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在宅医療に飛び込んだ7年目医師の奮闘(当院医師インタビュー)
2024年7月におうちの診療所に加わった中島隆秀医師は、大学生時代に講義で在宅医療を知り、医学部を受験しました。将来的に在宅医になることを考え、離島医療やICU、救急、総合診療科などで学んできた中島医師が、実際に診療所で在宅医療に携わって感じたことを聞きました。
ー中島先生の経歴を教えてください。
幼少期は父の仕事の関係で海外にいたこともありますが、高校までは主に千葉県で育ちました。大学は北海道大学の理学部に入学。しかし、就職難で進路に悩む先輩たちを見て、将来に不安を抱きました。
そんなとき、他学部の講義をオムニバス形式で聞く機会があり、そこで初めて「在宅医療」を知りました。ちょうど15年くらい前のことです。先生が挙手制で「病院で死にたいか、自宅で死にたいか」と問いかけました。講義に参加していた約120人のうち、「病院で死にたい」と手を挙げたのは2人くらい。ほとんどの人は「自宅で死にたい」と希望しました。でも、先生は「実際の死に場所は逆転していて、90%くらいの人は病院で亡くなっています。自宅で死ぬという希望を叶えられるのは、前列に座っている12人くらいということです」と続けました。そこで人生の終末期にその人が思い描く過ごし方を可能な限り叶える姿に感動し、在宅医療は必要になるし、この先必ず広がっていくというお話を聞いて、興味を持ちました。
生物などが好きだったこともあり理学部に進みましたが、実際に相手にするのは遺伝子など目に見えないものばかりです。講義で在宅療養中の患者さんがご家族に囲まれている写真などを見て「いいな」と思ったこともあり、理学部を休学して医学部を受験。琉球大学医学部に入学しました。
ー医学部入学前から在宅医療に興味があったんですね。学生時代も在宅医療に関する情報収集をされていたんでしょうか。
1年生のときは沖縄県の在宅医療診療所を見たり、「ドクターゴン」こと泰川恵吾先生の書籍を読んで鎌倉の診療所を見学したりしました。2年生のときには東日本大震災が起きたこともあり、石巻赤十字病院や、石巻市で在宅医療を提供している祐ホームクリニック 石巻を見学しました。
あと、琉球大学では優秀な方は沖縄県立中部病院に就職して、離島医療にも携わるというのが王道コースだったので、へき地医療にも憧れるようになり、こちらもいろいろ見学しました。
ー離島医療と在宅医療は少ない医療資源で診療を行うという点で近いイメージがあったのですが、全然違うものなのでしょうか。
離島医療というと、テレビドラマにもなった「Dr.コトー診療所」みたいな感じで、ゆっくり流れる島の時間の中で医療を提供する、といったイメージがあると思うのですが、離島でも大きい島だと人口が200~300人になります。住民100~200人に対し医師が1人いる状態が適切といわれたりしますので、300人に1人だと住民の割合が大きく、朝から晩まで外来診療に明け暮れることになります。
一方、離島医療の面白さは、何でもできるところです。将来的には在宅医療に携わりたいと思ってはいましたが、40歳代後半くらいかなと思っていたので、ジェネラリストになっておきたいと思っていました。そのトレーニングとして、とても良い環境でした。
この頃、へき地診療を通して「医療政策に課題があるのではないか」とも考え、厚生労働省医系技官セミナーに参加。このセミナーで当時高知県庁の医系技官だった伴正海先生(現・おうちの診療所)に出会い、高知に見学に来ないかと誘っていただきました。以降、毎年のように高知県に行き、地域医療構想の検討会の見学などを通して今後の医療の方向性を学ばせていただきました。
ー在宅医療、離島医療に加えて、医療政策にも興味があったんですね。医学部卒業後はどんな進路を選ばれたのでしょうか。
初期研修を沖縄県内で行ったあと、へき地医療を理解するためにGENEPROに参加して、長崎県五島列島の新上五島町で総合内科として働きました。GENEPROとは、ジェネラリストとして必要なスキルを離島・へき地にある提携病院で習得する15カ月のプログラムです。WONCA(世界家庭医機構)の教育プログラムに感銘を受けた斎藤学先生が、その教育システムを日本に導入して作られました。主な対象は後期研修後くらいの医師なので、医師3年目で参加した私は参加年次としてかなり早めで、苦労はしました。重症な方の場合、本土に搬送することになりますが、搬送までは命をつながなくてはいけません。間質性肺炎の人の挿管管理や、ヘビ咬傷で腕がパンパンになっている人の治療をどこまで離島で粘るかなど、ボロボロになりながら実践しました。
