ボカロPになった経緯
こんばんは。ママ歌い手ボカロPのおととPです。
前回の無宗教の製作話はかなり暗い話になってしまいましたね!
そんな中でもお読みいただいた方、歌詞に共感してくださる方も多く、とても嬉しく思いました。
3記事目となる今回は、私の音楽歴とボカロPになった経緯、そして今後の話を書いていきたいと思います。
また途中ちょっと暗いんですけど、読んでもらえたら嬉しいです。
音楽歴
小学生の頃、将来の夢で歌手になりたいと発表する
小学生〜中学まで オカリナ教室に通う、箏の体験教室を数回、日本舞踊を習う(3年くらい?)
13歳…父からアコースティックギターを習う
14歳…オリジナル曲を作り弾き語りで歌い始める
16~18歳…VOCALOID楽曲の歌ってみたをYouTubeやニコニコ動画に投稿
高校の軽音楽部でギターボーカルを担当(コピーバンド)
同時に外部でもギターボーカルを担当(コピー、オリジナル両方)
18歳…シンガーソングライターを目指し関東の音楽大学へ進学
19歳…身内の不幸により音楽大学を中退
20歳~…結婚、妊娠、出産 音楽から離れる
2021.8月…歌い手として再度活動を始める(過去記事参照)
2021.10月…企業企画のテーマソングを手掛ける
2022.4月…ボカロP 編-amu-としての処女作かつ、DTM処女作となる「あたまがいたい」をボカコレ2022春ルーキーに投稿しボカロPデビュー
ボカロP垢のプロフィール欄にあるように、作詞作曲歴だけは長く気づいたら15年になります。
ただ、ピアノも弾けない、クラシックも全く学んでいない、音楽大学に在籍していたものの、AO入試で実技(オリジナル曲の弾き語り)で合格し入学しているため、全く音楽的知識は全くございません!
プロフィールは専門的なことに強そうですが、勘で好きなことをやってる人間です。ごめんなさい。
唯一、経歴で得たメリットとしては音楽大学に通えたことで耳は良くなりました。
それにより、自分を客観的に見ること・分析すること・評価することができるようになりました。
田舎のちょっと曲が作れて歌が少しだけ上手かった少女は、現実を知りました。
元々はシンガーソングライター志望だった
学生時代、自分の歌で誰かを救いたいと思っていました。
思春期の辛い時期をギターと音楽と共に乗り越えた私にとって、歌が全てでした。
自分の歌で聴く人に希望や感動、生きる希望を作りたい。
本気でそう思っていました。
進路も音楽系の専門学校に行くつもりでしたが、父に本気でやるなら音大に入ることを条件にされたため、最低限の楽典と聴音をやり入試に挑みました。
合格の通知が届いた時、生まれて初めて嬉し泣きをしました。
それくらい本気でシンガーソングライターになりたかったのです。
自分なら絶対なれるとも思っていました。
(あの頃の自信、数%でいいから戻ってこないかな・・・)
いざ大学に入りますと、自分がいかに下手くそかを思い知らされました。
まずそもそも育った環境が違いすぎるんですよね。
幼少期からピアノやクラシックに触れていたり、そもそも音楽系の高校出身だったり、絶対音感持ち多数、全国からごろごろ実力者が集まっている世界です。
みんな音楽で食っていくことを目標に進学してきています。
そして、それを応援する太い実家・・・
本物のお金持ちが多いこと多いこと・・・
使っている楽器も超一流のものをみんな持ってるんですよね。
私みたいに授業料をフルで奨学金で借りて入学してる人なんていませんでした。もうおわかりかと思いますが、おととの実家は極貧です。
貧乏子沢山ですね。
家族仲は良かったので今では笑い話ですが、一時期は実家に冷蔵庫もテレビもない(買えない)時代がありました。
上京して早々、一つの壁が立ち塞がりました。
「練習時間が取れない」
仕送りなし、奨学金で足りない授業料を自分のバイト代で稼がなければならなかった私はバイトに明け暮れていました。
当時は労働基準法とかゆるかったんですかね?12時間労働が普通でした。
それを10連勤とか(笑)
