先生が先生になれない世の中で(2)「お客様を教育しなければならない」というジレンマ
鈴木大裕(教育研究者)
「教員はサービス業だから。」
18年前、当時教育実習生だった僕に、ある教員が誇らしくそう語った。
チャイムの2分前には教室の外で待機し、チャイムと同時に入室。カバーすべき単元を無駄なく授業し、チャイムと同時に授業を終え、生徒と会話をする間もなく教室を後にする。
授業を提供することに徹するその姿は、まるで塾講師のようで、確かにきちんとしているように見えた。でも、せっかく早く着いているのに、なぜ教室に入って生徒とふれ合わないのだろう、と違和感だけが僕の中に残った。
「子どもたちにプロのサービスを」というのがその人の自慢だったが、彼の割り切った仕事観に、「プロ」の教師とはいったい何なのかと、逆に考えさせられた。
それとは対照的に、僕が千葉市の中学校で教員をしていた時に出会った師匠、小関康先生の仕事へのアプローチは、サービス業とは正反対にある。
たとえば、小関先生は朝の会も帰りの会も、時間通りには行かない。特に中学3年生の学級では、チャイムが鳴っても意図して教室には向かわない。
職員室でパソコンに向かってみたり、ふらっと他のクラスを覗いて回ったりする。それでも、自分たちで考える癖をつけられている小関学級の生徒たちは、声をかけ合い、自分たちで朝の会を始めている。
帰りの会も、小関先生が職員室で事務「作業」をしていると、生徒が自分たちで調べて連絡事項の伝達をすべておこない、一日の反省を終えた時点で学級委員が呼びに来る。「全部終わりました。先生の話、お願いします」。それから、小関先生がその日感じたことを、こんこんと語るのだ。
掃除なども、一見、小関先生は生徒と楽しそうにおしゃべりしているだけにしか見えない。それでも掃除はきちんと終わり、小関学級にはゴミ一つない。落ちていても、生徒たちがすぐに拾うのだ。
それを見てしまうと、さぼっている生徒には脇目もくれず、自ら必死に掃除している教員は何なのだろう、と考えさせられる。
小関先生は断言する。教員が子どもの機嫌をとるような環境で、子どもが育つわけがない。
しかし今、「教員はサービス業」という認識が、教員の間でも普通になりつつある。そこには「新自由主義」という世界観の広がりが関係している。
フランスの哲学者、ミシェル・フーコーの解釈を借りれば、新自由主義とは、社会のあらゆる活動や関係を経済的に分析する、偏った世界観だ。それによれば、私たち人間は、経済的合理性を行動の基準とする「起業家」となり、子どもは将来の労働力となり、生徒の学力はグローバル経済における国の競争力という位置づけになる。
親にとって、教育は子どもに対する「付加価値的な投資」となり、お金を出して購入する、もしくは納税の見返りとして提供される当然の「サービス」と位置づけられる。教員はそれを提供するサービス労働者、子どもと親はそのサービスを受ける「消費者」、教育委員会はクレームを受け付けるカスタマーサービスへと再定義される。
「教育委員会に訴えてやる!」そんな言葉を聞いたことのある人も少なくないのではないだろうか。教員が子どもの機嫌をとろうとするのも、生徒に対する強い指導が難しくなってきているのも当然だ。
その根底には、「お客様を教育しなければならない」という、教師の存在そのものを揺るがす、新自由主義社会ならではのジレンマがある。この不可能とも言えるジレンマを抱えた学校と教員は、失われた自らの権限を、いかに取り戻すのだろうか。
その一つの答えは、学校がサービス業に徹することで、「プロ」のサービスを生徒に提供することだ。授業以外の学校業務の効率化を図り、テスト対策に特化することで、学力向上や進学率を数字で弾き出せばよい。ただ、そうなれば、塾とは違う学校の役割とは何なのかということになる。
また、学校業務の効率化は図れたとしても、生徒指導などで授業だけに専念できないのが学校の難しさだ。だから、「ゼロトレランス」の名の下に生徒指導をマニュアル化し、機械的に「問題児」を排除するという流れが生まれる。業務の邪魔をするお客様にはご退場いただきますよ、ということだ。それは生徒指導の放棄を意味しており、警察や少年院へのアウトソーシングに他ならない。
学校の塾化も、ゼロトレランスによる「問題児」の排除も、もはや教育とは言えず、ジレンマの解決にもなっていない。教員の働き方改革以上に、今日失われつつある「教師」というしごとそのものを守ることを本気で考えるなら、このジレンマと正面から向き合うことなしに、その成功はありえないのではないだろうか。
鈴木大裕(すずき・だいゆう)教育研究者/町会議員として、高知県土佐町で教育を通した町おこしに取り組んでいる。16歳で米国に留学。修士号取得後に帰国、公立中で6年半教える。後にフルブライト奨学生としてニューヨークの大学院博士課程へ。著書に『崩壊するアメリカの公教育――日本への警告』(岩波書店)。Twitter:@daiyusuzuki
(『月刊クレスコ』2018年5月号より転載)
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