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ここで特に重症管理の実力不足を実感し、次の進路は名古屋掖済会病院の救急科としました。集中治療を学びたいと思っていたので、サブスペシャルティ領域専門医であった集中治療を選ぶためにも救急科専門医を目指すことに。医師5年目は、集中治療を学ぶべく東京ベイ・浦安市川医療センターのICUに3カ月勤務し、さらにへき地に戻ることを見据えて京都の洛和会丸太町病院総合診療科に勤務。7年目に救急科専門医の要件を満たしたため退職しました。
ー集中治療を学ぶために救急科専門医を取得されたんですね。ICUや救急では特にどんなことを学ばれたのですか?
東京ベイでは、ICUにおけるアドバンス・ケア・プランニング(ACP)に取り組まれている則末泰博先生から多くのことを学びました。ACPは、かかりつけ医としっかり関係性をつくってやっていくのが理想ではありますが、実際の外来診療は待ち時間も長く、開業医の先生たちにゆっくりお話するような余裕はありません。病状が悪くなれば、病院に送るしかないというケースがほとんどです。ICUやERでは、現実的に「どこまで治療するか」の判断が必要になります。血圧が60mmHgだったとして、ICUで積極的に治療するのか、内科病棟に上げて穏やかにお看取りの方向とするのか、それは医学的妥当性よりもご本人の希望によるところが大きくなります。
米国で学んで来られた則末先生が東京ベイで普及させていたACPは、医師が意思決定するのではなく、意思決定を「支援」するシェアード・ディシジョン・メイキング(SDM)の実践でした。家族からの希望の引き出し方など、「離島医療していた頃にできていれば良かったな」と感じました。その後名古屋掖済会病院に勤務したときも、則末先生から学んだことを実践してみたら看護師さんたちからとても感謝されました。救急科専門医でもない、たかだか医師5年目の自分が、病棟やICUの看護師さんの役に立つことができて、うれしかったです。
ー急性期でのACPというのは、実際どのようなことをするのでしょうか?
一番大事なのは、会話の中で聞いていくことでした。「してほしくないことは何ですか?」「人工呼吸器はどうですか?」「胃瘻はどうですか?」と聞くのではなく、家族構成のことから聞き始めて、次に生い立ちを聞いて…と、限られた時間の中で、意思決定にかかわりそうな事柄を聞いていきます。そのなかで、例えば「食べることが好き」という話が出てきたら、「食事ができなくなるのってどう思います?」と切り出してみます。「食べられないのはいやだな」となれば、「胃瘻をつけると基本的には食事ができなくなるんです」とお伝えすると「胃瘻はつけたくないかもな」となるような具合です。
則末先生がおっしゃっていたのは、スパイスカレー屋さんをやっているとして、お客さんは「このスパイスはどれくらい入れますか?」「こちらのスパイスはどうします?」と言われてもよく分からないけど、「普段はどんなカレーがお好きですか?」「チキンカレーとシーフードカレーだったらどちらがお好きですか?」といった質問なら答えられるし、好みを聞いた上であれば「甘い方がいいならバターチキンカレーがお勧めです」といったようにお店側も意思決定をお手伝いできる、ということです。じっくりやると30分ほどかかりますが、ACPのやり方が分からなければ意思決定に数日かかってしまうこともあり、そういう意味では時間短縮にもなっていました。そしてこれは医師が最初にすべて聞き取らなくてはならないものではなく、聞き取れなかった部分はICUや病棟の看護師さんなど、みんなで埋めていくこともできます。
ー救急科専門医の要件を満たしたあとはどのような進路を選ばれたのでしょうか。
GENEPROのつながりで、2024年4月から塩田病院(千葉県勝浦市)で総合診療医として勤務しました。5~6月にオーストラリアへき地医療学会(ACRRM)のサポートでオーストラリアのへき地病院を見学。7月におうちの診療所に入職しました。
塩田病院にはGENEPROの1期生の先生がいるので、学んだことをどう生かされているのか、実践されているのかを見てみたいなと思ってうかがいました。オーストラリアに行く準備兼GENEPROの総括をしていただき、京都で学んだことも生かせたし、とても良い時間を過ごさせていただきました。
オーストラリアは、日本では日本の医療制度の中でできること、基本的には診療報酬が設定されていることしかできないから、国外からまっさらな気持ちで見てみたいなと思い、行きました。
ー実際に、日本とオーストラリアのへき地医療はどんな点が違いましたか?
