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教員は自分が子育てをしたら一人前なのか

賛否両論見かけるテーマですが、自分の意見を言えば、教員は自分の子育てを通して職能を大きく成長させると思います。子どもを見る目が変わります。学級通信の書き方一つとっても変わります。誰に何を伝えようというわけでもないのですが、体験ベースでそんな話を書いてみます。


新一年生の姿を見て何を思うか

20代の頃、自分は入学したての新一年生達を見て「可愛いなぁ」「頑張っていい学級作ろう」と率直に思いました。

一方で30代子育て中の頃、同じく新一年生達を見た時に浮かんだ感想はだいぶ違うものでした。「この子達と親御さんは今日まで約2000日を生き延びてきたんだなぁ」「この子の中には親御さんたち、じいちゃんばあちゃん達からの愛情や苦労が2000日分詰まってるんだなぁ」というものです。


1年生の向こう側が見えた

それまでは1年生〜6年生までの姿、いやむしろ担任した1年間分の姿しか見通せていなかった子ども観が、1年生よりももっと小さい頃の姿までイメージできるようになりました。

1年生という存在は一体どの程度のことができるのか、どのような体験をしてきたのか、何が危険なのか、好きな話題は?保護者の方々が知りたいことは?願いは?

実感を伴って想像することができるようになったんです。

見えたのは子ども達の幼少期のイメージだけではありません。「親の姿」もまた目の前の子どもの向こう側にリアルに見えるようになりました。

1年生には色々な子がいます。家庭ごとに育て方も違います。考え方も経済状況も違います。でも共通しているのは、みんな苦労してきたということです。真夜中1時間おきに目を覚まして母乳をねだって泣く子をあやした日々はどの保護者も共通して持つ体験なのです。

そう思うと、教員としての保護者に対する見方考え方も変わります。


新人教員時代に喉から手が出るほど欲しかったもの

駆け出しの先生が欲しくてたまらないもの、そして決してすぐには手に入らないもの。それは「経験」です。

どんなに本を読んでも、どんなに指導案を漁っても、人間としての経験量だけは一段飛ばしに手に入れることはできません。何をどう努力しても結局はその「経験」という壁にぶち当たる。教員という職業の宿命だと思います。

それこそ冗談抜きに、「あー!早くおっさんになりたい!じいちゃんになりたい!」なんて夜の職員室で先輩教員に語ったことは一度ではありません。それほどに新人教員だった自分には高い壁でした。

そんな自分に対し、自分の子どもを育てたという一連の体験は大量の「経験」をもたらしてくれました。教員としての自分の中に欠けていた部分が一気に埋まった、そんな手応えがありました。

子どものいない教員はダメだ、と言っているわけではありません。自分は子育て体験を通して足りなかったものがズシッと埋まった。そんな「自分の場合は」の話でした。

では。


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