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「土」


すっかり忘れていた鉄腕アトム君。思い出そうとしてみるとあまり記憶にない男の子だったことに気づきました。ウキペディアによると彼は。あの、アトム君のことですが。彼は1952年より雑誌「少年」に連載された長編漫画の主人公として誕生しました。言わずも知れた手塚治虫先生の数ある代表作のひとつです。かれこれ70年前のことなんですね。

映画。「土を喰らう十二か月」のなかで主演の沢田研二さんが口ずさんだ鉄腕アトムにオッと小さな驚きがありました。ここでアトム君の登場とは。移り変わる場面に遅れないように小さなオッはそのまま小さなまま膨らませずに。進んで行く物語の時間に置いていかれないように私は。あっさりとアトム君を置き去りのまま。

主演が沢田研二さんと松たか子さんだったこと。そして、「一汁一菜でよいと至るまで」を書いた料理研究家の土居善晴氏が料理を担当したことは事前に知っていましたが。鉄腕アトムを沢田研二さんが口ずさむとは知りませんでした。いい感じに面白かった。しかも、エンドロールで鉄腕アトムの作詞が谷川俊太郎さんとクレジットを見つけた時には小声に出して名前を読んでしまったくらいです。

映画は滋養のよい食事を終えたような味わいで体を満たしてくれました。そしてわずかに滋養の行きわたらなかった心の余白があるのを気にしながら映画館を後にしました。暖房とマスクで乾いた喉をどこかで一息入れたいと。この地域では老舗のパン屋さんのカフェレストラン・アンデルセンでお茶をしました。私はクラブハウスサンドイッチとイングリッシュガーデンティーのセット。友人はケーキセットをお願いすると。シェア用のお皿も用意してくださる丁寧さに老舗の心意気を久しぶりに感じる喜び。

観にいって良かったなとふっと思ったのは。数日が過ぎてからでした。刺激的な物語ではなかったけれどジワリと滋養が五感に染みてきた。松たか子の喰らいっぷりを思い出していた。里芋を喰らって人は大地になるんだ。筍を喰らって人は春になるんだ。私も喰らってやる。そんな活力が湧いて来た。心の余白からドクドクと湧いてきた。

そういえば。谷川俊太郎さんの作詞した鉄腕アトムの歌詞を読んでいると。この頃(1960年)の地球では人と科学はともに未来を創造するパートナーシップを目指していたのを感じます。アトムは人の象徴でもなく。科学の象徴でもなく。その存在はむしろ矛盾の象徴だったかもしれないと思いました。

人の心には矛盾がつきもので。科学は矛盾に突き当たる。矛盾があるから答えがひとつではないことを知ることになる。答えがないから無限の可能性を信じることができる。

「人を信じよ、しかし、その百倍己を信じよ。」
手塚治虫先生の残したことばのひとつです。

自分自身を信じていたからこそ。人に大切なことを伝える作品を完成させることができたのだろう。手塚治虫先生の60年の生涯のなかで残した作品から多くの人が閃きを受け取っている。人が創るあらゆるものから伝わる目にできないものを受け取れる感性をないがしろにはしたくない。

見えないものを感じる心は人が自然の一部なのだと実感できる感性なのだと思っているから。

見えないものを感じる心を信じることができたなら。必ず自分のなかの伝えたいと思うことを伝えることができる。と、ことばにしたかった。

昨年の12月23日に「始」で始めたnoteが後2回の投稿で1年になります。始めた時のささやかな目標を諦めかけていた12月に。思いがけずに叶えることができました。そしてもうひとつ思いがけないこととして。noteで出逢えたアレンデイルさんの投稿のなかでわたしの文章を掲載してもらうという嬉しいこともありました。この場でこんな形でいいのかな?アレンデイルさんありがとうございました。2023への意欲になりました。

noteという場所ではじめての経験をしながらアウトプットすることで。自分のなかに何があるのか。形にして味わうことがとても楽しかったです。なんだか、除夜の鐘をきいているような文章になってしまいました。でも、ことばにしたかったのです。

それでは、また来週。







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