シュレーディンガーの子猫 ~プロローグ:セクション3~
大丈夫と声を掛けられるのではなく、どちらかと言えばうるさそうにしやがってという感じで白い目で無関心な目で見られているかのような、そんな冷たい目線だ。
僕は椅子を戻すと、廊下に飛び出していた。
あの子猫は?あの親猫は?そうだ。扉の外で倒れていた人は?本当に俺だったのか?
なんで机に戻っていたんだろう?悪い夢を見ていたのかもしれない。
そうだ。悪い夢だ。
僕がどうしてこの会社で子猫に会うんだ。
仕事をしている最中に疲れて寝落ちしてしまったに違いない。
トイレにでも行って顔を洗ってこよう。
さっき転んだせいで手首が痛い。
はあ、最悪だ。今日はなんてツイていない日なんだ。
子猫と親猫がいた扉を横目で確認して、僕はトイレに向かった。
手を洗い、顔を洗おうと鏡を見ると、顔には血が付いていた。
さっき流れた血ではなく、カサブタのように乾ききった血で、指でこするとボロボロと落ちる。洗面台に落ちると血となり溶けて赤い水に変わる。
洗面台は顔についていた血で赤く染まる。
僕は慌てて顔をゴシゴシと水洗いし、真っ赤に染まった水を流すとちゃんと落ちたのか鏡で確認して、ハンカチで顔をゴシゴシと拭き落とした。
顔に怪我はなく、こびりついていた血が自分の血なのか他人の血なのかも分からないまま、洗面台を振り返りもせず、トイレから逃げ出した。
怖かった。ドキドキと鼓動が早まり、今も早まる鼓動を止められずに立ち尽くす。
視界にはあの扉が目に入る。
もしかして現実で、扉の向こうには血まみれの人がまだ倒れていて、その血が顔についていたのか?
いや、あれは僕に似ていただけの他人で……
訳がわからない。何を考えているのだろう。
悪い夢だ。きっと血は、鼻血だ。興奮して鼻血が出て、それが固まったんだろう。
どれぐらい悪い夢を見ていたのか分からないけど、そういうことなんだろう。
無理矢理にでも自分を納得させて、鼓動が早まっているのを落ち着かせようと深呼吸する。
気になるなら見てみればいいじゃないか。
扉は直ぐそこだ。誰かが倒れていたら、職場に戻って誰かを呼び出せばいい。
僕ひとりが背負い込む必要なんてないんだ。
僕は自分に言い聞かせて、扉を恐る恐るゆっくりと開けた。
誰も倒れてはいない。
やっぱり悪い夢だったんだ。
僕は安心を取り戻すかのように、もう一度深い深呼吸をした。
平静を取り戻し、職場に戻る。
周りの人は半分笑いながら、半分怒りながら、メールに返信している。
クレーマーの対応は時に可笑しくもあり、時に苛立ちもする。
感情の起伏が激しく乱れるため、同じ職場の人ともあまり会話をしない。
休憩時間にこんなクレーマーがいたんだという話を聞くこともない。
それは職場の健康のために、お互い避けている事だった。
暗黙の了解のように、職場の人たちとは自分の担当した仕事の話をしないことになっている。
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次回予告:
それでも、独り言は耳に入ってくる。
苛立つ声も笑い声も、静かな職場だと思っていたけど、意外とうるさい。
でも、誰も他人の独り言の話に割り込もうとはしない。
これもまた暗黙の了解なのだろう。
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