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それぞれの舌圧子の使い方 #deleteCリレー連載 (7/8)

その男の子はお母さんに抱きついたまま大きな泣き声とともに診察室に入ってきた。

怯えた瞳を少しだけこちらにみせ、すぐにお母さんに抱きつくように反対を向いてまた泣き出した。

「お湯を手にこぼしちゃったんです」

心配そうな母親の表情。

ぼくはできる限りやさしい声色を心がけ、静かにその子に話しかけた。

「痛いことしないから見せてくれるかな?」

看護師さんが穏やかに「大丈夫よ」と応援にはいる。

やけどした直後から病院に来るまで一生懸命冷やしていたのだろう。その小さな左手は冷たく、お湯がかかった部位はうっすらと赤い。

「今の段階では確実なことは言えませんが」

ぼくは医者特有の言い訳じみた枕詞を先に持ち出し母親に説明する。

「水ぶくれもないですし、これならお薬を塗れば跡も残らずに治ると思います」

「よかった」

母親の安心そうな表情と対象的に、男の子は怖がって泣いたままだ。

「よし、がんばってお薬を塗ろう」

ぼくが言い終わるよりもはやく、看護師さんはガーゼと軟膏を取り出し処置の準備を始めた。

これ以上泣かせないように、ゆっくり丁寧に言葉をかけた。

「痛くないからね」

電子カルテにずらっと並んだ受付患者一覧が目に入る。


みなさんは舌圧子(ぜつあつし)をご存知だろうか?

かぜをひいて医者に喉の奥をみせるとき、口のなかに突っ込まれる金属や木でできたヘラ。あれが舌圧子。

皮膚科医は扁桃腺の腫れを確認することは少ないが、皮膚科の診察室には使い捨ての舌圧子がたくさんある。なぜなら軟膏を塗るとき、サイズといい重さといい使い捨てができる点も含め舌圧子が便利だからだ。


舌圧子を包んだ紙の包装を破り、その先に絞り出した軟膏を乗せ、ぼくは塗る準備を万端にした。

「痛くないから大丈夫」

もう一度口に出し立ち上がったものの、男の子は再びお母さんに抱きつき、患部はまた母の背中へと遠のいた。


「さわってみて」

看護師さんが新しい舌圧子をさっとその子に差し出した。

「ここにお薬をつけて手に塗るだけだから痛くないよ」

男の子はおそるおそる指先で舌圧子を触る。

「ほら」

そう言いながら看護師さんは舌圧子で軟膏を塗るふりをする。

「痛くないでしょ?」

小さな頭がうなづく。

「じゃあ、お薬を塗ろうか」

小さな頭が再びうなづいた。


ぼくたちは知らないことに直面すると恐怖を感じる。

子供の頃、舌圧子を使って喉の奥を見られるのは怖かったし、大人になってからも怖いものはたくさんある。

ただ、ほんの少し知るだけで怖さが解消されることがある。

病院での注射が好きな人はいないだろうが、たいていの大人は注射で泣かない。”あれくらいの痛さ”がわかっているし、それなら我慢ができることを知っている。

がんになると目の前に知らないことが一気に出現する。だから怖い。

手術はやっぱり痛いのか?抗がん剤は苦しいのか?私はこれからどうなっていくのだろう?

不安と恐怖は、つい昨日まで痛くも痒くもなかった日常を苦しいものへと変える力を持つ。


怖いかもしれないが、知ることは大事だ。

知ることで余計な不安は消える。

しかし、知ろうとするのならば正しく知ることが大事だ。

間違った情報は偽りの安心を与える。

その先にあるのは絶望だ。

病気になる前に医療について正しく知っておくことは今後確実に役に立つ。


がんを消す。

がん研究に携わるものとしての究極の目標だ。

研究者として諦めちゃいけないゴールだ。

ただ、ゴールはとてもとても遠い。

研究は失敗の連続だし、次から次へと目の前にハードルが現れる。

それでも、ゴールに辿り着くまで

ぼくらにだってできることはある。

舌圧子を子供の目の前にもっていき安心を与えた

あの看護師さんのように、

がん研究者にもできることはある。

ぼくは「がんについて正しく伝える」ことで

できる限り患者さんの不安を消したいと思う。

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大塚篤司(delete Cリレー連載 vol. 7)

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