まず、医療者側の考え方が違いました。日本のへき地医療というのは、医師が頑張る、自己犠牲な雰囲気があると思います。実際長崎で勤務している先生方も、ほとんどが自治医大出身の方で、「昼夜を問わず患者のために生きる姿が美しい」という感じでした。給与も高いのですが、自分の患者のことは夜中でも電話が鳴るし、患者のためにという志がすごく高いし、自己研鑽も欠かしません。その姿勢を生きがいとされている方もいましたが、義務年限内の苦行ととらえている方もいるなと思っていました。
オーストラリアでは、みんな生き生きと働いていました。へき地で働くと、給与は都市部の2倍以上。「豊かな自然が楽しめるし、グループ診療でオンオフはっきりした働き方ができて最高!」という声を多く聞きました。キャリアとしても、総合診療の楽しさを感じている人が多かったです。精神疾患も不妊治療も、いわゆるLGBTQ+の診療も、すべて担当します。これは、ガイドラインがしっかりあって、バックアップ体制もしっかりしているからできることだと思いました。
ーオーストラリアから帰国されてからおうちの診療所で働き始めますが、きっかけは何でしたか?
先にお話したとおり、学生時代に伴先生にお世話になって、医療制度や今後の日本の医療について教えてもらっていたときが一番楽しかったんです。自分としては在宅医療に携わるのは少し早いかなと思ったのですが、その伴先生がおうちの診療所に誘ってくれたので、入職を決めました。
特に、厚労省医系技官出身の伴先生や石井先生が「在宅医療の良いモデル」をつくろうとしているところに、他院にはない魅力を感じました。診療所の目標としてシンプルで分かりやすいのは患者数を増やすことだと思いますが、どんどん営業して集患してスタッフ増やして短時間診療をして、というのがいいとは思いません。おうちの診療所が確立しようとしている客観的な質の指標「QI-8」(関連記事)にも興味を持ちました。基準があると、目標にしやすくていいなと思います。
ー実際おうちの診療所に入職して、どんな印象ですか?
「医療」以外にも必要なことをしているのがおうちの診療所の特徴かなと思っています。病院にお話しに行くと、ACPを啓発するボードゲーム「エンディングゲーム」(関連記事)や、役所でのイベントでおうちの診療所を知ってくれている方が多く、様々なスタッフがそれぞれ自由に活動している成果を感じました。現代の様々な問題は、医師と看護師だけでは解決できないことが多く、問題意識を持っていない段階から一般の方に様々な啓発活動をしていくのが重要だと思います。経営だけに目を向けると、目の前の患者さんのことだけでいっぱいいっぱいになってしまうと思うのですが、様々なスタッフが自律的に動く組織となっていて、素晴らしいと思っています。診療以外のところでも地域とつながって、医療全体の底上げができている感覚があります。
ー在宅医療で診療に携わってみて、どう感じましたか?
