見出し画像

坂の上のつくも|ep9「囚われの君へ」|第1部完



episode9 囚われの君へ「泥人形を放つモノ」 

 次の日、スハラとオルガは、カトリック富岡教会のドアの前にいた。
 尊やサワも誘ったけれど、尊はスイと、サワはテンと見回りに行ってしまった。見回りは必要だけど、今日は一緒に来てくれたほうが心強かったかもしれない。
 いや、弱音は言っていられない。
 オルガが教会のドアをノックする。

「リク?いる?」

 返事はない。何度か繰り返すが、ドアをノックする音だけが辺りに響く。

「いないのかな?」

 とりあえず入ってみようかと、スハラは、教会のドアに手をかける。が、ドアは開かない。
普段、見学者を受け入れていることから、特別なことがない限り開いているはずのドアが、今日は閉まっている。ドアが開いていないことを知らせるような張り紙なんかも、特には見当たらない。

「鍵かかってるね。どうしたんだろ」

 うんともすんとも言わないドアの前で、2人はどうしようかと顔を見合わせる。

「出直したほうがいいのかな」

 オルガはそう言うけれど、スハラは何となく諦めがつかない。だから、帰る前にと、大きな声で呼びかけた。

「リクー!!いないのー?」

「スハラ、うるさいよ」

 天から降ってくる、冷たい声。2人は空を見上げて、声の主を探す。
 リクは、教会の鐘楼から2人を見下ろしていた。

「何しに来たの?」

 リクの顔は逆光でよく見えないが、声からして、冷ややかな目をしているだろうことが想像できる。

「最近、まちでも姿見ないし、心配で様子を見に来たのよ。ていうか、そこで何をやってるの?」

 オルガの問いかけにリクは何の反応も示さず、温度のない眼を宙へ向けると、手に持っていたものを風に乗せて飛ばしていく。
 スハラはたまらず、リクへ叫ぶ。

「リク、降りてきてよ!話があるの」
「僕にはない。放っておいてって言ったよね?」

 無下にするような態度。だけど、スハラも昨日セイカとした“約束”があるから、ここで引き下がるわけにはいかない。

「あなたにはなくたって、こっちには話す必要があるわ。セイカだってあなたを心配してたよ」

 リクは、セイカ、という名前に反応したようで、ふと2人を見るが、すぐに目を背ける。そして、これまでとは違うどこか怒気を含んだ声で叫ぶと同時に、何かを2人のいるところ目がけて投げた。

「スハラに、セイカの何がわかるっていうんだ?もうほっといてよ!」

 落ちてきたのは、小さな人型をした紙片。紙であるというのに、風に流されることなく2人の前に着地した紙片は、一瞬のうちに泥をまとって立ち上がる。
 それは最近、スハラたちやまちの人々を悩ませていた泥人形だった。

「なんで…!」

 オルガが絶句する。スハラだって同じ気分だ。あんなに正体のわからなかったものが、こんな簡単に目の前に現れるなんて。
 しかも、それを作り出したのは、自分たちのよく知っているヒトだなんて。

「リク、一体どういうつもり!」

 スハラが叫んでも、リクは無感情な目を2人に向けるだけで、動こうとしない。
 代わりに、泥人形が2人へ襲い掛かってくる。

「オルガ危ない!」

 スハラは、泥人形に初めて遭遇して動けなくなってしまったオルガの手を引き、自分の後ろへ隠すように移動させると、泥人形の前へ立ちはだかる。
 そして、何か振り回せそうなものはないかと辺りを見回してみるが、そんな都合のいいものは落ちていない。これでは、逃げるしかできない。

 だけど、ここから自分たちが逃げて、泥人形がまちの人を襲っては困る。かと言って、オルガは戦えない。
 だったら、今できそうなことは、オルガだけ逃がして、自分が残る…。

「オルガ、走れる?」

 オルガは、スハラの意図は理解しているようなのに、首を横に振る。どうやら恐怖からうまく動けないようだ。

―――どうしよう。

 武器も何も持たないまま、誰かを守りながら戦えるのか。泥人形は、緩慢な動きだけど、着実に目の前に迫ってくる。

―――自分一人なら何とか…。

 スハラは、落ちていた石を泥人形に投げて、泥人形の気を引くと、こっちに来いと言わんばかりにオルガから離れた。
 そのあとをついていく泥人形。うまくオルガから離れたスハラと泥人形は、教会の隅へと移動する。
 これならオルガは逃げられるだろうかと、スハラはオルガを見る。同時に、その背後に迫る怪しい影に気づく。

