僕らと命のプレリュード 第56話
イグニは、北日本支部から廃病院へ、キューブのワープ機能を使い戻ってきた。
深也に締め上げられた腕が、今になってズキズキと痛む。
(あいつ、意外と馬鹿力だったな)
深也達との戦いを思い出しながら、イグニは小さく微笑む。
(久々に楽しかった。戦争を知らない甘ちゃんだと見くびっていたが、特部の連中、なかやかやりやがる)
イグニが微笑っていると、廊下の向こうからエリスとアリーシャが歩いてきた。
エリスは、彼が腕を押さえているのを見て、慌てて彼に駆け寄る。
「イグニ!腕、どうしたの?」
彼女に心配そうに尋ねられ、イグニはへらりと笑う。
「特部のヤツにやられた。あいつら、なかなかやりやがるぞ」
イグニの笑顔を見て、エリスはムスッと顔をしかめる。
「ちょっと、何で少し嬉しそうなの?」
「何分かりきったこと聞いてんだ?楽しかったからだよ」
イグニが何でもないように言うと、エリスは深く溜息をついた。
「あんたって、ほんっとバカ。この自分勝手な戦闘狂!」
「ははっ!バカで結構。俺は自分が思う通りに生きてんだよ」
イグニは豪快に笑いながらそう言うと、アリーシャの方へ歩いて行った。
「腕痛ぇんだけどさ、なんか薬ねぇ?」
「痛み止めならあるけど……とりあえず診てあげるから、部屋に来て」
「へーい」
2人のやり取りを見ていたエリスは、彼らの方に歩いて行き、イグニの隣でぼそりと呟く。
「……バカイグニ」
彼の怪我が心配だったのだろうか。エリスの表情は少し曇っていた。
(いつも、自分の命は二の次で、戦いとか、他の大事なことばっかりで……その左目だって、エリスのせいで見えなくなった。なんでこいつは、自分の命を大事にしないんだろう)
イグニは、エリスが黙り込んで俯いているのに気づいて、彼女の頭をワシャワシャと撫でる。
エリスは咄嗟に彼の手を払いのけ、真っ赤な顔で彼を睨んだ。
「髪型崩れる!やめなさい!」
「ははっ!悪ぃ悪ぃ」
イグニは彼女に笑顔を見せた後、前を向いて微笑む。
(ぜってぇ、こいつが笑ってられる未来にしてやるからな。戦友)
* * *
イグニは、南の大国バーンで生まれ育った。
バーンは経済的に貧しく、都市部を除く地方の町や村は、荒廃しており治安が悪かった。
イグニの出身地も例外ではない。力の強い人間が偉い。強ければ、誰もを従わせることができる。そんな村で、イグニは暮らしていたのだ。
幼い頃から、イグニは強い炎の力で村の人間を服従させていった。自分よりも強い、本気で自分を倒しに来る相手に打ち勝ち、自分の力を示す。そうやって生きてきたから、彼にとって戦いは呼吸と同じくらい大切な物だった。
──もっと戦いてぇ。強い人間と、命を懸けた戦いをしてぇ。
そんな思いを募らせていた、ある日のこと。バーン軍で部隊長を務めていた歳の離れた兄が、イグニの元へ手紙を送ってきたのだ。
──イグニ。バーン軍へ来い。好きなだけ戦わせてやる。
そう短く書かれた手紙を読んで、イグニは表情を明るくした。
(戦える。強い奴らと、好きなだけ……!)
イグニはすぐにバーン軍本部へ向かい、バーン兵として戦うことを喜んで受け入れた。
しかし……現実は、彼が思うほど甘くはなかった。
* * *
バーン兵となり、戦地に赴くこと数百回。イグニの前に、彼が心待ちにしていたような強い人間は現れなかった。
他国では、戦闘経験の浅い多くの兵士が、国から強制されて戦争へ駆り出されている。どれほど愛国心があっても、どれほど彼らが戦争に勝つことを望んでいても、幼い頃から戦い続けてきたイグニにとっては、赤子の手を捻るようなものだった。
長く続く戦争の間、ひたすらに弱者を蹂躙することを強要される。
──ああ、地獄みてぇだ。弱者の命をむしり取って何になる?俺は何をしてるんだ?
