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自意識となにの日々にしようか

年が明けた。2022。
「環境の変化パラダイス」で、時間に追われ続けた去年。
今年は、本に映画に音楽に、「エンタメインプットパラダイス」にしてやろう、
と心に決めた。
そこで感じたこと考えたことを今年もぼちぼちnoteしていくことにする。


記念すべき2022第一弾は、この本について。

第3のバナナマンと呼ばれる放送作家オークラさんの初著書。
元芸人で作家に転向したオークラさんが、下積み時代の東京芸人たち(バナナマン、おぎやはぎ、東京03、ラーメンズなど)とのお笑い青春時代を綴った本著。
この世代の東京芸人が大好きな私からしたら、
その背景を知ることのできるこの本は、至極の一冊だった。

ま〜〜〜〜内容がコアなので、詳細はおいておいて、
とにかく「俺は誰よりも面白い!」というお笑い自意識バリバリの若かりしオークラさんが、その自意識に、ときに悩まされ、ときに燻ぶられ、ときに削られ、ときに高ぶりながら、今や「ドラゴン桜2」の脚本をするまでに至った経緯が記されている。

これを読みながら、「自意識」という言葉にいやに親近感がわいた。
私が抱いているのは、お笑い自意識ではないが、
人間関係に悩み、バナナマンラジオに救われた中学2年生くらいから、「自意識」を抱き続けているからである。

私は、その自意識なるものが7:3の割合で、悪:善だと捉えていた。
確かに、大人数の集まりでの自分の立場を俯瞰して上手に立ち振る舞えたり、
その自意識が、書く文章や撮る写真などに、ときどーき品として表れたりと、
善に働く側面もある。

しかし、それ以上に、周囲が自分に向ける感情を読み取ろうとしすぎてきつくなったり、自意識が満たされない飲み会では口が悪くなったりふてくされたりと、悪に働く側面が肥大すぎると感じていた。
そもそも、そんなことをメタ認知しようとすることこそが、自意識である。

バナナマンやバカリズムなどの天才たちを目の当たりにし、お笑い自意識を滅多打ちされながらも、
「さまざまなカルチャーが融合するコントライブを作り上げる」
という夢に気づき、アベンジャーズ的に?(見てないから分からないが)
ワンピース的に(こっちの方がしっくりくる)仲間と出逢い、夢を叶えていく。
その中で、やはり自意識は善と悪に働きながらも、思い焦がれた夢の実現のためには、ある程度の自意識は必要で、ああ、救われたなあ、と。
そういう風にポジティブに捉えられるのも自意識人間の為せる技なのかもしれない。

自意識があり、仲間が居て、努力と経験を経て、コメディを昇華させてきた。

そんなオークラさんの生き方が、        なんともかっこよく(はげたおじさんだが)
主人公的で(もちろん裏方だが)
羨ましく思えた。

私は、「自意識となにの日々」にしようか。
それを見つけることを、2022の目標に据えるのもいいかもしれない。

                                              suke

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