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心に安らぎを与えてくれる本をじっくり読む日

私の母は、宗教を持っていませんでした。
ただ、自然を愛し、庭の草花を可愛がり、祈ることを大切にしてきた人でした。

母の口癖は「生きている時が大事よ」でした。
「かき集めたものは、あの世には何にも持っていけないの」
「お金も名声も権力もね」
「それよりも、どれほど人にしてあげられたかなのよ」
「困った時は遠慮なく言いなさい」
「まだ役に立てることが嬉しいから」
その言葉に甘え、子育ての大変な時には、ずいぶんと支えてもらいました。

そんな母を襲った一番の苦しみは、息子である私の兄の死でした。
兄は急性間質性肺炎という病に侵され、44歳という若さで呆気なくこの世を去りました。
その時の母の苦しみは計り知れないものでした。
ちょうど私が、仕事と子育てで毎日が目がまわるほど忙しい日々を送っていた頃のこと。母は度々手伝いに来てくれていましたが、子どもたちが寝静まってから夜更まで、リビングでよく兄の話をしました。そして、肩を震わせて泣く母をよく慰めたものです。

息子に先立たれ、悲しみに暮れる母。
宗教を持たない母を救ったのは、生命科学者の柳澤桂子さんの本でした。

柳澤桂子さんは、40年以上の時間を病床で苦しんできた方です。
原因不明の難病によって研究者としての道を閉ざされ、激しい痛みと理解されない苦しみの中から、尊厳死を覚悟した経験をお持ちで、言葉の一つ一つがとても深い優しさに包まれています。

柳澤さんの本を読んだ母がよく口にしていたのは「地球上のものは全て原子で出来ているんですって」「原子という視点で見れば、人間も目に見えるもの全てが原子の濃淡でしかないそうよ」「たとえ死んでも、原子が地面に浸み入って、川から海へ流れ出て、そして、巡り巡って、また新しい命になるんだそうよ」という言葉でした。

恐らく母は、兄の死を「失った」と捉えるのではなく、自然の中で再び巡って新しい生命として蘇っていくものだ、と捉えたのだと思います。
そして、兄は遠くに旅立ってしまったのではなく、いつも「共にいる」という感覚になったのだと思うのです。
柳澤さんの本に出会ってからの母は、少しずつ明るさを取り戻していきました。
そして、これまで以上に兄の写真を眺め、手を合わせ、祈ることを大切にしているようでした。

以来、私も柳澤桂子さんの書かれた本や文章を目にするようになりました。そして、素敵な言葉に触れ、今も時々元気をいただいています。

中でも私が好きなのは「人は苦しみ抜いた時に、必ず道が開かれる瞬間がある」という言葉です。
柳澤さん自身は、今毎日が幸せに満ちているとおっしゃいます。
それは苦しみの際まで行ったからだと。柳澤さん曰く「幸せとは、苦しみの極限で得られるものだ」というのです。

苦しんで、苦しんで、苦しみ抜いた時に、ぱっと道が開かれる瞬間が必ずくる。
その時に、無限大だった苦しみが、無限小になる。
それは、人生の半分を苦しみの中で生きてきた自分だから、自信を持って言えるのだと。どんな苦しみにも、必ず光があたる時が来るので、どうか恐れないでほしいとくり返しおっしゃっています。

4月もいよいよ終わりに近づく頃。
新年度がスタートし、誰もが疲れが出てくる時期です。
来週から連休が始まりますが、時には『心に安らぎを与える本をじっくり読む日』を作るというのも、いいかもしれませんね。

鶯千恭子(おうち きょうこ)

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