マイノリティーな結束と多様性
COMEMOの記事でちょっと口出ししたくなったので、俺的に話したいと思う。
ラグビーワールドカップがテーマに上がっているのか、その話題でいくつかの記事が投稿されているけど、その中のこれ。
「結束あっての多様性」というタイトルにグググッと引き込まれたので、無意味に反発してみたいと思います。
精神的にサイコパスなので、結束とか集団とかがめっちゃ苦手な俺は、多様性をまとめ上げてこそ生きる細胞の活動や体育会系な乗りが苦手な俺は、どうしても「結束」には牙を向いてしまうようです。
もう、そんなんじゃ、企業の一サラリーマンとして歯車になるなんてとんでもない話しですが、頑張って我慢してやってます(笑)
とはいえ、数々のサラリーマン的暗黙のルールは全部ぶっ壊しちゃいますけどね。
まあ、それはさておき、「結束」には明文化が必要だとのこと。
心臓はここからここまでの細胞です。というのが分からないと行けない。
それが遺伝子のルールです。その遺伝子のルールがバグると、がん細胞になってしまう。がん細胞が生まれる原因は栄養不足らしいですが、そういうこと。
腕の筋肉に、心臓やってくださいなんて言っても出来ません。
細胞の「結束」は「DNA」に刻まれています。
間違えた設計書も全て、人間は「DNA」の塊で出来ています。
これが「明文化」で、人間を形作る「結束」でしょう。
そこで、今日ツイートで見たこんな言葉があります。
アインシュタインは言った。
「人は誰もが天才である。しかし魚に木を登らせようとするのなら、その魚は一生、自分が愚かだと信じて生きていかなくてはならないだろう」
「結束」について勘違いしてはいけない。
細胞がどの機能をサポートするために生まれたのかを知る前に、「お前は心臓になるために生まれた」などと強要してはならないのだ。
「多様性」には「類友」という「結束」が「自然発生」するまで根気強く待つ必要があるだろう。
新しいコミュニティの輪に、果敢にチャレンジして直ぐに居なくなる、マイノリティーへの気遣いがなければ、新しい「類友」を迎え入れることは出来ない。
新しい細胞が新陳代謝として発生しなければ、そのコミュニティは死んでいくだけだから
「団結、集団、結束」の意味を間違えてはならないのだろう。
文化は、柔軟な変化の中に芽生えるものだから
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