11年前のあの子、11年後のあなた【中学2年 学年通信】
★11年前のあの子、11年後のあなた
「職業人に聞け!」の「先輩に聞く、私はこうして〇〇になった」に、中高一貫6期生20人が参加してくれました。
このZoomを設定するために、私は、7月3日に、6期生8人に声を掛けました。その8人が、仲間に声をかけてくれて、皆さんには7月21日に34人のリストを提示し、8月中旬現在、50人の6期生と連絡が取れました。6期生は108人いましたので、約半数の卒業生と連絡が取れたことになります。ネット社会の便利さや、卒業生たちの繋がりの強さを感じました。
20人の6期生と話をしながら、「ああそうだった、この子はそういう中高生だった」「あの中学時代を経た子が、こんな風に美しい女性に成長したのか」といろんな思いが去来しました。
生徒の皆さんの目には、どの先輩も立派な女性に映ったかもしれませんが、あの子たちは11年前、あなたと同じ大妻嵐山の中2でした。あなたと同じ教室で授業を受け、同じ体育館やグラウンドを走り、あなたと同じようなことで叱られ(当時の私は今の10倍厳しかったけど)、あなたと同じように涙を流し、あなたと同じように成長したのです。先輩のお話を聞いて、11年後の自分の姿が少し見えたでしょうか。
★戦略的就職
卒業生Aさんは、中高時代から、人に気遣いができて所作がとても美しい子でした。彼女がCAになったと聞いて「ああ、やっぱり」という気持ちになりました。現在、救命救急センターで看護師をしている卒業生Bさんが、もともとは小児科の看護師だったことは、人の気持ちに敏感で、子どもが大好きだったBさんらしいな、と思いました。この二人は、中学生の時のままの、まっすぐな成長の結果が就職先に認められたという感じがします。
一方で、戦略的に就職活動をした先輩たちもいます。Aさんと同じくCAになったCさんは、まず、英語力を磨くために、留学ではなく、ワーキングホリデーを選びました。英語で働くという経験をしてみたいと考え、半年間大学を休学し、オーストラリアのレストランで働きました。親には行きの飛行機チケットだけ買ってもらい、現地での生活費も帰りの旅費も自分で稼ぐと決意したそうです。ワーキングホリデーを経て、英語で接客することを仕事にしたいと考え、帰国後にCAを目指すことを決めて、企業研究をしていました。航空会社の違いを徹底的に調べ、どんな試験が出るか、面接で何を聞かれるか、それにどう答えるか、どんなメイクで行くか、どんな喋り方をするか…綿密に準備をした様子が分かりました。いま勤めている会社の最終面接では「私を採用して損はさせません!」と宣言したそうです。Cさんの執念を感じました。
東大の大学院生で、現在独立行政法人で仕事をしているDさんは、国際機関で働くという夢を持っていました。それを叶えるために、かなりしたたかに動いています。日本の外交が「人間の安全保障」をテーマに展開していると読んだDさんは、自分の研究テーマ(性に関係なくすべての人が自分らしくあれる社会について)はまさに「人間の安全保障」であるとあちこちにアピールし、現在の仕事を手にしました。また、国連にパイプを持っている教授に自分は何ができるかを売り込み、教授の仕事を手伝い、「次に国連から何か依頼があったら、私を使ってください」と言っておいたことが、現在の共同研究に繋がっています。
大使館の国防部で働いているEさん。大学時代に日米同盟と安全保障の勉強をしたことで、日本の省庁か大使館に就職したいと思うようになりました。そこで、毎日のように外務省と経産省のHPをチェックしていたそうです。大学3年生の時、外務省のHPでインターンシップ制度を見つけました。条件は「日本の大学生」で「TOEICスコアが900以上または、英検1級取得」。両方の条件を満たしていたEさんは、すぐに申し込み、大学4年次にワシントンDCで6か月、2つの大使館で1年間研修生として働き、大学の卒業を半年伸ばしました。本来、現在勤めている大使館では新卒は採用しないそうですが、この研修生としての働きを認められ、前例を覆しての就職となりました。Eさんが、自分で自分の道を切り拓いたことが分かるエピソードでした。(ちなみに、中2の時は英検3級だったそうですよ。皆さんだって、Eさんのようになれる可能性がある!)
