橋の下世界音楽祭という「場所」

 愛知県豊田市に、タートルアイランドというパンクバンドがいて、そのバンドのボーカルの永山愛樹(よしき)という男がいるのを知ってる人は全国的にはあまりいないと思う。
 この永山愛樹という男、これまた何と表現すべきか。彼がステージで語る言葉、メロディに乗せられて歌われる詩から感じるのは、山のような、海のような、空のような、大地のような、炎のような、自然のファイブエレメンツにきわめて近いエネルギー。そのエネルギーをぎゅっと固めて小学生男子の衝動性と行動力を加え、入れ墨でコーティングした、なかなかすごい人物なのである。

 世の中というマジョリティの中では決して注目されたりすることはないポジションで、地道に自分の闘いを行っている人というのがいる。私は昭和50年代末辺りからパンク音楽に触れ、そのままなんとなく50歳を迎えてしまったのだが、35年間近く「パンク」というカルチャー全体を眺めて生きてきている。10代の頃思ったのは「私が感じている怒りと、海外パンクバンドの怒っている先は違う、土壌が違うからあんまり関係ない。なんせ労働階級が日本には明確にないし、パンク聞いてる人たちは大体が普通のお育ち(私も含む)甘いんじゃ!」と。また、子供心に「セックスピストルズが英国皇室を誹謗したからこっちは天皇揶揄なのは安易すぎる、ひねりがない、ださい!」と思ったし、どこかoioiできない自分がいたりでわりと冷静に眺めていたパンク少女だったと思う。しかし、そこにスターリンが登場し自体は一点する。
 土着。日本の風土がそこにはあり、歌詞の意味はわからねど地の底から湧き上がるような、額の血管が浮き上がってドクドクと脈打つような、そんな直球な怒りのエネルギーを感じた。遠藤ミチロウ、現在67歳。私にとって昭和パンクのイコンである、今までもこれからもずっと。そして昭和のあの日に体感した「怒りの火」は未だ消えず、遠藤ミチロウは静かに怒り続けているのだが、それはまた別の機会に。

 そして世の中には怒り続けているオジサンが一定数存在しており、その方向性や表現方法は様々だが、遠藤ミチロウはもちろん文頭に挙げた永山愛樹、関東では切腹ピストルズの紅緒隊長、それから柳家睦あたりがパンク枠「怒ってるんだぞオジサン」として頭に浮かぶ。
 パンクカルチャーというのは大きく言えば「反体制」なんだろな、とぼんやり思っているのだが正しいだろうか。子供の頃は親が嫌いだったし学校も大嫌いだったし。社会も憎かったし、みんな燃えてしまえと思っていたので「自分の非力では変えることができない普遍的な大きな存在」ツバを吐き続けるのがパンクなのだろうと私は定義している。余談だけれど、そうだからボリスヴィアンなんかがカッコイイ!と流行るんだろう。

 さて、永山愛樹が東日本大震災を機にスタートさせた「橋の下世界音楽祭」である。私がグダグダ書くよりはすっきりと概要はこちらをご覧いただき、趣旨文から読み取ってほしい。


前述の切腹ピストルズ関連で参加するようになって、毎年「祭りの後」の雑感が変化していくのを感じていて、私はそれについて書きたいのだがずいぶんと前ふりが長くなった。閑話休題。

 何かせずにはいられない、そういう気持ちになった時に「一パンク人(イチパンクビト)」は何をするのか。怒りをぶつける相手は大きな存在、体制だ。それには個では無力すぎる。ライブハウスで飲んだくれて大暴れして客と喧嘩してもそれは怒りの発散でしかなく「個の怒りの消化」で終わる。戦う相手が大きいならこちらのエネルギーも個では足りない、大勢の怒りのエネルギーが必要だ。眠っている心を目覚めさせて、決起させるにはどうしたらいいのか?音楽だけでは足りない、アミニズム的に遺伝子に埋め込まれている祭で心の中の何かを動かそう、と思いついたのではないか。
 私は昔から「音楽で世界を変える」というのは戯言だと思っている、音楽では政治も変わらない、平和も来ない。けれど、イヤホンから流れてくる音楽で聴いている人が優しい気持ちになれたら、そういう人が増えたら世界が優しくなることはあるだろう。
 永山愛樹が仕掛ける祭からは「自分の怒りに気づいて、それをそのままにせず行動して自分の身の周りを変えろ。お前のエネルギーを行動力の導火線につなげ、そして自ら動け、そしたら世界は変わる」という呼びかけが聞こえてくる。1人が気づいて行動すれば世界はいつか変わる、そういうスイッチを入れる祭が「橋の下世界音楽祭」なのだ。Soul Beat Asia、命のエネルギーに火をつけるスターター、まさにそういう祭と思っていた。

