日本人の無償の愛と借り物の愛
「借りる」「貸す」という事に嫌悪感を感じる人は多い。
借りたものは返さなければならない義務があるから、その責務や債権に対して重荷に思うのだろう。
親友から金を借りるなんてあり得ないと、昨日のTV「もろもろのハナシ」で言っていた。
親友からお金を貰ったらどうするのだろう。
そう、親友から無償のお金なんて受け取らない。
いやいや、いらないよ。悪いって。と、なるのだろうか?
家族からの無償の愛は受け取るのに、いやいや、いらないよ。悪いって。
受けた恩を仇で返すのだろうか?
「奇跡体験!アンビリバボー:かりゆし58 アンマー誕生秘話」は面白かった。母親の無償の愛に救われていく青年の話。
かりゆし58 アンマー 歌詞 http://buff.ly/2dzosWB
そして生まれた無償の愛の詩。
それはいい。心に響く愛の鼓動を感じる。
それとは別に
借り物の愛と書くと、まるで偽りの愛のように感じる。
借り物は別物という解釈が付くからだろうか。
借りの愛ではどうだろう。
無償の愛ではなく、借りの愛だ。
いつか返さなければならない愛があるとしたら、その愛を受け取るだろうか。
いやいや、いいって。いらないよ。そんなもの。
だって、返せる見込みが無いんだから、いつか返さなければならないという義務感は、自分がいつか返さなくてもいいだろうという逃げの覚悟みたいなものを感じる。
無償は、高い。
借りのモノよりも、さらに高い。
返すことなど、恐らく一生かかっても無理なモノかもしれない。
無償の愛なんて、無償の愛でしか返せない。
無償のお金なんて、無償のお金でしか返せない。
お金を借りることが悪いというわけではない。
お金を貸すことが悪いというわけではない。
ただ、無償でのサービスが求められる日本の風潮に、少しハラハラドキドキしてしまうのだ。
無償のサービスは、無償のサービスでしか返せないのだから……
おごってくれた無償のサービスは、いつかおごり返す無償のサービスで返すのだろう。
貸し借りという期限付きのものではなく、義務でなく、義理と人情として。
あなたはその無償のサービスを全て覚えていられますか?
見ず知らずの人の笑顔のサービスまで。
できないヤツを助けていると人間関係で失敗する | 人生が最短で上向く『闇金ウシジマくん』名シーン | 堀江貴文 | cakes(ケイクス) http://buff.ly/2dWIJ7A
できないヤツを引っ張り上げて、できないところに目をつぶり、できないヤツの負の部分を「仲間だから」という理由で引き受けるのは、おかしいと言いたいのだ。
苦境にある仲間を無条件で救いだすよりも先に、自分で解決する示唆を与えたり、あえて厳しく接したりすることも、仲間の大事な役目だ。
シェアすべきは、苦しみではない。喜びや感動、自己の成長をシェアするのが、本当の仲間ではないか。
貸し借りとは、
貸借対照表と言われるように、ビジネス全般のバランスを担うものである。
安い取引きは、貧乏なのか?安い愛は、貧乏な愛なのか?
安いお金は、貧乏なお金なのか?
貸した借りは、いつかは返すのだろう。借りた感謝はいつか返すのだろう。
ペイ・フォワードと次に送るGIFTのような行為は、第三者的に貸したものは他の誰かに貸していく仕組み、いつか返さられかもしれないと、他の誰かに送られるとして、無償の高価な品物を送り合っていく。
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