長崎県でも在宅医療はやっていたのですが、病院から出ている訪問診療だったので、「自宅にいられなければ自分が主治医になって入院してもらえばいいや」という感覚でした。
在宅診療所は初めてです。血液検査の結果が出るのはどんなに早くても翌朝ですし、病院なら使えるけれど在宅診療所では使えない医療機器があったりして、できる範囲でどう工夫するかを考えなければなりません。「次、どうすればいいかな」を常に考えながら動いています。
「在宅環境ではできないから病院へ」というのは一番簡単ではありますが、家族や本人が望まないときにいかに自宅でできるようにするか、その工夫も臨床の延長線上にあるなと思います。そういうときもSDMの考え方は生きています。医学的に正しいかどうかよりも、患者本人がどうしたいかをしっかり聞き取ります。家族にただ選択肢を示して選ばせるのではなく、患者の希望を叶えるために、医学的な知識をもとに「本人の希望からはこれがお勧めです」と提案したいと思っています。提案がぴったりハマったとき、最終的に感謝されると、すごくやりがいを感じます。
ー初めての在宅診療所で、困っていることや悩ましい点はどんなことですか?
訪問診療周辺の制度を全然把握しきれていないように思います。医療以外の難しい事情がある患者さんにお会いし、他の人に相談するたびに初めて知る制度や仕組みがあり、「自分が知らない、もっといい解決策があるのではないか」と思ってしまうことがあります。医師がどんなに腕を磨いても、処方した薬を届ける人、飲ませる人、お金の出どころを確認する人、見守る人、本人の生活をサポートする人など、療養環境が整わなければ何もできません。病院で診療する以上に無力感があります。一般的に、医師が提供できるのは診断、検査、薬の処方などになりますが、在宅医はアセスメントプランや制度の処方にも長けていないと機能しないと思いました。
ー在宅診療所は初めてである一方で、診療における中島先生の強みはどこでしょうか?
救急と集中治療は一通り経験したため、急性期治療はほぼ何でも対応できる自信があります。離島勤務時と名古屋の救急科では総合診療のように患者も受け持っていたため、急性期から慢性期管理も問題なく診られると思っています。幼少期は海外にいたため、英語診療も問題ありません。
ーその他、意外だったことはありますか?
今までは急性期の医療機関にいたため、終末期の話をすると精神的に落ち込んだり、悲しむ患者さんやご家族が多かったです。救急車で搬送されてきた90歳代の患者さんご家族と、どこまで治療するかを話そうとしたら「そんなこと考えたことない」と言われたりもしました。今元気な親がいつか亡くなることなんて考えたことがないのが普通だし、ただでさえ救急搬送でパニックになっているのに、いきなり厳しい話をされたと怒ったり、クレームにつながることもありました。
でも、在宅医療の場合は移行する時点で7割くらいの方が人生の終わりを見据えている印象で、人生の最期の話ができます。あるとき、「厳しい話をすると落ち込む」と事前情報をもらっていた患者さんに、日常会話の延長で40分ほどかけてじっくり話をして希望や理想を聞いてみると、最終的に「先生にここまで話せて良かった。なんだかスッキリした」とすごく感謝されました。そんな患者さんが何人もいて、「終末期の話で感謝してもらえるんだ」と意外に思いつつも、うれしかったです。
ー最後に、プライベートについて少し教えてください。
趣味は旅行、サウナ、料理です。最近はフルマラソンに向けてトレーニングしていました。昔は一人でフットワーク軽く移動して自分の知らない事を学んだり食べることが好きだったのですが、ある時から一緒に感動を共有する人がいないと虚しいなと感じ始めたので、今は家族を大事にしています。休日は、だいたい朝5時に起きてマラソンで遠征し、サウナで汗を流して昼に妻と合流。一緒にランチをして、カフェで勉強して一緒に夕食の買い出しをして晩酌をする、というのがルーティンになっています。
実は、子どもが生まれたら数年仕事を辞めるもしくは非常勤で家庭を優先してみたいと思っています。本気で子育てに向き合ってみたいです。子どもが小学生のうちに家族でキャンピングカーで日本一周し、日本の中でも様々な地域の特色や多様性があることを伝えたいなと思っています。
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