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小学校が怖かった話

息子はASDの診断を受けている。
ざっくりいうと知的障害のない自閉症、大きいくくりでいうと発達障害。
そんな息子は小学校に入学してから荒れていた。
まず教室にいない。脱走して校内を(たまに校外まで)徘徊する。高学年の教室に入り込み授業を妨害する。図書室に入り浸り、司書の先生がいない時(入室できない時間)には図書室の扉を叩き続ける。給食は食べない。担任の先生の指示には従わない。もちろん授業なんか参加しない。
担任の先生も、それを相談された私も困っていた。
そして帰宅すれば些細なことで癇癪を起こす。どのくらい些細かというと、靴を脱いで、とか、手を洗って、とか、おやつを食べるから座って、とかその都度暴れて殴ってくる。挙句、飛び出してどっかいこうとする。
息子の名誉のために補足するが、小学校入学前は当たり前にできていた生活習慣であり、コミュニケーションなのに。

思い返せば息子が保育園の4才クラスに編入した際も荒れに荒れていた。環境の変化が苦手なのだ。わかっている。でも保育園では2か月もしたら楽しそうに通っていた。なにより、先生に任せれば大丈夫だという安心感があった。なのに小学校の先生は「お母さんどうすれば良いでしょうか」「息子さんが話を聞いてくれなくて困っています」「指示が通りません」「座る練習はしてこなかったんですか?」「薬を飲んでいるのに、これなんですか」とまぁ。なんというか酷いことを言われて非常に傷ついてしまった。

適切な支援を受けたいと願って支援級に入学したのに、なんでこんな扱いを受けないといけないんだと、とても悲しかった。
それ以上に、嫌がる息子を毎朝引きずるようにして教室まで連れていき、なだめてすかして教室に置いて仕事に行く。帰宅後は疲れて些細なことで癇癪を起す息子に蹴られて殴られて、なんというかもう疲れていた。

特別支援教育の先生なのだから、魔法のような方法をもっているのだと期待していたのだと思う。今ならわかる。そんなわけない。でも、期待してしまったのだ。そして、裏切られたのだ。勝手に期待して勝手に裏切られたのに、とても傷ついてしまった。私が。

息子が暴れる理由が知りたかった。でも、息子に質問しても言葉は返ってこない。返ってくるのは唾吐きのチックと涙と嗚咽と殴る蹴る噛みつくといった暴力だった。だめだ、人間の言葉が通じない。手負いの獣がそこにはいた。

相談できる場所は無かった。
保育園の先生は小学生の事は、小学校の事情が分からないから何もアドバイスできない、と言った。園長先生は「でも優しくて賢い子だから、きっとお母さんの気持ちは分かってくれるはずですよ」と優しいけれどもなんの役にも立たない言葉をかけてくれた。
幼児期に通っていた公立の療育施設はちょうど閉鎖されてお世話になった先生たちは別の自治体で別の仕事をしているという話だった。連絡すら取れない。
子育て支援の保健師たちは、異口同音に「専門家につながってみて」といった。その専門家というのがどこにいるのかを彼女たちは知らなかった。
教育委員会の相談窓口では、すでに支援級に在籍しているのならそれ以上できることはないと言われた。
地域の基幹病院の児童精神科に初診の申し込みをしたいと電話をしたら、相談員という人が電話口でこう言った。「地域のクリニックで処方されて薬ももんでいる、支援級に在籍していて今のところ登校している、放デイも利用している。これ以上なにを望むの?」

困っていることを話しても、それは困っているうちに入らないという。
そうか、そうならば私は困っていないのか…なんてことにはならない。
困っているのに困っていないことにされる、こんなに困ることはない。

そんな中で私を救ってくれたのは、医療機関でも、相談機関でもなくインターネットと本でした。あの時にインターネット上の情報に出会えなければ、本にたどり着けなければ、私はもう息子と会話をすることが出来なかったでしょう。

息子はもうすぐ小学校2年生を終えようとしています。なんとか、なんとか歩き続けた2年間でした。
なんともならない日々もたくさんありました。今だってなんともなってません。
それでも、あの時に比べたら色々と知って、色々と話し合って、色々と分かり合えたと思います。
その話はまた今度…

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