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努力中毒

日本人は「努力」という言葉が大好き。
私も今までずっとそうでした。

「もっと努力しなければ」
「努力が足りないからだ」

そう思って、無駄な努力をし続けてきたなあと、思い当たることがたくさんある、
生粋の「努力好き」だったと思います。

ところが「努力は中毒になる」という話を聞き、びっくりしました。
まさに、中毒に陥っていたと思われるからです。

そして、周りを見渡してみると
なんと!努力中毒者の多いこと!
今回は、そんなお話をしたいと思います。

「努力は必ず報われる」というウソ

「努力は必ず報われる」というのは、半分は本当で、半分はウソだというのは
脳科学者の中野信子さん。
(フォレスト出版「努力不要論」中野信子著) 
すごく興味深いお話しをしています。

まず最初に「半分は本当」という根拠を、私なりに解釈したことをお伝えしますね。

例えば、脳を例に解説しましょう。
脳は、その大きさに比べて、エネルギーも酸素も必要とする割合が莫大に多い臓器です。
だから、なるべく無駄はしたくないし、節約しながら使いたいというのが脳の本音。

なので、できるだけ考えない。
覚えなくていいことは覚えない。
使わない機能は、抱えているだけで負担大。
だから、どんどん機能を減らす方向に、圧力をかけてくるのです。

もし、そのまま抵抗することなく放っておくと、「考えない」「覚えない」という脳になるのにそう時間はかからないんだそうです。
だから頑張って努力することで、機能し続ける脳をつくる必要がある。

確かに筋肉もそうですよね。
私も以前は、毎日ジョギングを40分続けていましたが、走れるからだを作るためには、相当な負荷をかけ続けました。

つまり、その負荷が「努力」なのです。
これが「努力は報われる」という半分本当だという所以。
ある程度負荷をかければ、ある程度は結果が伴ってくるということです。

では、残りのウソだという半分は、どういうことなのでしょう。

これは、要は、がむしゃらにただやり続ければいいというわけじゃない、というのが残りの半分のウソ。
目的が曖昧なままの無計画な努力や、大雑把な目的に向けた努力は、徒労感だけが襲う。
世の中には、そんな無駄な努力、報われない努力もたくさんあるというわけです。

しかも、それだけではなく、やった気になるだけで、頑張っている自分にすっかり酔いしれてしまい、努力中毒に陥ってしまう危険があるというのです。(え?中毒?努力が?)

「中毒」とは、無駄どころか、害があってもやめられない、というところまで行き着く状態のことです。
これはどういう意味なのでしょう?

努力中毒を理解するためには、どうも2つの要素を理解する必要があるようです。

1つは、日本人特有の努力という言葉に秘められた「美意識」がちょっとくせもの。
つまり、時間をかけて、心にもからだにも負荷をかけ続け、苦労を逃げずに続けることを「美しい」と感じる感覚を持つ日本人がとても多いのです。


そして、この感覚にハマってしまうと

頑張っている自分
いいことを続けている自分
責任を果たそうとしている自分

に酔いしれ、正しいことをしていると思い込み、”努力教”の熱心な信者になり、冷静な思考能力を奪っていくんだそうです。(怖い…)
努力とは、それだけ中毒性の高いものらしいです。
そして、もう一つは中毒に陥る脳のメカニズムです。

努力中毒者の脳


https://www.active-brain-club.com/ecscripts/reqapp.dll?APPNAME=forward&PRGNAME=ab_brain_detail&ARGUMENTS=-A3,-A201905,-A20190508154342522,-A

努力中毒を、脳のメカニズムで解説してみますね。

努力し続けている時、脳の中では、内側前頭前野が活発に働きます。

内側前頭前野とは、他人のこころ(感情)の理解や、社会性、モラルなどに深く関係している部分です。
ここが活発に働くということは、いいことをしている自分に対して、快感を感じることを意味します。

つまり、苦しい状況であっても「自分はいいことをしている」と判断すると、内側前頭前野が活動を始め、報酬系が活発になり、快感を生み出すようになるというメカニズムが働くのです。
いわゆる精神的報酬をたっぷりと感じられるというわけです。

そして、更には、判断能力が失われる環境を用意することで、あっという間に努力中毒へと洗脳させてしまうそうです。
判断能力を奪う環境とは、ストレス、睡眠不足、食事をろくに食べないといった環境です。
たったこれだけで、あっという間に洗脳できてしまうというから驚きです。

学生時代ですが、あるカルト的な宗教にハマってしまった友人を救出したことがありましたが、彼女は夜中まで電話がけのノルマを課せられ、慢性的な睡眠不足状態に陥っており、食事もろくに食べず、痩せ細っていたことを思い出します。

更には「努力が足りない」「能力が低い」という言葉を浴びせられれば、簡単に努力中毒者の出来上がり。

「自分の努力が足りないからだ」という思考に縛りつけられると、益々、努力を自分に強いるようになるからです。
しかも、どこに向かっているのか、結果は伴っているのか、わからないまま…。

つまり、努力中毒とは、努力をことのほか美しいと感じる文化を持つ日本に起こりやすく、苦しい状況下でも懸命に頑張っている自分に対して快感を感じることで、次第に判断能力が失われ、無駄な努力、報われない努力がやめられなくなる状況に陥ってしまうことなのです。

努力の「努」は奴隷の「奴」

コロナという前代未聞の事態に見舞われ、経済不況が続く今は、努力中毒には注意が必要のようです。

努力中毒に侵されてしまっている人は、無意識に滅私奉公をよしとしているので、自分を殺して、自己犠牲的になることに、自ら身を投じてしまうからです。

もしそこで、自己犠牲的な振る舞いを強要する、人を奴隷のように扱うような人の手に掛かってしまったら大変です。

努力の「努」は、奴隷の「奴」から来ている、といいますからね。
奴隷とは、他人の思考を強要されて、自分の思考を放棄することを強いられること。
下手すれば、とても安価な労働力として使いたがる、ブラック企業の餌食になってしまうんだそうです。

全てをホンモノの努力に切り替える!

では、「努力は報われる」の半分のウソを取り除き、全部をホンモノの努力に変えることは出来るのでしょうか?

はい!出来るのです!

中野先生曰く、ホンモノの努力とは以下の3つだと、とってもシンプルな答えを示してくださっています。

1.目標を設定する
2.戦略を立てる
3.実行する

これは、巷で嫌というほど耳にする「PDCAサイクル」そのものです。
本当にシンプルに、1の目標設定から→2→3と、ただ順繰りとくり返す。
結果が伴わなければ、単純に1の目的、2の戦略の見直しから点検すればいいだけ。
なので、3の実行ばかり一生懸命にやったところで、具体性のある目的がなければ、意味がありませんし、目的がなければ、目的に合った適切な戦略も立てられない。
いわれてみれば、当然のはなしです。

努力中毒に陥りがちな人は、大急ぎで、まず最初の目的を意識するする必要があります。
自分軸が曖昧で、本当に自分がしたいことは何かを、見失っている状態で発生するからです。
だから、自分が本当にしたいことは何なのか。
ここに答えを持たなければなりません。

さもなければ、誰かが明示する目的に沿って、戦略が用意され、自分はただ実行するだけを"ひたすら努力する"という、中毒性の高い努力にはまり込んでいくことになってしまいます。

私はこのことに気付かせてもらい、今は仲間と共に、ホンモノの努力の楽しさを味わう毎日です。
皆さんも、ぜひ間違えた方向に向いた努力に、スポイルされない人生を手に入れてくださいね。

鶯千恭子(おうち きょうこ)

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