自分がしたいことは、こんなことでは無かったはずだ。しかし、軍にいる以上、上の命令には従わざるを得ない。イグニの心は、次第に活力を失っていった。
そんな彼の葛藤とは裏腹に、彼の功績はどんどんと積み重なっていく。
獄炎のイグニ。いつしか、彼はそう恐れられるようになっていた。
* * *
そんな彼に転機が訪れたのは、ある秋の日のこと。エデン政府軍の軍艦がバーン都市部の港へ侵攻してきたのだ。イグニ達はそれを迎え撃つべく、軍艦に乗り込んだ。
内部へ繫がる扉を破壊し、乗組員を1人残らず青い炎で蹂躙していく。船内は兵士達の亡骸が溢れかえり、地獄のような様相だった。
(どいつもこいつも、手応えがねぇ。まるで、ガキを相手にしてるみてぇだ)
イグニはつまらなそうに船内を歩き、生きている人間がいないか探す。
……しばらく歩いて、イグニはふと足音を止めた。
彼が振り返ると、そこには……銃を構えた、若い銀髪のエデン兵がいたのだ。
彼は、震える手で銃を持ち、イグニを睨み付けている。それを見て、イグニは退屈そうな顔を浮かべながら、掌を彼に向けた。
「悪ぃな」
イグニはエデン兵にそう告げて、青い炎を放つ。
これであいつは終わりだ。そう思っていた。しかし……。
「そうはいかない……!」
エデン兵が足を踏みしめると、突如として地面から水が壁のように噴き出したのだ。
当然ながら、床に穴は空いていない。これは、彼の『水』のアビリティだった。
彼の水の壁が、イグニの炎を防ぐ。湯気が、2人の間に立ちこめた。
イグニは目を見開きながら、湯気の向こう側にいる彼の表情を目に焼き付ける。
エデン兵の彼は、深いマリンブルーの瞳でこちらを睨み付けながら、口を開いた。
「獄炎のイグニ……!お前は、オレがここで倒す!!」
エデン兵の声が耳に入った瞬間、イグニは自然と口角を上げていた。
こいつなら、俺を楽しませてくれる。そう確信したのだ。
「面白ぇ!なら、倒してみせろ!!」
イグニはそう笑うと、連続で青い炎の玉を放った。
エデン兵はそれを躱しながらイグニに迫り、彼の眉間めがけて銃を放つ。
イグニはそれを読んで素早く躱し、拳に炎を宿して彼に殴りかかった。
エデン兵はそれを躱しながら、激しい水流を放ち彼を壁に叩きつける。
体を激しく打ちながらも、イグニは恍惚とした笑顔を崩さずにエデン兵に問う。
「お前、なんて名前だ?」
「何でそんなこと聞くんだ……!」
イグニの問いに対して、エデン兵は険しい顔で問いを重ねる。イグニはそれに嫌な顔をせず、へらりと笑って答えた。
「お前は俺を楽しませてくれる程強いからな。名前ぐらい聞いときたいんだ」
イグニの言葉を聞き、エデン兵は少し迷いを見せたが、やがて答えた。
「オレはテオ。テオ・シモンだ」
「テオっていうのか。良くわかんねぇが、良い名前だ」
イグニは体勢を立て直し、彼に歩み寄りながら楽しそうな笑顔を見せる。
「お前のこと、覚えたぞ。お前とは……いつか、戦争が終わっても戦いてぇ」
──戦争が終わっても。その言葉を聞いたテオの顔色が変わる。
「お前らが、望んで戦争を続けてるんだろ……?」
テオは戸惑いの表情を浮かべながら、イグニに一歩近寄る。
「お前らの国が……他国を潰すまで戦争をやめるつもりがないから、オレ達はお前らを倒さなきゃいけない。そうじゃ、ないのか……?」
困惑するテオの様子を見て、イグニは豪快に笑う。
彼はもう、思い出していた。自分が何を望んでいるのか。そして、何をすべきなのか。
「戦争を続けてぇのは上の人間だけだ!俺は、強い奴と戦えればそれでいい!……戦争なんてくだらねぇこと、今すぐにでもやめてやる!」
イグニの答えを聞き、テオは目を見開く。
戦争をしている当事国に、こんな風に戦争をくだらないと笑い飛ばす人間がいることが、テオには驚きだった。
そして、それと同時に……テオの胸に希望が生まれる。
戦争を望まない人間が、他国にも大勢いるのなら……この戦争は、終わるんじゃないか。大切な幼なじみが平和に暮らせる世界が来るんじゃないのか。そんな希望が。
「……なぁ、イグニ。オレと協力しないか?」
つい、テオの口からそんな言葉が漏れた。
「は?」
「戦争、くだらないんだろ?だったら、終わりにしよう!上の人間を……戦争を望む人間を倒して……!」
そう言うテオに対して、イグニはニヤリと笑って告げる。
「いいぜ。但し……お前が俺を倒せたらだ!!」
イグニの言葉を聞き、テオは覚悟を決めて頷いた。
「望むところだ!絶対にお前を倒す!!」
テオはそう叫び腕を大きく振るった。
すると、イグニの周囲に水が大きな渦を巻き、彼の動きを封じたのだ。
(まずは行動範囲を奪う……悪くねぇ。だが甘い!!)
