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#8: 芸術の道を目指していた政治家が考える「芸術をいかした国づくり」

大阪第11選挙区(枚方市・交野市)支部長の大辻さやです。

枚方の皆さま、現在の御殿山生涯学習美術センターがある場所に大阪美術学校という教育機関があったのをご存じでしょうか。
本日、市民講座でその歴史的経緯を学んできて大変感銘を受けたのでまとめてみました。

枚方の鍵屋資料館では面白い講座が多く、よく学びに行っています!

歴史

日本に多くの近代美術教育機関が設立

明治時代、様々な外国文化が日本に輸入され、外国の概念が多く日本語に訳されました。「美術」という言葉もこの時代にドイツ語の和訳として生まれました。(別のnoteにも書いた気がしますが、この時代の翻訳家たちの凄さたるや…外国で生まれた概念や文化を今の私たちが日本語で享受できていることに感謝です)
そんな時代の中で明治初期に工部省管轄の工部美術学校が東京で設立され、その後京都でも京都府画学校(現・京都市立芸術大学)が開校、その数年後には東京美術学校(現・東京藝術大学)が設立されるなど、相次いで近代美術教育機関が設立されたそうです。

大阪にも美術学校が誕生

そんな中、「我國での商工業都市である此大阪の美術が知らず知らずの裡に荒んで行く事を手を空しくゐる事が出来やうか」と、強い使命感をもった画家、矢野橋村が大阪美術学校を設立(いつの時代も熱い志をもった人が歴史を動かしてきたのだと嬉しくなりますね)。昭和にこの学校が大阪市内から御殿山に移転されました。当時御殿山では村と京阪電鉄とで村おこしや沿線の文化的向上を目指して学校を誘致したそうです。大阪美術学校御殿山校舎は「芸術発生地」として、幅広い科目を設けており、運動場や植物園を作って民衆に公開する計画まで作られていたそうです。しかしその後、地域での火薬庫爆発事故や大戦の影響で、終戦1年前に閉校しました。

大阪美術学校の現在

この学校の跡地には1987年に御殿山美術センターが建てられ、2006年からは生涯学習施設として市民サークルの活動の場となっています(私もよくお邪魔しています!)。「市民のアトリエ」を目指す画期的な施設として、全国の自治体が多数見学にいらしているそうです。

芸術振興に対する私の考え

私は国づくり・街づくりは、他国/他地域のスタイルをそのまま適用するのではなく、その土地ならではの歴史や伝統を踏まえて進めるべきだと思っています。そのため本日お伺いした「記憶遺産としての美術をいかした街づくり」のお話は大変共感する部分が大きかったです。
また、私自身が芸術の道を志していたこともあり(高校3年生まではピアニストを本格的に目指しており、音大を志望していました)、次世代の芸術家育成に取り組みたいという思いを強く持っています。本日の講座でも「芸術の振興を推進するために、公共サイドではどのような視点・人材が必要か」という問いを提起したところ、「まず芸術振興を重要視してくれる人材が少ない。期待している。」とのお声をいただきました。芸術の道を追求することの難しさを理解しているからこそ打ち出せる政策を関係者の皆さまと考え、作り上げていきたいです。

私は日本から多くの芸術家が生まれることは国の豊かさにつながると考えています。私の思い描く「強くて明るい日本」実現のために、才能ある個人が生まれ育った環境に関わらず芸術の道を歩めるような環境づくりを進めていきたいと思います。

最後に

これからも枚方・交野で芸術の道を目指す皆さまを応援してまいります!
今回のnoteでは美術に限って書かせていただきましたが、音楽や舞踊、スポーツ等も同様に国をあげて応援していかなければいけないと考えているので、今後も幅広く情報収集をし、私にできることを考えていきたいと思っています。
ジャンル問わず、おすすめのアーティスト・拠点等をご存じの皆さま、ぜひ教えてください!

最近注目しているジャンルのひとつがe-sports!

最後までお読みいただきましてありがとうございました♪

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