どこかに美しい村はあるか
地元明石の次に、大好きな神戸の谷合のまち塩屋。旧明石藩の東の端に位置する神戸はハイカラで、これまた大好きな洋館、旧グッゲンハイム邸があります。
週末、様々な催事の会場にもなる、この古い異人館で開かれた、小さな映画観賞会に出かけました。若干一時間のドキュメンタリー映画は“どこかに美しい村はないか”という題が充てられていました。
今日のシェアは、雪の降らない冬の播磨で見た、長い冬を持つ雪国を舞台にした映画の感想と、人の持つ力について。
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詩人の故茨木のり子さんが詠んだ“六月”という詩があるという。演出家は、そこに着想を得て、映画の表題にもなった“美しい村”を探したそう。探しあてた“遠野”は、柳田國男や宮沢賢治ゆかりの場所。隣街の花巻や釜石にあって、遠野に無いもの。それはイオンモールで、目立つ大きな道路看板も少ないそうだ。
そういえば、私たちの故郷明石の海はなぜ美しいか、その根拠のひとつとして、西を見ても東をみても、突出したコンビナートが見えないことだと、県外から来た先輩が教えてくれたのを思い出した。
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六月
どこかに美しい村はないか
一日の仕事の終りには一杯の黒麦酒
鍬を立てかけ 籠を置き
男も女も大きなジョッキをかたむける
どこかに美しい街はないか
食べられる実をつけた街路樹が
どこまでも続き すみれいろした夕暮は
若者のやさしいさざめきで満ち満ちる
どこかに美しい人と人との力はないか
同じ時代をともに生きる
したしさとおかしさとそうして怒りが
鋭い力となって たちあらわれる
『見えない配達夫』(1958年刊行)所収
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話を映画に戻そう。かつての暮らしへの郷愁を誘うことや、回顧主義的な映画にはしたくなかったと、上映会に立ち合いをされた演出家は話した。だから、村で見つけた若い責任世代の百姓、菊池さん夫婦を中心に、ストーリーは進む。
無農薬、無肥料栽培を志した菊地さん夫婦。「ただ、農薬と肥料を使わなければいいだけだと思った。でも現実は違った。迫られる自然の摂理への習熟と、自然と寄り添う日々の繰り返しだった。」とは振り返りの弁。
自然との関わりの中で、知らなかったことを知り、知らないことは、自然から学ぶか、先人に聞くしかない。
「自然との関わり合いは、そのほとんどがハッピーとは反対の事が多い。辛かったり、哀しかったり。けれども、少しの達成感や、美味しいのひとことに救われ、それを味わうために、また頑張ろうと思った。それを積み重ねてきた。」
「知らないことを、先人に聞けるのは、先人がいる間だけだ。語り継ぎ、受け継ぐことはとても大切である。」
僕の解釈を加えると、そんな風な事を、次代を背負う農家として、菊池さん夫婦は、映画の中で話していた。
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田んぼで手掛けた米は、毎年同じようで全く違う。左の田んぼと右の田んぼでできる米も違う。菊池さんの経験談は、まさに家つくりと同じである。
住まい手、建てる場所、建てる時期、ひとつとして同じものはない。けれども、住み暮らす人と、つくる人間が、互いに納得いくものをつくりあげることを、よしとする。道中、喧々諤々やったのち、暮らしが始まってからでないと、良し悪しを理解してもらえない事もある。
とても難しい仕事だけれど、だからこそやりがいがあり、逃げず、腐らず、諦めず、誰かが向き合い続けないと、住文化はすたれ、大工の舞台は潰える。
住まい手とつくり手それぞれが、これまでに養ってきた自然の摂理への理解を出し合って、ええもん、ええ家に昇華させるのだ。
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上映後、何より菊池さんのつくったお米は「おいしい」と演出家は笑って話してくれた。家をつくる時、長い道のりを終え、ようやく及第点を押してもらえるとすれば「住んでよし」と言う感想だろう。
風の時代に、完成までのプロセスにも、心を寄せてもらうのは一苦労だ。他人同士が腹を割って、心の底から共感、協働するのは難しい。けれども、ふとした時に、住まい手がちゃんと豊かさを感じることができるような、家であって欲しいと願う。
そして願わくば、世話が焼ける不器用なつくり手のことを、盟友を紹介するように、住まい手が誰かに語ってくれるような関係で在りたい。住まい手とつくり手が、そんな兄弟のような在り方で、二人三脚でつくる時間を共有できたら嬉しい。
その為に、相変わらず凡事が徹底できない自らに、知行を合一できる人間であるべきと戒める毎日を過ごしている。