日記(2024/07/06〜07)ブラウン、ジュネ、都知事選

2024/07/06土
外がめちゃくちゃ暑かったので家族で一日家にいた。夜は、賞与が出たので、いつもお世話になっている母へのお礼にしゃぶしゃぶへ行った。提案はむろん妻。食べている途中に歯が抜けた。正確には根っこから折れたかもしれない。すごく臭かった。歯が抜けてしばらく経っているけど、やっぱり臭い。来週、ちゃんと歯医者さんに診てもらおう。

読んだ本
フレドリック・ブラウン『天の光はすべて星』(1953)


タイトルが天元突破グレンラガンにも引用されていたSF小説。1950年代前半という宇宙開発もこれからという時代に、すでに宇宙開発が頭打ちになっていた時代を描いたという発想がすごく、こういった発想力を持っていた当時のSF界ヤバい。宇宙探索が進化した世界であること等、SF的なガジェットはあるが、そういった要素をはぎ取っていった先に残るのは、地に足のついた政治小説であり、ロマンスである。他のジャンル小説としてのリアリティがあればあるほど、作品としての強度が増すのはもちろんだが、ある一点における嘘が際立ち、きっとこうするしかなかったのか・・・という悲しみを覚える。諸々のガジェットを置き換えれば現代的な映画やドラマシリーズにもできそう。面白かったです。


ジャン・ジュネ『花のノートルダム』(1944


何度か挫折していた作品ではあるが、登場人物の特徴をメモしていくことで、どうにか読破。多分、勢いで読んでも残るものはある。作者の脳内が混乱し、時系列も、美醜も、性別もシャッフルされているとか、そういった印象は残るだろう。しかし、この作品世界に積極的にコミットすることで、いろいろ感じるものはあった。まず、意外と登場人物は絞られており、かつ、確かに物語性は薄いのだけれども、退廃的な日々とその終わりの部分は示されているので、ある種の青春小説として読むことは可能。青春小説がなぜ青春小説なのかと言うと、青春が終わるものだということを描いているからで、それをサルトルは「この作品は、作者自身はそれに気づいていないが、中毒から醒めてゆく経過日誌であり、回心の日誌である。」(『聖ジュネ』)と表現していた。

2024/07/07日
この日はABCお笑いグランプリを見たりといろいろ充実した日だったのだが、一日の終わりの都知事選の結果で楽しい気分がすべてかき消されてしまった。
なんて言うか、みんなほんと死体蹴り好きねえ。こういうとき、蹴られる側に感情移入してしまうのは、いじめられっ子の性なのかもしれないし、ならば、蹴られる側からの言葉を出すのが今の自分の役割なのかもしれない。
今回の東京都知事選における蓮舫の、すなわちリベラル派の敗北は、(改善点は数あれど)努力はしたし、戦略だって立てたし、それでも駄目だったという意味で、確かに失望は大きい。そして理由を求めると、「リベラルだから」というところに辿り着くのが、リベラルとしてはつらい。
蓮舫が通るのは難しいというのはわかっていた。ただ、次点につけることもできず、評価できない候補者だった石丸の下の3位だったというのは、正直なところ精神的にはつらい。ああ、この国ではもうリベラルは育たないのかと。リベラルってこんなに嫌われていたのか、と。そして結果が出て、左右問わずリベラルが叩かれる。この繰り返しは、さすがに堪える。
投票した人が悪いとは思わない。ただ、今なんとなくうっすらとリベラル忌避の空気があること、それを笠に着てメディアが現政権や小池知事などに有利な方向に働いていること、そのことがなんとも歯痒いし悔しい。
じゃあ、これからリベラルはどうするか。政策をアピールしようにもマスコミからは押し出されて、おかしいところを批判すれば怖いといわれる。実に八方手づまりなのは事実。
今回の選挙戦、すべてがダメだったとは思わない。外部への波及が足りなかったというのはあれど、路上の運動の盛り上がりというのは方向性自体を否定するものではないし、今後も共産党の協力は仰ぐべきだと思う。まず、大きな課題として持ち上がったのが、今の日本の世の中で、特に若い人の間で、なんとなくのリベラル忌避の空気がある。その原因はいろいろあるのだけど、やはり「批判ばかりで怖い」という薄らとしたイメージがある。とすれば、やはりリベラルの好感度を上げていくしかないのかもしれない。こう言うとトーンポリシングとも捉えられかねないし、先に述べたように、メディアが保守側に押さえられている以上、難しい課題ではあるが、蓮舫のショート動画などよくできていると思ったし、今回の都知事選で少しは好感度が上がったと思いたい。草の根的ではあるし長い時間がかかるだろうけど、その過程でリベラルのスターみたいなのが出てくればひっくり返る可能性はある。
さて、リベラル市民の僕がどうやっていくか。一応、普段の仕事でなるべく沖縄県を良くしようと努力しているつもりではある。自分も、普段の仕事頑張って、周りの評価あげて、そして普段の会話でリベラルな意見を表明することで、リベラルというものについたイメージを良くしていくほかないのだろうな。後者に関しては今ほとんどやってないけど、おかしいことにはおかしいと言いつつ、ね。普段の、リアルな自分は、すべての人に好かれるとまでは言わないものの(ものすごく嫌われることもある)、変わり者として気に入られやすい人間なので、そのキャラクターを活かす方法はないか、敵を作らないリベラル仕草みたいなことはできないか、を模索していきたいと思う。これもいじめられてきた経験から得た悲しい知恵みたいなものだ。
あくまでも僕はこうする、という意味で、このまま怒り続けてほしい人もいるし、そういった人に多くを任せすぎているんじゃないかと心苦しいこともあるけど、こうも言える。今のリベラルの課題は、怒っている人からゆるふわなリベラルまで、幅をもたせることだ、とも。
(腐った)権力を憎んで人を憎まずというか、権力側を支持する人って、 (一定量悪意を持った人間もいるが)純粋な人が多い。その前提で、いかにリベラル的なコミュニケーションの方法を培っていくか、がしばらくの課題。
とりあえず今考えていることを吐き出したのでもうこのことについては悩まない。明日へ行きます。

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