お菓子メーカーに就職したFさんは、お菓子が好きだからお菓子メーカーに就職したいと思っていたそうです。その中で、現在の会社を選んだのは「飴がメインの会社だったから」。どうして?と聞くと、スーパーで見ていると、お菓子はしょっちゅう、特売をやっている。特売をやっているということは、会社としての収益に波があるということではないか、特売をやらないお菓子は何だ?と考えたとき「飴だ!」と思い、就職活動先を飴の会社に絞ったそうです。面白い視点です。
ここに挙げた先輩たちは、自分の夢の実現のために、自分も、相手(就職先)もよく研究して理解していたな、と感心しました。
★多くの先輩が言っていたこと
「勉強をやる気になった時」
夢を叶えた卒業生たちも、全員が勉強ができたわけではありません。それでも、どこかで勉強に向かう時がきた。それはいつだったの?と聞くと「目標を持った時」と「友達に影響された時」と答えた人がほとんどでした。(「先生の一言」と答えた卒業生は2人いてほっとしました笑)
大手美容外科で業務リーダーとして看護師をしているGさんは、自分より勉強ができる人と友達になって、その子がどうやって勉強をしているのかをよく見て真似したと言っていました。すると、みるみる成績が上がっていったそうです。それが勉強の面白さに繋がっていったと話していました。彼女のいるクリニックには「TTP」という言葉があるそうです。「徹底的にパクる」の略で、できる人を観察して、真似をしろ、という意味だそうです。その習慣が中学時代にできたので良かったと言っていました。
「部活や行事を思い切り楽しむ」
中学高校時代にがんばったことは?と聞くと「勉強」と答えた子はほんの数人。それ以外の子は「部活しかしていなかった」「とにかく行事を全力で頑張った」と答えていました。
部活を頑張ったと答えたのは、Aさんと小学校の先生をしているHさん(二人ともダンス部です)、Cさん、報道番組の制作をしているIさん、治験コーディネーターのJさん(3人は硬式テニス部です)、Fさん(バスケ部)でした。
中2の時の大妻祭が忘れられないと答えたのは、大学病院の看護師Kさん。中1の時はよくわからず大妻祭に臨んで、中2の時、初めて自分たちが企画立案した展示が実現できたことがとても嬉しくて楽しかったそうです。「科学捜査研究所」をテーマに、事件現場を教室に再現して、残された証拠をもとに犯人を捜すというクイズをしました。本来の展示(職業調べや理科の研究発表)のブースをほんの少しだけにして、科学捜査の方にみんな情熱を注いでいました。本来の展示が少なすぎることに、当時、担任だった私は、ほかの先生から怒られるのではないかとひやひやしていましたが、なかなか見事な出来栄えとなって、好評でした。
部活や行事に全力で取り組むことは「頑張る習慣」をつけることに繋がると言ったのは、Cさんでした。「頑張る習慣」、良い言葉だと思いました。
でも、頑張る習慣を身に着けるには
「少しでも興味のある分野を見つけてほしい」
〝これのためなら努力するのが辛くないと思えることがあるのなら、そこを突き詰めてみる〟という主旨の発言です。例えば、現在、携帯会社のCM制作に携わっているLさんは、在学当時、漫才ばかりやっていました。人を笑わせることを、人を笑わせるタイミングで言うことに非常に秀でていて、彼女と彼女の相方のいるクラスでの授業は、古典の文章にも絶妙なタイミングで〝ボケ〟と〝ツッコミ〟が入り、授業がバラエティ番組のように流れていく印象がありました。ちなみに、漫才の相方をしていた子は、現在、映画やドラマのポストプロダクション(音声や効果音、テロップ等を入れる仕事)をしています。この二人は、人を楽しませること、面白いと思えることを突き詰めた結果なのだと思います。
「学校の資源を利用する」
先生・友人・図書館など、今いる環境を最大限使ってほしい。
大使館で仕事をしているEさんは、英検の2次対策で、いろんな先生と練習したと言っていました。Lさん、Iさん、Cさん、市役所に勤めているMさん、プロバレエダンサーのNさんは大妻嵐山の先生はどんなことを聞いてもきちんと答えてくれたり一緒に考えてくれたりするから、どんどん先生と話してみるべき、と言ってくれました(ありがとう!)。Fさんと、作業療法士をしているOさんは「とにかく本を読んでほしい」と言っていました。知識や教養が、仕事での会話の幅を広げると言っていましたね。
「自分の興味のある分野で、どう社会に貢献できるか」
職業選択の最終局面で、根拠にしたのが「どう社会に貢献できるか」という視点だったという先輩がたくさんいました。それを聞いて、私はハッとしました。6期生に口うるさく言っていて、今、17期生の皆さんにあまり言っていないことがあります。【学芸を修めて人類のために】という建学の精神についてです。皆さんにも数回話したことはありましたが、6期生にはことあるごとに、建学の精神や校訓【恥を知れ】について話をしていました。大妻精神が職業選択に影響したのは、大妻を卒業させた立場として、とてもうれしいことでした。大妻精神については、皆さんにも今後話をしていかなくてはいけないですね。
さあ、あなたの番です。
あなたは、11年後、25歳で何をしていますか?どんな女性になっていますか?
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