「伝えたい思い」を話し切る事が大事なんじゃないだろうか?言いたいことが分かるまで続けることも大事なことだよね。
そう、きっとこのどちらかしかなくって、ゴールにつかないから続けるという選択の中で人生は続いているのじゃないでしょう?
珍しく「談」
久しぶりな「談」
「愛のコミュニケーション」にするんだったかな?
ちょっとこれは違うんです。そういうんじゃない。
問いかけてはいるけど、この問いかけは自らの心に問いかけている独り言なんです。
私はそういう独り言をよく書きます。
これもその一つ。でも、伝えたいことがある。
独り言の中に、伝えたい思いがある。
だから、書き出しているのかもしれません。
何を最終的に、回答として語りかけるのか分からず見切り発車する場合もあるでしょう。
そういう時でも、文章を続けて書いていればパッと開ける時があります。
支離滅裂で答えが出ないまま終わる時もあります。
そんな時、誰かからコメントが入ってそのコメントに救われる事もあるんですね。
だから独り言でもいい。伝えること、思いを届けること、続けることは大事なんだと思います。
私が「談」を書く時は、ほぼ「イライラ」「怒り」などの感情が爆発してフラストレーションやストレスの解消でだば~~と書いちゃうことが多いのですが、こういう穏やかに物思いにふけて、そう睡眠と伴ってナチュラル・ハイっぽい感じでだば~~と書くこともあります。
そりゃ、まとまりのない文章で読みづらい点も沢山あるでしょう。
そういう部分からでも、読んでいただいて察してくれる人はいるんですね。まさにニュータイプです!
そういうニュータイプに救われることが多いです。
多感な人、共感力の高い人は、人の文章を読み解く力があります。
聞く耳のある人の力は偉大です。
でも、必ずいます。
だから、どんなに下手な書き方であろうとも、自分の気持ちをセーブしなくてもよいのではないでしょうか?
そうそう、悪口とか陰口を言ってしまう人もいるでしょう?そして、他人から責められて、終いには炎上しちゃうなんて事もありますね。
あなたの素行が身を滅ぼすのは、インターネットだからではありません。
インターネットでは言いたいことも言えないんじゃない。あなたの言いたいことは普段リアルでも言ってはいけないことかもしれないという認識があって言っているのでしょうか?という部分を忘れてはいけません。
他人を傷つけることは誰にでもあります。
それが正しい批評なのか、素行の悪い悪口なのか、それだけの違いではないでしょうか?
自分は正しいという上から目線や固定概念が拭いきれない人には難しいことだと思います。
まず、自らを否定し、自らを正し、自らを肯定する。その流れの中で伝えたい思いを書き出す。
人が迷うように、このサイクルは検証を繰り返しながら一つの回答を教えてくれるかもしれません。
その過程の失敗ならば、その失敗は正しい成果となってあなたのもとに帰ってきます。
必ず。
お前はこうだろうなんて、絶対に他人は言えない。
自分の人生経験と、他人の人生経験が違うように、人々の回答は、決して同じ回答にはならない。しかし、「それでも」
思いを形にすれば、人の気持ちが響き合い共感する事があります。
その人の気持ちが、共感した響き合いが、世界を少しづつ良い方向に変えていくのではないでしょうか?
あなたの中に眠る真実の思いは、誰の心にも共通して存在しているダイヤモンドなのかもしれません。
その宝石を発掘して輝かせるには、原石を磨いていかなければならないのではないでしょうか?
まずは発掘。次に磨き上げる。どんなに小さな真実の宝石が掘り起こされるのかはまだわかりません。真実がそこにはなかった宝石がみつからなかったという結果にだって成りかねないのです。
「それでも」
最後まで磨き上げる。「伝えたい思い」を話し切る事が大事なのだと思います。途中でやめてしまってはダイヤモンドも掘り当てられません。
それはとても勿体無い事だと私は思います。
あなたの心のダイヤモンド
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