【日記】87歳の祖母を連れて、東京に行った話。3/3
▼一日目
▼二日目
祖父の弟
三日目、上京最終日。
スマホの万歩計は昨日の記録を約一万歩として表示していた。
疲労感としては初日よりも、一日を通して歩いていた昨日の方が強かったけれど、帰りしなに買っておいたサロンパスのおかげで多少はマシだった。
11時のホテルのチェックアウトに向けて、ゆるゆると支度。
こういうとき、普段から朝5時ごろ起床の田舎者はつよい。
僕と祖母が順番にシャワーを浴びて、荷物を詰め、部屋をそれなりに片付け、清掃員さんに『Thank you!!』というメモを残しておく段になっても、まだ午前9時を少しまわっただけだった。
ただ予想どおり、来たときよりも荷物は増えていて、僕のカバンの中身はほとんどお土産に置き換えられていた。
これを一日中抱えて行くのだから、それなりに覚悟をしておかなくてはならない。
旅の真の目的はこれからなのだから。
◇
今回、都合を合わせてくれたのは神奈川に住む祖父の弟夫婦とその次女さんの三人。
しかし、僕にとって彼らは面識がほぼないに等しい。
ちなみに祖父の弟は続柄で言えば『叔祖父』というらしいのだけど、祖父が間にいないと僕たちの関係を上手くイメージできないので、あえて祖父の弟という言い方をしている。
その程度にはつながりは薄いし、緊張してもいた。
時間つぶしに立ち寄った『椿屋茶房』という店の制服が、いわゆるメイド服でMUちゃんが着たら似合うだろうか、などと妄想しているとあっというまに予定の時間。
祖父の弟夫婦とは場所を決めてあったこともあってすんなりと会え、祖母は彼らとの何年ぶりかの再会を喜びあい、また、奥さんの方は僕に有無を言わせる暇も与えないほど「よく来たわねえ!」「会えて本当に嬉しいわあ!」とあれやこれや一気に喋りはじめ、それに答えるのは同じようにおしゃべり好きの祖母であり、僕ともともと口数少ないらしい祖父の弟は二人で彼女らの会話に耳を傾けるという図式がごく自然に成り立って、緊張してきて損したかなと思った。
祖父の弟夫婦の次女さんも無事合流し、五人ではいったお店は……なんと台湾料理だった。
このお店は向こうの一家のおすすめで、いやというわけではないのだけど、何も決めずに東京に来て、朝食を抜きにした五回の外食のうち三回が台湾料理なのはちょっと面白いと思う。
一軒目は屋台風、二軒目は居酒屋的、そして最後はちょっとグレードの高いお店。
小籠包にも、カニ味噌やトリュフ、マンゴーが使われたものまである。
しかし祖母はそれら小籠包をレンゲにのせて、やっぱりまるのまま食べていた。
僕ら――というかほとんど祖母と奥さん――は互いの近況報告や前に会ったのはいつで、ほかに誰がいて、どんなことがあったかを途切れることなく話し続けた。
僕はそれとなく皆の様子を観察。
奥さんと次女さんはどこか品の良さのようなものがあり、話し方ひとつとっても「これすごく美味しいのよ」だったり「お嫌いじゃないかしら」という言い方であり、この一年間、田舎にどっぷりだった僕にはすごく新鮮だった。
どの品の良さも、決して不自然なものではなく、熟年夫婦の結婚指輪みたいに彼女らの一部だった。
そしてその感じは昼食を終え、簡単にお茶をし、仕事の都合で奥さんと次女さんが帰る時間まで続いた。
「私がいても、あまり役には立ちませんから」
祖父の弟だけが、そう言って残り、僕たちを東京駅まで送ってくれた。
その彼の、穏やかな態度というか言葉というか精神みたいなものに、僕は祖父と似たものを感じた。
三人になった僕たちの話題は必然、その祖父の話になる。
「まあ元気といえば元気やし、そんでも人の顔なんかは忘れることもある。ご飯だけは、よう食べるわ」
自分の兄弟の近況報告としては、いささかぶっきらぼうな祖母の物言いに、僕がやんわり補足をし、祖父の弟は「そうですか、そうですか」としんしん頷きながら聞いていた。
「アヤトさん、本当によく来てくれました。お会いできてよかったです」
彼は別れ際、そう言って手を握ってくれた。
僕はその短い言葉だけで、この三日間の疲れが薄らいでいくような気がした。
来られなかった祖父のことや、肩にのしかかる荷物の重みや、祖母に「なんか食べたいものある?」と訊けば「なんでもいいわ」としか答えない腹立たしさ。
そういう負のものたちが、ふわりと。
「出発まで、もう少し時間あるよ」
僕は新幹線の時間を確認して祖母に告げた。
「それなら、わたし、お土産見たいわ」
「え」
「東京駅には何でも売っとるって、テレビでよくやっとるから」
「誰にあげるお土産なん」
「そりゃ、あげるとこなんていっぱいあるわいね」
「そう……」
さっき薄れていった疲れが、再び僕の心に暗い影を落とした。
その後、洋菓子の箱3つとサーモンのすり身サンドイッチ2つを追加し、僕と祖母の東京旅行は幕を閉じた。
旅のあと
以下に後日譚というか、簡単なご報告を。
僕と祖母は新幹線に乗って、金沢駅からタクシーで僕の両親の家に帰り、夜の22時ごろには寝る支度を終えて寝床につくことができました。
その深夜。
喉もとになにか熱いものが込み上げ、僕は目を覚ましてトイレに駆け込み、そのまま一も二もなく嘔吐してしまいました。
やがて吐き気が落ち着き、鼻の奥から嫌な匂いがなくなるまで口をゆすぎ、布団をかぶると今度は異常な寒気。
まるで背骨をまるごと電動鉛筆削りに突っ込んだみたいな身震いが止みません。
何度か訪れるその急激な吐き気と、室温ではありえないような悪寒に襲われながらも、なんとか眠りにつくと次の日は本当に地獄でした。
上からも下からも体の内容物が流れ出していき、食欲はみじんも湧かず、眼球がだんだん内側に腫れ上がっていくかのような頭痛。
食べ物のことを考えると吐き気がするのに、直近の記憶はメニュー表やらきらびやかな看板やら、写真付きレビューやらが大半を占めているので、嫌でも浮かんでくる始末。
熱は39度まで上がりました。
原因はなんだったか定かではありませんが、おそらく食中毒であろうということになり、三日三晩まともなものを受けつけない体。
なにかを書くことはおろか、読むことすらままならない。
ちなみに旅行中ほとんど同じものを食べていた祖母は何事もなく、次の日には祖父がデイサービスから帰って来るので一人で電車に乗って田舎に帰っていきました。
後日、話をしても「なんともなかったよ」とのこと。
……おばあちゃんて、やっぱりすごいや。