
『風鬼の金棒と精霊の金塊』:第3話『風鬼の金棒と未完成の神器』
第3話『風鬼の金棒と未完成の神器』
風が荒ぶっていた。
都市の端に立つと、下界の景色が霞んで見える。高空に築かれたこの街は、風が支える浮遊都市だ。だが、今はその支えが不安定だった。柱のように空間を繋ぎ止める風の流れが乱れ、都市は不吉な軋みを立てていた。
「……精霊が暴れてるな」
俺は袋を握りしめた。
こいつがあると、精霊の動きが少しだけ落ち着く。理由は分からない。ただ、袋の中の布切れが妙に気になっていた。触れると、体の奥底から何かが共鳴するような感覚がある。
「クー、急ぐわよ」
サリファが言った。
彼女の長い髪が風に煽られる。学者である彼女は、この都市の異変を研究していた。崩壊の兆しはすでにあった。けれど、精霊の異常行動が決定打となり、街は持ちこたえられなくなっている。
そのときだった。
「待って!」
遠くから誰かが駆けてくる。
風に抗いながら必死にこちらへ向かってくる影。乱れた息遣い。鋭い眼差し。
……知らない女だった。
彼女の視線は俺の手元に釘付けだった。
「それを返して」
低い声だった。
「あんた、誰だ?」
「キカ」
躊躇いなく名乗った。だが、俺の問いに答えただけで、彼女はすぐに言葉を続けた。
「その袋の中にある布……それは私のもの」
「……知らないな」
俺は正直に答えた。この袋は俺が持つべきものだった。理由は分からないが、ただの布切れとは思えなかった。
「大事なものなの」
「こっちだって大事なんだよ」
言い争いになりそうだった。
サリファが溜息をつく。
「このままでは埒が明かないわ。クー、研究室まで来なさい」
「……は?」
「キカもよ。あなたの言い分も聞く。でも、ここじゃ話にならない」
サリファの視線が都市の端を向いた。
下では、異形の精霊が蠢いている。
都市の崩壊は時間の問題だった。
「急ぐわよ」
俺は渋々、キカとともに研究室へ向かうことになった。
サリファの研究室は都市の中心部にある建物の一室だった。風の精霊が吹き抜ける回廊を抜け、精緻な細工が施された扉をくぐると、そこには金属と紙の匂いが満ちていた。
壁一面の棚には巻物や書物が並び、天井からは大小さまざまなガラス管が吊るされている。部屋の中央には円卓があり、その上には幾何学模様が刻まれた金属片や鉱石が積まれていた。
部屋の隅では、小さな風の精霊が忙しなく飛び回っている。
彼らは器用にガラス瓶を運び、蒸留装置の管を調整し、鉱石を慎重に粉砕していた。人間が精霊と共に物質や資源を生み出すのは、ここではごく当たり前の光景だった。
「精霊が人間を助けるのは普通のことよ。彼らは私たちの言葉を理解し、物質を生み出すことができる。だからこそ、私たちはこの都市を維持できるの」
サリファが淡々と言う。
「……なのに、今は精霊たちが暴れている。異型の精霊が現れたせいで」
俺は無言で頷く。
確かに、普段ならば精霊たちはもっと穏やかだ。人間の求めに応じて金属を精製したり、水を生み出したりする。だが、ここ最近は違う。精霊たちは落ち着きがなく、時には人間の言葉に耳を貸さず、勝手に暴れだすことさえある。
「未完成の神器のせいよ」
キカが呟いた。
俺は彼女を睨んだ。
「どういう意味だ?」
「神器は未完成の状態で使おうとすれば、精霊の力は暴走する。……あなたの持っている袋の中の布が、そう」
「袋の中の布?」
俺は反射的に袋を握りしめた。
「それが何なのか、知ってるのか?」
「……私の大事なものよ」
キカは言葉を濁した。
俺は納得がいかなかった。
だが、サリファは話を進めた。
「未完成の神器は、ただの道具じゃない。完成させるには、それぞれに対応する精霊の力が必要なの。風鬼の金棒なら、……」
聞こえるか聞こえないかの声で、キカがぼそりと小さく呟く
「あなたの持っているそれも、神器なの?……」
サリファは気にせず話を続けた。
「風鬼の金棒なら、精霊の金塊」
「精霊の金塊……?」
「風の精霊が異型の精霊を食すことで生まれる物質という話がある。真実か如何かは眉唾ものだけれど……」
「……精霊が精霊を食う?」
にわかには信じがたい話だった。だが、サリファの表情は真剣だった。
「それが都市を救う唯一の方法かもしれない……」
俺は息をのんだ。
キカは眉をひそめたまま、袋を見つめていた。
彼女は何かを知っている。
そして、それを俺には教えたくないらしい。
「……未完成の神器が、本当に完成されるべきものなのか、私は分からない」
キカの言葉が、頭に引っかかった。
だが、今は考えている時間はない。
「都市を守るために動くしかない」
そう言い聞かせ、俺は異型の精霊の討伐を決意した。
キカはそんな俺をじっと見つめていた。
(第4話『異型の精霊の出現』へ続く)
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