蟻とガウディのアパート 第九話(第一章)
「保健所跡地トンネル」
保健所跡地の東側は、幅の狭い道路に面していた。 高く造成された土地の土台と、二階屋の店舗に挟まれ、いつ通っても薄暗い道だった。
土台はレンガを積んで固められおり、何の用途かわからない穴がいくつも開いていた。
穴からは、鉄錆色の水が滲み出ていた。 私は、昔大人は、この穴に鉄砲を隠していたのだろうと思っていた。
いくつもの銃腔がこちらを向いているように見える日は、そこを足早に通り過ぎた。 土から水を抜くための穴だとわかったのは、ずいぶん後のことだ。
晴れた日は、穴の中を覗き込んで、鉄砲を探してみることもあった。 暗い穴の奥深くで、錆びて朽ちているはずの鉄砲は、いくら目を凝らしても見えなかった。 父母の世代は、この街が受けた空襲を体験している。
道をまっすぐ行って左に曲がると、幼稚園の友達の家があった。
その日、私は風呂敷包を抱えてレンガの横を走っていた。
友達のお母さんが、お遊戯会で着る衣装を着けて、写真を撮ろうと言ってくれたから。
私は、赤いサテン生地にスパンコールを縫い付けたスカートを履き、白いターバンを巻いた。 演目は、「キャラバンのたいこ」だった。
通っていた幼稚園松二組の演目がこの曲じゃなかったら、今ごろ私はこの仕事をしているだろうかと、時々考える。
友達はカチューシャの衣装。 黄色っぽいスカーフを頭に巻いて、裾の広がったスカートを履いていた。
節分の日。
その道を通ると、私の目の高さにあった穴の縁に、ピンク色の花が腰掛けていた。 わずかな土に生えた草が、花を咲かせたのだ。
私は小学生になっていた。
花は、転校生のように私を見た。 こんなところに転校してきちゃったの?と聞いてみたかったが、黙って通り過ぎた。
今日は道の先を左に曲がらない。 まっすぐ進んで、くねった道を進む。 左側は小薮、右側には古い平屋が並んでいる。
カーブを曲がったところで足を止め、背後の気配に耳をそばだてた。
誰かが幕をするすると降ろし、入り口を塞いだのがわかった。
そのお宅の玄関の引き戸を開けると、知らないおばさんが招き入れてくれた。 土間には、子供のズックが5足くらい脱ぎ散らかしてある。 豆まきの準備はもうできていて、子供達は畳の上に輪になって座っていた。
学校の友達はひとりもいない。 みんな、豆まきの時にしか出回らないお菓子を拾おうと、待ちきれない様子だった。 赤いセロファンに包まれたラムネや殻付きピーナッツ、ビスケットや五色豆。
おばさんがにこやかに、「鬼は外! 福は内!」と声をあげると、子供達は天井に向けて、一斉に手を伸ばした。
どんなふうにそのお宅をお暇したのか、覚えていない。 私はお菓子を詰めた袋を手に提げて、夜道を帰った。 だんだん保健所の跡地が見えてくる。 「友人」は、暗幕を巻き上げ、トンネルの入り口を開けておいてくれたんだな。
ピンク色の転校生は、スカートをしまって頭を垂れていた。
誰もいない家に帰り、母の帰宅を待った。
母は帰るなり、お菓子の小さな山を見つけ、「どこでもらってきたの?」と聞いた。
私は、薄緑色や薄ピンク色に着色した砂糖を塗りつけて固めたビスケットを、こたつの天板に並べながら答えた。
「う~ん 知らないおうちで。」
翌年も同じ道を通って、お菓子をもらってきた。 その次の年には、知らないおうちの豆まきのことは、すっかり忘れていた。 それ以来、「友人」が保健所跡地トンネルの入り口を開けてくれることはなかった。