患者さんの気持ちがわかるという勘違い

ラムゼイ・ハント症候群という病気がある。

水ぼうそうと同じウイルスである帯状疱疹ウイルスが、顔面神経に感染(再活性化)し、顔面神経麻痺を起こす病気。

私は昔、ラムゼイ・ハント症候群にかかったことがある。

スイスへの留学を控えたある日、右耳の入り口から奥にかけて痛みが出現した。

耳掃除した後だったことから、細菌感染を考え抗生剤を飲み始めたが症状は改善しなかった。

そのうち、右目は閉じなくなり飲み物が口からこぼれるようになり”ラムゼイ・ハント症候群”だと気がついた。

院内の耳鼻科の医師に診察してもらい、抗ウイルス剤の内服とステロイドパルス療法を開始することになった。

顔面神経麻痺が残る可能性について説明を受け、真っ暗闇の中に落とされたような、そんな重い気持ちになったのを今でも覚えている。

私が医者になった理由の一つは、自分が小児喘息だったからだ。

喘息で通院や入退院を繰り返したことで、医者という職業を身近に感じていた。

病気で苦しんでいる人を助ける医者の仕事が素敵だと思っていたし、喘息の経験が活かせると思った。

私は患者さんの気持ちがわかる、という自惚れもあった。

勘違いしている人ほどやっかいなものはない。

そして、勘違いに気がつくには「経験」が必要だ。

私は、麻痺が出た顔面を鏡で見ながら、はじめてなにもわかっていないことに気がついた。

元の顔に戻らないかもしれないという不安を抱えながらの生活。

麻痺を隠すつもりでマスクをすれば「風邪?」と聞かれる。正直ほっといてほしい、と思った。

周りからみたらとても些細なことに映ったのかもしれない。「患者さんの気持ちがわかるようになってよかったね」と軽く言われた時はとても腹がたった。

病気にかかる前には想像していなかった自分の心の動き。

私がわかっていたのは、物心ついた時から病気をしていた「自分の心」だけだった。

どんな言葉に自分が傷つくのか、私自身がわかっていなかったと思う。

当事者でないとわからない苦しみがある。

忙しさを言い訳に深く考えず、なんでもわかっているような振る舞いをしてしまう自分がいる。

裏付けもなく、簡単にわかると言う医療従事者は、わかっていないことがわかっていない。

「ありがとうございました。」と診察室を去っていく患者さん言葉の陰には、医療従事者には伝えない押し殺した気持ちがあることを忘れずにいたい。

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大塚 篤司
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