周りの子達がバンドを組んでバンド練習に入ったり、個人で練習室にこもったり、そういったことをする時間を取ることができませんでした。
どんどん上達していく同級生。課題をやるので精一杯の私。
それでも、本気でシンガーソングライターになりたくて色んなオーディションに参加したり、バンドを組んだり、デモを送ってみたり、やれることはやっていました。
一時期は小さい事務所に所属し、宣材写真を撮ったりした記憶もあります。
でも、バンドを組んでもスタジオ代やライブのお金を払うのがすごくきつかった。
大学ではとにかくオリジナル曲をたくさん作ること、自分の長所を伸ばすことを中心に取り組んでいました。
いわゆるプロの先生たちからも歌詞とメロディラインを褒められることが多く、そこを重点的に頑張っていました。
でもどんなに頑張っても、練習できなきゃ上手くならないんですよね。
学生時代の住んでいたところは普通のアパートだったので家でギターや歌ができないこともあり、課題の曲作りをなんとかこなす毎日でした。
そんな大学2年の始め、父が亡くなりました。
元々学費は奨学金+バイト代がメイン、それでも足りない分を父が払ってくれる、そういう約束で進学しました。
しかし、亡くなったことにより、もうどうやっても学費が払えなくなり、2年前期を最後に中退しました。
可愛がってくれた先生方の「助けてあげられなくて申し訳ない」という言葉が今でも耳に残っています。
私にとっての音大時代は、決して華々しいものではなく、常にお金と練習時間と実力の伸びに悩み続けた1年間でした。
退学後も半年くらいは夢を諦めきれずバンドを組んだりしましたが、生活のための仕事が中心だったため、少しずつ少しずつ音楽から離れていきました。
いつしかあんなに好きだった歌うこと・曲を作ることが辛くなっていきました。
自分自身の可能性を見限ってしまいました。
また、同時期に大学退学直前に出会った今の夫と同棲・結婚の話が出たため、完全に音楽への道を諦めました。
幸せな家庭を築く、いつしかそれが私の新しい人生の希望になっていました。
楽曲製作に復帰したきっかけ
自分の地元に戻り、念願のマイホームも建て、第一子も出産!
人生順風満帆、幸せだった私は少しの刺激を求め、突発的に歌い手に復帰しました。
歌い手復帰した数ヶ月後くらいに、たまたま会社から企画のテーマソングを作るよう指示を受けました。
音大行ってたんだからできるよね?よろしくね!そんな感じの軽いノリでした。
仕事はスピードが命!と常々言われていた私は、ループ音源も駆使し、夫にも手伝ってもらいながら徹夜でiPadのガレバンで1曲作りました。
次の日、社内で発表するとものすごく褒められました。賞賛の嵐です。
曲を作れるは当たり前、テーマに合った曲を提出できるのは当たり前、クオリティが高くて当たり前。
それは全て音大時代に自然に植え付けてしまっていた固定概念です。
自分は世間一般では出くわすことのないレアキャラだということに気づきました。
まだ転職したてで仕事ができず、自己肯定感下がりまくりの毎日だった私は完全に味をしめました(笑)
企画関連のBGMなど、自発的に数曲作り提出しまた褒められる。
しかし、肝心の企画は全く伸びず企画はすぐに終了となってしまいました。
私が作ったテーマソングも、会社のアカウントから投稿されていたものなので今では非公開にされてしまいました。
ボカロPになりたい
人間、経済的にも精神的にも安定すると、自分のこれからの人生を考える余裕が出てきます。
きっかけは仕事だとしても、楽曲製作をしていた時間は楽しみ、達成感、満足感、そして何より自分が一番生きていると感じられる、自由でいられる時間でした。
「私はやっぱり音楽を作りたい」
ガレバンを触ったことで、自分の脳内にある音楽は弾き語りの歌と楽器ひとつでは再現できない、理想の音楽を作りあげるにはDTMしかないと気づくことができました。
また、30歳を控え、何か新しいことを始めるのであれば少しでも若い方がいいとも思いました。
