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COMEMOでAIで人格が再現されるなら利用してみたいか?という企画があるので乗っかってみる

企画の内容はこんな感じ

そこで、みなさんからご意見を募集します!
・AIによる故人の人格の再現という技術が利用できるなら、あなたは利用しますか。利用するならば、どんなことに使いたいと思いますか。利用しないならば、その理由はなぜですか。
・自分の人格をAIで再現し「もうひとりの自分」を作る技術は、利用したいと思いますか。利用したいなら何に使うのか、利用したくないならば、その理由を教えて下さい。


#COMEMO

#データの世紀

#AIで人格再現

この3つのハッシュタグを付けて欲しいらしい。

簡単に結論を言うと、なんでも新しいものは使いたい俺。利用したいに決まっているのだょ。

ということで


まずこちら

・AIによる故人の人格の再現という技術が利用できるなら、あなたは利用しますか。利用するならば、どんなことに使いたいと思いますか。利用しないならば、その理由はなぜですか。

利用したい!

もし、俺が呼び出せるのであれば、それもものすごい過去から呼び出せるのであれば、戦国武将とか呼び出してみたい。召喚!!

これって、まさに召喚ゲームだな!

自分の知りうる現在、生きている人が亡くなった場合を想定しても、呼び出したくなることってたくさんある。

だってそりゃ、資産形成で遺産相続問題とか起きたとする(まあ、俺の家計にはそんなことはないだろうけど……)

仮に起きたとした場合を想定しても便利だ。

ただ、おいおい死んでまでこき使うんじゃねえ、生きている人間で全部対応しろよっ!という死者の声が聞こえてきそうですね。

仕事の引き継ぎどうすんだよっ!で呼び出された人は、給料発生しないし、タダ働きじゃん!お供えしろっ!このやろう!ぐらいに思うだろうな。

俺が不慮の事故で死んで、仕事で呼び出されたら、きっと発狂する(笑)

やり残したことがあって、未練たらたらで、現世に住み着きたくなるかもしれない。

それこそ、死なない魂の浄化という作業に没頭される死神くんが必要になってくる。

人は成仏できるのか?という問いが目の前に突きつけられそうだ。死んでから……

呼び出された後に、「おい!電源落とすな!」と言われた声に、どれだけの人が無情に「お役目御免」と電源を落とすだろうか?


そこで問題になる。

AIで作られた故人の人格で生き続けることが、
一:人生の到達地点であり神格化なのか、
一:それとも懺悔しなければならない人生のやり直しの場所として存在してしまうのか?

この問いには、答えられる人はいるのだろうか?

宗教はこの二者択一で、常に衝突しているような気がする。

この問題提起を「故人の魂は何処へ行くのか問題」と名付けておこう。

消されてしまう人格は罪か?神か?


次にこちら

・自分の人格をAIで再現し「もうひとりの自分」を作る技術は、利用したいと思いますか。利用したいなら何に使うのか、利用したくないならば、その理由を教えて下さい。

利用したい!

「もうひとりの自分」に全ての仕事をパラレルでやってもらう。やりたいこと全てやってもらう。

すると俺のやりたいことが出来なくなってしまうなんてことはない。きっと

「もうひとりの自分」から楽しかった、つまらなかった、できた、できなかった、を聞き出す事ができる。

それからでも「やってみよう」は、遅くない。

自己シミュレーターといった部分は、多分に利用できそうだ。

これしかやらなくていいと言われれば、それだけに没頭できる。これは大事だ。世の中で生きる上で、必要なことが多くなってしまった現在において、この没頭できる何かを見つけて、それだけに拘る時間を自由に作れるというのはかなり嬉しい。

ただ、俺という同じ人格が、一つのことに没頭しすぎている気持ち悪さはあるだろう。それこそ人格変わってるんじゃないだろうか?

多種多様な俺が生まれた時、俺の存在意義は何処に出てくるだろう?

それこそ自我が問われることになる。

あの俺も、この俺も、俺だ。

でも、最後には、どちらかの人格を残すことが出来る。

さあ、自我として残すのはどっちの俺だ?

死んでしまってから、あっちの俺を残しておけばよかったなどという後悔が生まれたとしても、あっちの俺は復活できないかもしれない。

もしくは、それぞれセーブポイントがあり、あっちの俺も、こっちの俺も、バージョン違いとして呼び覚ますことが出来るのかもしれない。

メモリー容量に依存する。

そして、そのメモリー容量はお金がかかる。

となると、お金持ちほど、多くの人格を所有しているということになるだろう。

メモリー格差という未来の危惧が、どのようにメモリー資産を相続するのかという問題が発生するだろう?


そこで問題になる。

AIで作られた「もうひとりの俺」を含め人格として価値は高いのか

何か聞き覚えのあるフレーズだ。

これは「評価経済社会」というものだろう。

しかし、これの回答は「評価経済社会」も「所詮はお金」という部分が浮き彫りになってしまう。

お金を積み込んだ人物は、AI人格を複数人用立てすることが出来る。

それだけで、価値が高まる。

お金がない人物は、AI人格を持つことが出来ない。Death=死だ。

故人の魂は何処へ行くのか

お金を積んだ人物は、「神」なのか、「罪」なのか

キリスト教では「罪」とされている。

だから、お金を貯め続けている人は、亡くなる前に、相続するか、処分するかなどしなければならない。

個人の人格も恐らく、死ぬ間際には、メモリー上から削除しているのかもしれない。

だとするならば、故人の魂のメモリー保存は難しいし、それをやった場合、メモリーを消さないで欲しいと頼まれた人物は、もしかしたら罪人なのかもしれない。

強欲に俺はメモリーを食いつぶし、永遠に生き続けると宣言したならば、罪人と揶揄されるかもしれない。

それでも、永遠に生き続けた先に、概念が反転した時、人格メモリーが世界遺産と保護される対象に反転した時、正にその時「罪人」は「神」となっているかもしれないのだ。

時代や文化に合わせて変化し続け、生き続けることに全力投球した時、人類の新しい未来が見えるのかもしれない。

「私がウイルスのように、世界中のネットワークの中に、ウジャウジャと湧いている、数限りなく」


人々はそれをバグと呼ぶのだろうか

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