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「幼いなあ」と感じさせる大人
「なんだかこの人って、随分幼いなあ」と感じる人がいた場合、心の中を知りたくなりますよね。どんな心のつくられ方をしているのかが気になります。
今回は「幼さ」の一側面を紐解いてみたいと思います。
ある日の出来事
先日、行きつけのスタバでこんな事がありました。
ちょうど店内は満席。
席が空くのを待っているお客さんもいました。
そんな中、ハンカチと本と飲みかけのコーヒーを置いたまま、席を外していた人がいたのです。
巡回していた店員さんが、1時間以上も戻って来ないことに気づき、荷物を片付けて、席が空くのを待っていたお客さんのために席を空けたのです。
しばらくして、荷物を置きっぱなしにしていた男性が戻ってきました。
すると、自分の席には別の人が座っていて、荷物が片付けられていることに気づきました。
その男性はすぐに店員さんに声をかけ、そこから押し問答が1時間以上続くことになったのです。
「大変申し訳ございません、ただ、お席を取ったままの状態で、1時間以上も不在になられるのは、他のお客様にもご迷惑なので、お荷物は預からせていただきました」と丁寧に事情を話す店員さん。
それに対して、納得がいかないと食い下がる30代くらいの若い男性。
男性の態度に困り果て「お買い上げいただいたお飲み物の代金は、お戻しすればよろしいでしょうか?」という店員さん。
ところが「お金の問題ではない」と食い下がる男性。
1時間以上続いている問答に、ある意味、とても興味を引かれました。
自分の非を認める難しさ
この男性は、何を求めていたのか。
プライドが傷つけられたことへの怒りを、気が済むまで発散したかったのか。
店員さんに、対応が間違っていたと、謝罪させたかったのか。
見た感じでは、真面目そうな男性だけれど、やりとりの一部始終を見る限り、幼さが際立っていることは明らかでした。
自分の非を認めることは、いくつになっても、嫌なことです。
社会的に立派な立場にいる人でも、自分に都合の悪いことは認めたくないものです。でも、窮地に立たされた時こそ、心の成熟度が試される場面でもあるのです。
心が成熟に向かう過程は、子どもの心の発達と深い関係があります。大人の心の成熟度を理解する場合、そのことを照らし合わせながら、解説してみたいと思います。
「いいママ」と「悪いママ」がいる段階
通常、赤ちゃんは、自分の思う通りにいかない不快な状況に対して、その非は相手(母親)にあると、怒りと攻撃をあらわにして、激しく泣き叫びます。
「欲求を満たしてくれないのは悪いやつだ!」
と捉えるのです。しかも、それが、さっきまで満たしてくれていた同じ存在である相手だということなど、すっかり頭になくなってしまうのです。
この段階で、心の成長が止まってしまった大人の場合も、同様の捉え方をします。
自分の振る舞いを振り返る事が出来ず、また、相手の立場に立ち、気持ちを想像する事が出来ず、自分はずっと変わらないのに相手が「変わってしまった」とか「裏切った」とか、とにかく「別人になった」と捉える「分裂」を起こすのが特徴です。
一人の独立したママに気づく段階
ところが、ここで留まらず、心が成長していくためには、「ひどいことをしてしまったな」「申し訳なかった」という、罪の意識を感じ、後悔や悲しみに浸る段階を経る必要があります。
子どもであれば、叱られてしょんぼりする体験です。
いつも大好きな「いいママ」なのに、でも、時々叱る「悪いママ」になるのは、自分がいけないことをしたからなんだ。
悲しませるようなことをした自分が悪いんだと、自分を振り返ることができる段階に入る体験は、欠かせないのです。
ただし重要なポイントがあって、たっぷり「いいママ」と触れ合う事が前提となります。大切に思ってもらえてると実感する。でも、それだけではダメで、必要な時には、厳しく叱ってくれる「悪いママ」に触れることも必要なのです。
その過程を経ることで、更に「自分の罪を償いたい」「傷つけてしまった相手の心の痛みを癒したい」という気持ちを引き起こすことになるのです。
ところが、同時に「癒せるだろうか」「痛みを取り除けるだろうか」と、不安を呼び覚ますことになる。つまり、葛藤を抱える事が、大人に向かう条件になるのです。更に、痛みを修復する力、償う能力が、自分にどれくらい備わっているかを見極めて、足りないところは誰かに助けてもらうことも必要なんだと理解し、時には人に頼ることも必要なんだと、助けを求めることを覚えていくことも、成熟した大人になるための必須事項となるのです。
そうやって「二度と相手を悲しませないようにしよう」と考えて、行動することを覚えていく。これが「思いやり」や「気配り」の源泉になるのです。
つまり、「罪悪感」や「償い」の気持ちから、「思いやり」や「気配り」の気持ちは生まれるのです。
問題は希望でもある
そう考えると、さっきの男性は、自分の都合ばかりを優先して、まわりの人の気持ちや、店員さんの立場に立てていない、ということになります。
自分の非を認めるどころか「僕のことをもっと考えてよ!」と、抗議しているわけです。
幼さを抱えたままの状態であれば、非を認めるよりも、反論したり、弁解したり、場合によっては、問題をすり替えて相手を攻撃することもあります。
つまり、非を認めてしまうと、心がヒリヒリと痛んで辛いので、すり替えをしたり、居丈高に振る舞って、辛い状況から逃れようとしてしまうのです。
この男性が、どんなお仕事についているのか、家族はいるのかわかりませんが、とても幼い心の持ち主だということがわかります。
きっとプライベートでも、問題は山積みだろうと想像できます。
でも、問題が起こるその中に、自分が向き合い、超えていく必要のある課題があるのも事実。
つまり、問題は希望でもあるということです。
そのことに気づけたら、人はいくらでも成長できる。成長のための教材は、日々の暮らしの中に眠っているということなのです。
鶯千恭子(おうち きょうこ)