親密な関係を避ける回避型の人
親密な関係に、心地よさを感じない人がいるということを知っておくことは、家族をつくっていく上では、とても大切なことのように思う。
特に親密な関係を欲する人にとって、自分とは違う感じ方をする人がいることを知っておかないと、のちのちいろんなことでストレスを抱えることになるからだ。
結婚当初は、真面目で、誠実そうに見えたので、これならきっと二人でいろんな困難を乗り越えていけるだろうと思っていたけれど、当てが外れていたことを思い知らされるような出来事が次々と起こるのだ。
子どもの心配事を相談しても、面倒臭そうな態度で聞こうとしない。
ところが、自分の仕事の話は身を乗り出して話し始める。
休日も仕事だといって留守が増えるようになる。
家事育児の何か一つでもいいので、役割を持って欲しいとお願いしても、仕事が優先だから約束できないと、体よく断られる。
次の休日の予定を話しかけても、素っ気なく「わからない」と話を遮る。
実家のことを相談しても、うんざりした態度で心ここにあらずという態度になる。
次第に不安に駆られることが増え、その理由をあれこれ考え始める。
自分がおかしいのか?
なぜ無関心でいられるのか?
この人は、家族を持ったという意識はあるのだろうか?
自分の関わり方に問題があるのではないか?
いろいろと考えながら関わるうちに、次第にこんがらがったものが紐解けてくるのだ。
この人は、自分の興味のあることには関心を示すんだ。
家族として、責任や役割を負わされることが嫌なんだ。
人の気持ちに関心がないんだ。
とにかく厄介なことが嫌なんだ。
自由が好きで、依存もしないし、依存されたくもない。
人間との関わりは表面的で超ドライ。
このままではさすがにまずいと思い、話し合おうと持ちかけるが、「自分は問題を感じない」「そんなことはない」と話が深まっていかず、このままでははよくないとは思わないか尋ね、気持ちを聞いても「わからない」と言われる。
発達障害があるのでは?と思い、調べてみるが、仕事では一定の成果を出している。
仕事仲間ともうまくやれている。
多少の発達の凸凹はあるにしても、問題の本質はそこではない。
どうも親密な関係が築けないことにあるようだ。
と気づくことになる。
そう。これは、回避型の人の特徴。
原因は育ちの中にある。
発達障害の特徴に似ているけれど、そうではない。
愛着のカタチに端を発するものなのだ。
子どもが乳幼児の頃に形成される「愛着」については、知っている方も多いだろう。
親しい人との関係の中で築く、情緒的な絆のことで、幼少期に形作られたこの愛着の土台が、のちの人生において、特に対人関係や社会生活の至るところに影響を及ぼすといわれているものだ。
つまり、回避型の人は、親密な関係に対して、心地よさよりも不快感を感じることの方が大きい体験を積んでいるのだ。
極端な言い方をすれば、信じるものは、人ではなく「自分」。
人との情緒的な交流に心地よさはなく、距離をおいていた方が安全だという判断軸を幼い頃から築いてきたのだ。
親子の関わりは、とても希薄だったか、反対に、感情的で侵入的だったか。
いずれにせよ、親密さに対して、心地よさの体験が極端に乏しいのだ。
このカラクリがわかるだけでも、いたずらに自分を責めたり、相手を非難することだけに終始することは避けられる。
しかもそれだけではない。
親密な関係に心地よさを感じないという学習を重ねたことが要因なら、親密な関係が安心をもたらす新たな学習を上書きすればいいのだ。知識は身を守るだけでなく、家族を守ることにもなる。
小難しい専門知識を、もっと平易に、もっとわかりやすく届けたい。
そして、もっと建設的に家族をつくっていくお手伝いができたらと思うのだ。
鶯千恭子(おうち きょうこ)