棺を覆うまで、上り坂の人生を生きる
年賀状について、
元旦の午前は、OUEN信念会のご出席者をはじめとして、メールアドレスや携帯電話番号が分かっている方に向けて、ムビレタ年賀状を発信した。
午後は、いただいた年賀状の中で、午前に発信していなかった方に向けて同様な作業をした。
併せて、約500名強になった。
そして、年賀状をいただいた方でムビレタを送ることができなかった方には、昨日コンビニから買ってきた60枚の年賀状を今朝までに書き終えた。
追加があると思うが、ムビレタとリアルな年賀状を併せて、約600名の方々に年始のご挨拶をさせていただいた。
来年以降、ムビレタ年賀状の比率は一段と高まるだろう。
古稀を過ぎると、同年代以上の方からいただく年賀状には、"年賀状仕舞い"のコメントが書かれてあるものがチラホラある。還暦を迎えた人の中にも、さらには、50代の方で第二の職場に移られた方の中にも、これが最後の年賀状だと、"年賀状仕舞い"のコメントが書かれてあることは稀ではない。
人生の節目に、自らの人生を見つめ直す一つなのだろう。それはそれでよいと思うが、こと自分はと言えば、「そんな尻すぼみの人生は生きたくない。棺を覆うまで、上り坂の人生を歩いていきたい。走っていきたい、駆け抜けていきたい」と思うのだ。
だから、自らの体力・気力に合わせて、無理をすることなく、年始のご挨拶をすることで、張り合いのある前向きの人生を生きていくことができると思っている。[OUEN 信念会]を主催するのも同じ思いだ。
どちらかと言えば、OUEN信念会の方が"棺を覆うまで続ける"とはいかないだろう(集まってくれる人がいらっしゃるかどうか)が、できるだけ長く続けたいと思う。
年賀状仕舞いは、"私の人生はもうそろそろお終い"と言っているように聞こえて、完全に下り坂の人生になってしまう。悠々自適な人生を送るためと言うのだろうが、それであればムビレタのようなDXを駆使したらいい。自分ができなければ人にお願いすればいい(私の場合、多くの若者たちと付き合いがあるから、それが可能ということかも知れないが)。
勿論、若い時のような登り坂の人生というわけにはいかない。若い時は垂直登攀して高山の頂上を目指す生き方が幸せな人生と思ったが、歳を重ね、第二の人生を幸せに生きるには、急坂を登るのではなく、コツコツコツコツと"緩い上り坂を上っていく人生"が、前向きで幸せな人生なのではないかと、心から思うようになった。
忖度をすることもなく、ど厚かましく生きても嫌われることなく、愛嬌で勝負する"愛されキャラ"で通す。社会的に偉い、偉くない、などは関係なく、人間として如何に生きるかと言う"本質志向をする人生"がいい。
義理と人情のこの世界だ。「人生劇場]歌詞ではないが、"義理が廃ればこの世は闇だ"。しかし、義理に縛られて、人間としてあるまじき生き方をする人もいる。
やはり、人間愛があっての義理だ、人情だ。やはり、西郷さんの座右の銘である"敬天愛人"なのだ。本質を見失ってはいけない。
若い時は、社会的に偉くなりたいと思っていた。
小中学校の卒業式に歌った[仰げば尊し]の歌詞が目指す生き方だった。
身を立て、名を挙げ、やよ励めよ
また、末は博士か大臣か
とんでもない大臣がいる。中学生の時、テレビで吉田茂元総理の国葬を見て、内閣総理大臣になりたいと思った。
岸田総理は今は大変だ。勿論、"そんな大変なことは御免被る"との思いはあるが、「私が目指していた人生はそんなところではない」と言うのが、やせ我慢ではない本音のところだ。
やはり、無位無冠の西郷隆盛、"せごどん"のような大器、大人物が理想の目指す人間のあり方だと、私はそう思う。
西郷隆盛は人に愛されようと思って生きたわけではない。人はどうあるべきかと、人のために、世のためにと、いつもいつも考えて行動したから、多くの日本国民に愛されているのだ。
本質を忘れるな。
本質を追求して生きよ。
不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)