イグニはテオがいる正面へ向かって、青い炎を放った。
イグニの強い炎が、水の渦を貫いてテオに迫る。
「俺の勝ちだ!!」
イグニはそう確信して、豪快に笑った。
……しかし。
「甘い!!」
テオがいたのは、イグニの正面ではない。
イグニの……真後ろだった。
「何……!?」
テオはイグニを蹴り倒すと、銃口を彼に向けた。
「動いたら撃つ。……降参しろ。オレの勝ちだ」
「……はは。お前、マジでやるじゃねえか」
イグニは起き上がり、その場にあぐらをかいて両手を上げた。
「今回は負けを認めてやる。だが、次は俺が勝つからな」
「……次の戦いをする前に、オレに協力しろ。約束しただろ?」
「おう、分かってる!」
イグニは頷いてカラリと笑う。それを見たテオの表情にも、安堵の色が浮かんだ。
「じゃ、まず手始めに……バーン軍を沈めっか」
イグニは立ち上がり、テオを連れたまま軍艦を脱出しようと歩き始めた。
しかし、その時。
彼の足元に、何者かが銃を放った。
「なっ……!?」
イグニが驚いていると、炎の向こうから短い赤髪のバーン兵が銃を片手に歩いてきたのだ。
「イグニ、何してる」
「……兄貴」
彼は、フラム・ターナー。イグニの10歳年上の兄で、彼の上官だった。
フラムは、テオを見るなり顔をしかめる。
「まだネズミが残っていたか」
フラムは、銃口をテオに向けた。それ見て、イグニは慌てて叫ぶ。
「やめろ!!」
「何故だ?」
「こいつは……こいつは、俺の戦友だからだ!!」
イグニの言葉を聞いたフラムは、眉間にしわを寄せた。
「エデンの兵士が戦友だと?馬鹿げてる。奴らは敵だ。バーンを脅かす敵だ」
「っ……!馬鹿げてんのは兄貴の方だろ!!」
イグニはフラムに声を荒げた。
「バーンの人間を脅かしてんのは、他国の兵士じゃねぇ!戦争を続ける馬鹿な人間達だ!!俺は、もうそいつらの言いなりになるのはごめんだ!俺は、俺の思うように生きる……!!」
「……そうか」
フラムは静かにそう呟き、冷酷な顔でイグニに銃口を向けた。
「なら、死ね。国に従えない人間は軍に必要ない」
フラムが引き金を引いた、その一瞬前。
「イグニ!!」
テオが、彼の前に立ちはだかっていた。
銃弾が、テオの体に打ち込まれる。
「テオ!!」
テオは、血を流しながらその場に倒れ込んだ。イグニは彼を抱き起こしながら、フラムを睨む。
「兄貴、よくも……!」
しかし、フラムは動じずに、イグニに銃口を向けた。
「これで分かっただろう。イグニ、私に逆らうな。国のために動けないなら……私は容赦なくお前を殺す」
「っ……!」
フラムの殺気を感じ、イグニは口を噤んでしまう。それを見て、フラムは静かに告げた。
「死にたくなければ、任務を果たせ。……兵士を1人残らず倒して、とっとと引き上げろ」
フラムはそれだけ言うと、軍艦の中の他の兵士を探しに行ってしまった。
「イグニ……」
テオの声が聞こえ、イグニはすぐに我に返った。
「おい、死ぬな!俺はまだ、お前と……」
「頼む、聞いてくれ……」
テオは口からも血を流しながら、イグニに向かって告げた。
「エデンに……アカデミーに、オレの幼なじみがいるんだ。オレンジ色の、ツインテールの女の子……」
「え……?」
「その子のこと……頼んでいいか?寂しがり屋で、1人に、しておけないんだ……」
テオはそこまで言うと、微笑んだ。
「オレ、世界を平和にするだなんて……大きすぎる目標のために、戦争を終わらせたい訳じゃないんだ。……大事な、幼なじみが……笑顔で暮らせてる未来が、来て欲しいから……戦争を、終わらせたいんだ……」
テオは、どんどんと冷えていく体に鞭を打ちながら、必死に言葉を紡いだ。
「……!そ、その幼なじみの名前は!?」
イグニが慌てて問うと、テオは優しい笑顔で彼女の名前を告げた。
「エリス……。エリス・カーライル……」
「エリスだな……!分かった、戦友直々の頼みだ。俺に任せろ!」
「あ、ありがと、う……」
イグニに礼を告げ終えて、満足したかのように……テオは事切れた。
イグニは彼を床に寝かせて立ち上がると、覚悟を決めた表情で歩き出した。
彼の幼なじみを守る。何があっても、たとえ祖国を敵に回しても。
そして、いつか……戦友が望んだ、エリスが笑っていられる世界にする。そんな世界に、彼女を連れて行く。
そう、心に決めたのだ。
その後、イグニはエデンへ行くために、アカデミー襲撃へ自ら志願した。
そして、アカデミーの中で、戦争を支持し戦友の命を奪った兄フラムを丸焼きにして殺し……アカデミーの目の前で、膝をついているエリスを見つけた。
その日、彼女の手を引いて以来……イグニは、ずっとエリスのことを守ろうと心に決めている。
そして、エリスやテオが望んだ、大切な人が笑顔でいられる平和な未来のために、ノエルに賛同して彼に協力しているのだ。
戦争のない、平和な未来を作ることが、戦友への弔いになる。そう信じて。
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