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孤独は大事な指標


「もっともっとやれたのに、やりきれなかった」

という思いで、日が沈んだ夜道に出ると言いようもない孤独と不安が過りました。


孤独には種類があって、
繁殖しなければならない動物的孤独と、内省的孤独があるとしたら、
人間は精一杯やらないと内省的に孤独を感じるようにできていると感じます。

少なくとも僕はそうです。


例えばコンクール。

コンクールはいかにも分かりやすく明確な目標設定です。
稚拙に言うと、「簡単に」精一杯頑張れます。

僕の場合は肉体的にも精神的にも究極まで自分自身で追い詰めてきました。

どうしたら良い、
どう進める、
という方法論も最初は誰も教えてくれる人は居なくて、
全て自分一人で扉をこじ開けて来ました。

大変さも誰も分からない、
他人は完全に他人事、、

みんなが帰っていく中、
みんなが遊んでる中、
みんなが寝てる中、

疲弊し朦朧とした中、

一人真夜中、一人朝方、、
一人悩み、一人手探り、、

そんな日々が長く続きます。
でも全く孤独は感じませんでした。

孤独な闘いなのに、孤独は感じないのです。

何故か、
それは精一杯やっているからです。




明確な目標設定が分からない、
から、
漠然とやらない。

孤独が押し寄せます。


「精一杯やれなかった」
いや、
「やらなかった」。

孤独が押し寄せます。



その孤独を感じた時に最も害悪になるもの。
それは「対症療法」だと感じます。

孤独を感じた際に、
コンテンツの海に飛び込んで動画やゲーム、
人に会ってただ時間をやり過ごしたり、
お酒を飲んでみたり、
寝たり。

そうすると不思議とさっきまで感じていた孤独はどこへやら。


これらは100害あって1利なしの、対症療法であり、
大事な指標を麻痺させ、問題を先送りにしているだけのことに過ぎません。

必ず問題はより大きくなってその先にふりかかってくるのではないでしょうか。



人間の精神衛生的に、
「成長している」
「ものごとが進んでいる」
ことが実感できること、数字で可視化されることは良好で、
うつの人にも非常に有効といった事も聞きます。



とにかく答えはシンプルで、
人間は、
精一杯やり続けること。
目標に向かい続けること。

それらは目標が健全であれば、
自分の人生において良い事しかない、ということだと思います。


今日、
やれなかった分、
いや、
やらなかった分を取り返しましょう!

孤独という大事な指標を武器に。



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