 性善説とは優しい人間が持つ儚い希望なのか。
 今、2018年の祭を終えてそんな思いが頭の中をぐるぐるしている。橋の下世界音楽祭運営は永山愛樹率いるタートルアイランドのバンドメンバー、そして「ぬ組」の皆さんとボランティアの方達だ。補助金も助成金ももらわずに自らの祭りをみずからの手で組み上げて開催し、解体して更地に戻す。補助金や助成金は行動を縛る、自由の祭の根源が揺らいでしまう。その代わり、自分たちの時間と体を駆使して実現する。
 まさに「自分が動け」を体現してあの幻の町が現れるのだ。
 来場者は毎年増えている、今年もたぶん去年を上回る来場者があったと思う。でもそのほとんどが永山氏が仕掛けている「自ら動け」をまるきり他人まかせにしているお客様だったのは否めない。「無料フェス」と称することがどれだけ橋の下世界音楽祭を侮辱しているかまったく気づかない人達。お客の視点から一ミリも動かない完全なる消費者の皆様方。今年7回目にして「一区切り」という文字もちらちらと見えている昨今、橋の下世界音楽祭への正しい参加の仕方はなんだろう?と考えている一週間だった。
 
 会場でたくさん飲み食いをしてお金を落とせば良いの?
 投げ銭をたくさんしたらオッケー?
 設営解体ボランティアに参加したなら胸を張れるのか?

 運営側は何一つ「●●しなさい」というルールを決めていない、自由だ。橋の下のルールは「自分で気づいて、自分で決めて動く」のだ。来場する側はなんという高度なことを求められているのだろう。シンプルで、かつとても難しい正解のないクイズ。ルールは自由です、というルールは一番責任が伴うことにまず気づいていないと、このクイズが設定されていることさえにも気がつかないで終わってしまう。
 宗教戒律は厳しければ厳しいほど、信仰心が深いことを体感できる。ある意味、正解を与えられて行動できるのだから厳しい戒律を厳密に守っていれば安全だ。橋の下世界音楽祭はノーヒントでルールは自分で考えて、行動を決めて体現する場所だとすると、自分で自分を試す鍛錬の場でもあるのではないかと思ったりする。
 人間、狡いことはいくらでも出来る生き物だ。見ている人がいなければなんだって自由勝手に出来る。あの場にそういう来場者の人達はたくさんいただろうし、実際にこっそりトイレに置き去りにされたゴミやビール缶がそれを証明していた。遊びに来る場所でもあるけれど、自分に課されたものもある、そいう場所があの豊田大橋の下なのに。

 永山愛樹は別に多くを語らない。せっかく与えられたあの場所で、遊ぶだけあそんで、楽しむだけ楽しんで、何の学びも気づきもなくわいわいと去っていたあまねく人達よ。来年もあると思うな橋の下。その参加の仕方も人間らしくて良いなとチラっと思う瞬間もある。しかし運営サイドは「遊び場所を無償提供するほどこっちは暇じゃねえよ」って思ってるのかもしれないし、もう次の何かを見ているのかもしれない。そこはわからねど、毎年まいとし本当にその労力に頭が下がるし感謝しかない。ありがとうございます。

 橋の下世界音楽祭に参加する来場者の一人として、私が思う私の正解は「自分の心に恥じることが一つもない、まっさらな気持ちで橋の下から帰ろう」だ。おてんとうさまは見ている。人は見てなくても自分は知ってる。
 橋の下で気づいたそんなキレイな気持ちで毎日を過ごせるようになったら、それはパンク的闘争とはほど遠いけれども、身の回りが変わるきっかけにはなるだろう。そしてあそこに来ていた来場者がみな、そんな土産を自分の生活に持ち帰れればきっと何かが変わる、世界が橋の下から変わっていく可能性が見えてくる。

 来年もしまた橋の下世界音楽祭があるとしたら、是非来場してみて自分の心に何かの火が灯る瞬間を体感してほしい。

 怒れるパンクおじさんはカッコイイんだ。

(文中敬称略です、すみません)


 

 


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