2021年の冬、企画の貢献も認められボーナスをいただき、夫に意を決して切り出しました。
「MacBookが欲しい。DTMを初めて、ボカロPになりたい」
夫からは「DTMはわかる、でも自分が歌えるのになんでボカロ?」と言われました。
私はその時、歌い手を数ヶ月続け、10代・20代前半のころに比べ
・声質が落ち着いてきていること
・音域が少し狭くなってしまっていること
・息が持たない、声のハリが衰えてしまっていること
ようは、自分の歌声の劣化を感じている、家庭と仕事が優先なので、完成度の高い歌声を維持するだけの努力をする時間が取れないと伝えました。
また、自分の歌い方や声質は流行りではない、好き嫌いがはっきり分かれる声だから、私が歌っても需要はないと断言しました。
自分の曲を理想の状態で歌えるのは、もはや自分ではない。
だから、ボカロに歌ってもらう。
私では歌えないジャンルの曲も世に出すことができる。
ボカロを使うことでより多くの人に頑張って作った曲を聴いてもらうことができる。
ボカロPとして有名になって、音楽を仕事にするという夢をもう一度叶えたい。
自分の音楽への想いを改めて再認識した瞬間でした。
そして私は夫の理解もあり、ボーナス全額を注ぎ込み、MacBook Airを購入し、ボカロPとしての道を歩み始めました。
ボカロPとしての今後
途中、第二子の妊娠・出産もあり少しボカロP活動をお休みしていた時期がありましたが、2月のボカコレ冬で私もルーキーを名乗れなくなります。
転生する気はゼロです。
有名になりたい、お金を稼ぎたい。
でもそれって、今まで仲良くしてくれた相互さんや数少ないリスナーを捨ててまでやることなのかな?
今まで作った、1曲1曲睡眠時間削って試行錯誤して色んな人の協力をしてもらいながら作った大切な曲たちを消してまでやりたいことなのかな?
少なくとも、私はそう思わない。
作品を出すのにも私一人の力ではできないから、色んな人に手伝ってもらって一つの作品を作っています。
依頼時にお金を払っているといえども、私がそれを好き勝手するのは違うと私は思います。
そして、投稿した曲にもらったコメント、いいね、ツイッターでもらった引用RTや感想、どれもその聴いてくれた人の時間をいただいてやってもらえたことです。
私の曲を好きと言ってくれて仲良くしてくれて、応援してくれて、そんな人間関係が何よりの宝だと思っています。
私はどんなにカッコ悪くても、積み上げていく自分の経験を誇りに思います。
だから失敗もさらけ出すし、ツイート(ポスト)も思っていることがダダ漏れでいい。
等身大の飾らない自分でボカロPとして生きていきたいです。
今のおととPのアカウントはそれができている、それを許してくれる素敵な相互さんたちと繋がれていると思っています。
※以上はあくまで私個人の考えなので、これまで転生したことのある人、もしかしたら今後転生予定のある方を批判する気はないです。
それも作戦だと思いますし、いざ相互さんが転生したとしても応援しますよ!
音楽性に関してはまだ模索中なところではありますが、今のところは和風曲メインにしていきたいとは思っています。
ただ、ボカロP界隈は色々なイベントや企画が乱立していますので、楽しそうと思ったりコラボに誘われたら、自分に関係なさそうな分野でもどんどんチャレンジしてしまうので、今後も定期的に迷走しそうです(笑)
でもそれも経験!
私は一度音楽を、夢を諦めた身です。
もう何も失うものはありません。
むしろ投稿すればするほど得られるものしかないと思っています。
とにかく、たくさん曲を投稿して、細く長く続けていきたいです。
具体的に叶えたい目標などはあまりまとまってないので、今度自分の考えをまとめるためにも別記事を書こうと思います。
今回も長々とお付き合いいただきまして誠にありがとうございました。
寒くなってまいりましたので、みんな体調に注意しようね。
それでは、ご拝読ありがとうございました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?