主人公になりたがるみてみてちゃん
いつも「注目の的」でいたいと思う人がいます。
注目から外れていくと途端に不安が襲い、落ち込んでしまうのです。
そんな人をここでは「みてみてちゃん」と呼びたいと思います。
みてみてちゃんとは、誰の中にもある性格の一側面です。
ただ、行き過ぎてしまうと「困ったさん」に変化していくし、ほどほどであれば魅力を放つ才能になるという面白い特徴を持ちます。
あまりにも極端に行き過ぎてしまい、自他ともに困ってしまう場合は「演技性パーソナリティー(DSM -Ⅴ)」の診断がつきます。でもここでは、魅力の部分を生かすための方策について考えてみたいと思います。
華やかな外見の裏にあるもの
みてみてちゃんには、その程度に濃淡があります。
外見を磨いて「みてみて」と願うのか、それとも中身の伴った魅力を武器に注目を集めることを目指すのか。当然中身が伴った魅力を目指せば、敬意の込められた関心が集まりますが、そうではない場合、周囲を巻き込む、ちょっと厄介な人になることも多く、大変もったいない結果を招いてしまいます。
中身はどうでもいい。
それよりも、周囲の眼差しが自分に向いていることが大事…となれば、常に注目の的でいたいと思うことが最優先されるわけですから、嘘をついてでもも眼差しを引き付けておきたいと願うようになります。嘘に嘘を塗り固めていくうちに、周囲の人はすっかり作り話に巻き込まれていきます。つまり、ちょっとわざとらしい、演技っぽい振る舞いでありながらも、あまりに堂々と演じ切るので、周りの人はすっかり欺かれてしまうというわけです。
不安定さがもっと強くなると、注目を求める傾向も強くなります。
場合によっては手段を選ばずなんでもするようになります。自分を蔑まれてもいいし、また犯罪ギリギリのことも平気になる。自分の虚言で誰かが傷ついても、良心の呵責は起こりません。「申し訳ない」と口にしたところで、罪悪感で心が痛むのはほんのわずかな時間だけ。むしろ、うまく切り抜けられたと安堵して、後ろを向いてペロッと舌を出すようなしたたかさを持ちます。
「わがまま」のレッテルは意味がない
これでは人と強い信頼関係は築けません。
相手の心の痛みや気持ちに共感することには興味がなく、いかに自分に関心を引き付け、驚かせ、どんな理由であろうと「魅了させた」という感覚に酔いしれるわけですから、自然と人は離れ、蔑まれてしまう。ちょっと痛くて悲しい顛末が訪れることになるのです。
みてみてちゃんの目的は、とにかく周囲の注目や関心を集めること。
関心が他に逸れてしまうと、途端に不機嫌になり、素っ気ない態度をあからさまに取るようになります。周りは、そんなわがままな姿に注意を払い、機嫌を伺い、気分を損ねないように調子を合わせようと、気を遣うようになります。これが大人同士の関係の中であるならまだいいのですが、子育ての中となると、子どもは親の気まぐれに振り回されていきます。
なぜ、そこまで執拗に関心をかき集めようとするのでしょう。
それは、無条件の愛情で包まれる経験がなかったことに由来します。
満たされるまで求める「注目追求欲求」
みてみてちゃんが何を学習してきたか、生い立ちをひも解くと、カラクリが少しずつ解けていくかもしれません。共通しているのは、たっぷりの愛情と関心で満たされたという実感が乏しいため、常に愛情の飢餓感を抱えていて、どうすれば周囲の視線を自分に集められるかということに、つい固着してしまう心の軌跡がみられることです。その結果、生み出された「適応戦略」が、真実か嘘かの垣根を取っ払い、ただ周囲を驚かせることで応急的な満足を得ることにつながっていくのです。
子どもは、生まれてから数年の間に「なんて愛おしい」「あなたは素敵だ」と惚れ込まれる体験を積む必要があります。なぜなら「自分は歓迎されている」「自分には価値がある」と心の奥底に刻み込むことで、将来出会すことになるであろう困難にも潰れず、乗り越えていくための心の土台を作ることになるからです。
万が一、そこが満たされなければ、ずっと不確かな自分を抱えて成長することになります。人によっては「こっちを向いて」「なんでもいいから、とにかく私を見て」と、生涯かけて注目をかき集めることに躍起になるということが起こります。
すべては生き延びのため。
心の働きとは、なんと不思議な現象をもたらすものだと驚かされます。ただ、そんな心の動きがあったとしても、必ずしも本人が望んでいたものが手に入るわけではありません。平穏な心を掴めるとも限らず、反対に周囲から蔑まれたり、孤立してしまうことで、さらなる悪循環を生むこともあるわけで、そんなことを考えると、なんともやるせない悲しい気持ちになります。
内省できる時が変化の時
こだわるのは、満たされていないから。
満たされれば、こだわりは消え、行き過ぎた行動にブレーキがかかり、本来の魅力を発揮することになるのかもしれません。
だとすると、みてみてちゃんの魅力はなんだろう。
恐らく、ピンとくる抜群なセンスを持ちながら、人前で堂々とできることではないでしょうか。
たくさんのスポットライトを浴びても、動じずにいられるのは才能です。
その力を価値あるものに変えていくことができたら素敵なのに、と思います。
そのためには、いくつか乗り越えていかなければならないことがあります。
その一つが「自分と向き合う」こと。
外見や、人の気持ちに目が奪われてしまい、自分の内面を掘り下げていくことをおろそかにしがちなみてみてちゃん。小さい頃から、周囲を笑わせたり、愛されるキャラを演じることで自分を保ってきたので、ついつい外に刺激を求めてしまうのです。
外にばかり目を奪われている間は、自分と向き合う必要はなくなります。
そのまま幾つ年齢を重ねても、心の中は深まらず、薄っぺらいままに留まってしまう。だから「自分と向き合う」ことは、中身の伴った重みある魅力へと誘ってくれる特効薬になるのです。では、自分と向き合うためにはどんな方法があるでしょう。
◉一人の時間を楽しむ。
◉日記を書く。
◉本を読んで深く内省する。
◉一人で映画を観て心に感じたことを書き出してみる。
◉植物を大切にして大きく育ててみる。などなど
また、哲学や心理学、精神医学など、深い話ができる少人数の人と深くつながる場を持つのもいいですね。最近ではオンラインサロン でいろんな場が用意されていますので、参加してみることをお勧めします。
豊かな内面性を持つ人たちとの交流は、きっと深い輝きを作り出してくれることでしょう。
要は、内省を深めることに、もっと貪欲になればいいのです。
そうすれば、内面の深さを兼ね備えた、輝きのある人にきっとなれるはずです。
大胆さと慎み深さ。相反する二つを使い分け、生かせる人はそうそういません。
それには、華やかさの対極にあるものを、丁寧に丁寧に磨いていくこと。そうすることで、本当の満足が手に入ることでしょう。
鶯千恭子(おうち きょうこ)