのだとか。彼女が言うには、「東北大震災の仮設住宅は家族で入る間取りが多かったのだが、それに反して能登は単身用の間取りが多い」のだとか。被災地は被災地でも、東北と能登では大違いだ。
東北新幹線が通っている東北と、北陸新幹線から外れて盲腸のように日本列島にくっついている能登半島との差だ。
金沢から能登へ出ている七尾線の終点は和倉温泉(七尾市)まで。和倉温泉から先はのと鉄道(第三セクター)だが、それは穴水が終点だ。私が幼少の頃は、七尾線は穴水から別れて輪島と珠洲まで走っていた。
能登は過疎地でも過疎地の中の超過疎地だと思う。単身用の仮設住宅が多いのは年寄りの一人暮らしが多いからだろう。若者は仕事を求めて金沢に行ってしまい、仕事がない能登には帰っていかないということか。
奥能登は漁業が盛んだが、今その働き手は日本人ではなく東南アジアの技能実習生が圧倒的らしい。このままでは能登はどんどん寂れていく。このままいくと、能登の自治体は、消滅可能性自治体ではない。消滅は、明らかに不都合な真実になってしまう。
3月から毎月能登に帰っていて、7月でもう5回になる。8月も21〜23日に帰る。私が元気なうちは、これが私の生活スタイルになるだろう。東京と能登の2拠点居住だ。
3月に副団長と来る新幹線の車中で、私は彼女に、
「中能登町は何にもないところだ。能登の売りは海。輪島、珠洲、七尾、羽咋、能登金剛、輪島の朝市、見附島等々、全てが海に関係している。中能登町は能登の9市町のなかで唯一、海がない町だ。ただ一つ売りがあるとしたら消滅可能性自治体ではないのは能登で中能登町だけだと言うこと。何でそうなのかよく分からない。何にもないのに何が良くて消滅可能性自治体でないのだろう」
と、そんなことを話した。
「中能登町には何にもないんじゃない。隠された魅力がたくさんある。まだまだ潜在的魅力であり、それをアピールして顕在化させれば、もっと元気な町になる。能登の創再生のリードオフマンになる」
この5カ月でそのことを確信した。
能登は世界農業資産に指定されている。"能登の里山里海"、中能登町は里山が売りだ。里海は隣の七尾市も羽咋市もある。小さい自治体で突っ張っていてもしようがない。「皆んなで仲良く元気になろう。能登を元気にしよう」ということだ。
[OUEN Japan]のミッション
①中能登町の地方創生総合戦略の推進
②中能登地域の観光振興
③企業誘致の推進、地元企業の新たな事業展開
④人材の育成と人材の確保
等々
能登創再生の応援活動は終わりがない。
"ふるさとに錦を飾る"ということは、私が東京で成功して鼻高々と能登に帰ってくることではない。ふるさと能登のために、能登の創再生のために、私が天から与えられた私だけの得手を如何なく発揮して、多くの人たちに応援していただいて、ふるさと中能登で住み、働き、学ぶ人たちが自分ごととして、中能登を思い、愛する、人の輪が和になって、中能登町が日本の桃源郷になる。私はその応援団長になることだ。
そして、応援していただいたら応援して差し上げる。その好循環をつくることで皆んなが幸せになる。
第二生を生きて2年あまり。まだまだスタート台からスタートしたばかり。長丁場の能登創再生の応援だ。そのスタートは中能登町(拡げて中能登地域)から。
"犬も歩けば棒に当たる"という諺がある。私は、犬ならぬパンダでありドラえもんだ。現場を見て歩くこと、皆さんの声に耳を傾けること。それが、自分自身を知り、中能登町を知ることになる。
先を見る能力がなくても、地道にコツコツ誠実に、陽明学でいう知行合一の精神で生きていれば、必ず幸せの棒に当たる。因果応報、善因善果、悪因悪果は絶対真実だ。
素直に自分を客観視することだ。それができない人が如何に多いことか。突っ張ったり、偉ぶったり、見栄を張ったりして、本質を見ることをしないで、格好ばかりつけて生きている。そんなつまらない生き方はしたくない。
人のために尽くす、自分の器量の範囲でいいから、無理をしないで、自然体で、人のために尽くすことをし続ければ、人間は幸せになることができる。それが幸せへの最短距離だ。急がば回れ。
あと28年といわず、長生きして中能登のために、能登のために尽くそうと思う。それは、究極、日本のためである。
さあ、能登から日本を元気にしよう!
不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)、