年末テロリズム――サクラ革命とサイバーパンク2077
まさかここまで似たテーマを見せられるとは思っていなかった。ポーランドと日本が共鳴したかのようにサクラ革命(以下革命)とサイバーパンク2077(以下2077)がテロを味方側で見せてくるとは…だがその描き方は対照的である。テロで世界が変わるという希望と変わらなかったという失望。
希望のテロリスト「サクラ革命」
革命のあらすじはこうだ。政府が推進する新エネルギー「ミライ機関」の起動と共に謎の敵「降魔」が現れた。だが、ミライ機関は人間の力の源である「霊力」を吸い取るものであり、敵はミライ機関に霊力を吸われた人間だった。その真実を知った主人公は各地のミライ機関を破壊する決意をする・・・。
ミライ機関が破壊されると舞台を公演する事で霊力が活性化し、地域が元気になる。エネルギーを吸われる事はなくなり、政府の地方総督が引き起こしていた問題は解決される。革命はとにかく行動を起こせば変わると言ってるように感じる。破壊によって日本は元気になるのだ。
失望のテロリスト「サイバーパンク2077」
2077のあらすじはこうだ。企業が政府を凌駕した世界、主人公はひょんな事から伝説のロッカー「ジョニーシルバーハンド」と体を共有する事になる。そして彼はかつて大企業アラサカ社のビルを破壊したテロリストでもあった…。主人公は生きる為にアラサカの抗争に飛び込んでいく…。
ジョニーはロックとテロで世界が変わると思っていた。だが何も変わらなかった。アラサカ社は健在であり皮肉な事にジョニーの人気もそのまま。ロックはただの商品になりテロはただの過去になったのだ。2077は行動で変えられるのは手の届く範囲だけと語ってくる。破壊は結局のところ自己満足なのだと。
世の中が悪い原因はなんだ?
じっくりと見ていくとそもそもの世界が対照的である。革命の日本を文化と政治共に絶対的に支配する吉良首相とその配下たち。相対的に支配力が高いが2077の全てを左右できないアラサカ。
そう、原因が単一かつハッキリしている世界と複雑かつ曖昧な世界なのだ。
この二つの差が希望と失望の差に大きくかかわっている。革命の特徴である、明確な目標はモチベーションと楽観につながる。敵を明確にし、それに対して正義を示すというのは現実の政治や陰謀論、もちろんテロでも使われる。
対して目標が曖昧であればどうなるか。楽観でなく理想になる。理想を実現するために手に届く一番目立つ物を変えようとする。アメリカを壊そうとした911、自衛隊に決起しろと説教した三島由紀夫、遺跡は戒律違反と壊すイスラム国。だがそれらはジョニーの行動と同じく失敗に終わっている。現実は複雑でテロで壊すのは難しい。そう考えた2077の住民たちは自分の手の届く範囲だけを生きようとした。正義なんてないのだと諦めて。
何故ここまで両極端なのか。それは根幹となるジャンルから極端に動いているからだ。
20世紀の果てにあるサイバーパンク、20世紀の入り口に立つスチームパンク
題名にもついているようにサイバーパンク世界である2077と和製スチームパンクの代表作の後継を振舞おうとしている革命はそれぞれのジャンルを写す鏡として機能している。
サイバーパンクの代表的なイメージは越権的な企業、技術だけが進んで人間性が消えた世界。だが主人公たちは人間性を大事に生きようとする。主に20世紀後半の恐怖がベースとなっている事が多い。
対してスチームパンクは20世紀初頭までの科学がどんどん進んで行く希望をベースにしていることが多い。我々の暮らしはさらに良くなる。工業化が進み世界はまだまだ発展する。豊かになるのはいい事だと。
そしてこの時代性による感覚の違いが反政府行動への大きな違いとなっている。20世紀前半は独立と革命の時代だった。声を出して破壊によって力を示せば民はついてきた。だが、後半になると声と破壊で民心が離れていった。いかなる名声と卓越した言葉でさえも鈍り、残るのは自己満足だけだ。
テロリストは動き続ける
こうして両者を比較したが、どちらも21世紀では悪となったものを相対的に善と見せる事に驚きを禁じ得ない。そして世界観が違ってもテロリストたちの基本行動理念は全く同じだ。ジョニーシルバーハンドと帝国華撃団、ともに行動しろと謳っている。壊したかったら壊すしかない。恐れるな。ジョニーの結末は「大悪人」だった。サービス開始したばかりで先が見えない帝国華撃団の結末はどうなるのだろうか。バグだらけのサクラ革命を遊びながら想うのであった。
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