「オルガ!後ろ!逃げて!」

 えっ?と振り向いたオルガは、背後の泥人形に気づくと、小さく悲鳴を上げて後ずさる。それはもう、逃げられそうな様子ではない。
 恐怖にひきつるオルガに、泥人形が襲い掛かる。

episode9 囚われの君へ「霊雨」

「オルガ!」

 スハラの悲鳴。

 瞬間、辺りに広がる白い光。

 あまりのまぶしさに目を閉じたスハラが、次に目を開けたとき、泥人形はただの泥に戻り、オルガも無事なようだった。そして、オルガに駆け寄る人影。

「大丈夫か?」

 現れた人影はサワで、腰が抜けたように座り込むオルガに、いたわるように声をかけていた。
 そのすぐ横には、我がんばったと、満足そうな顔をするテン。

 そして、もう一度、辺りが光で白く染まる。
 今度はスハラに襲い掛かろうとしていた泥人形が、泥の塊に戻っていた。
スハラの足元には、光を生み出したスイ。

「スハラ!大丈夫か?」

 息を切らしながら駆け寄ってきた尊に、スハラは少しほっとしたような顔を向けた。

「大丈夫、ありがとう」

 いやお礼はスイに、と言う尊は、まだ肩で息をしていた。一体どこから走って来たのか。でも、そもそも尊たちもサワたちも見回りに行っていたはずだ。

「どうしてここに?」
「音が聞こえたから」

 スハラの素朴な疑問にサワが答えて、それを尊が補足する。

「スイが変なにおいがするって言うからさ。それで近くまで来たら悲鳴が聞こえて…すぐそこでサワさんたちとも会って、ここに来たんだよ。それより…」

 どうしてこんなことに?と言いたかったのであろう尊の言葉は続けられなかった。
 その代わりに鐘楼を見上げたその視線を追って、みんなが鐘楼を見上げる。そこには、先ほどと変わらず冷たい無感情な目で見下ろすリクがいた。

「おい、リク、どうしたんだよ」

 サワの温度の低い声が響く。多分、オルガが襲われたから余計に怒っているのだろう。
 そんなサワに対しても特段の反応を示さないリクに、サワは舌打ちをして、スイを呼び、何かを伝える。
 頷いたスイが、ふわっと跳んで、空中でくるんと一回転すると、その身体が軽自動車くらいに大きくなる。
 そして、一度着地してから、改めて地面を蹴って跳び上がる。
 大きくなったスイは、あっという間にリクのいる鐘楼へ到達し、後ずさるリクの後ろに回り込んで、その背中をしっかりと咥えた。

「ちょっと離してよ!」

 スイは、騒ぐリクを無視して、サワたちが待つ地面へと降りる。そして、咥えていたリクを離すと、ぽんっと元の小さな犬の姿に戻った。
 天から引きずり降ろされたリクは、サワたちを睨みつける。

「リク、どういうつもりなの?どうしてこんなことをしたの?」
「そっちこそ、何なの?」

 スハラの強い口調に、リクも負けじと言い返す。
その目には、憎悪の暗い光。

「あんなもの出して、みんな大変な思いしてたのよ。自分が何したかわかってるの?」

「わかってるよ!人間なんていなくなればいい。僕らを壊そうとする人間なんて、僕が先に消してやる!」

 リクの目は、最後は尊を向いていた。人間に対する真っ直ぐな怒りが堰を切ったように溢れていく。

「セイカを消そうとする人間も、そんな人間と仲良くするお前たちも、みんな大嫌いだ!」

 リクから放たれた言葉が、無数の棘となってスハラ達に突き刺さる。
 昨日スハラたちは、セイカの憔悴した様子を目の当たりにしているから、リクの言葉が特に痛いほどに理解できてしまう。

 リクの悲鳴のような怒りを受けて、誰も何も言うことができない中、オルガがその沈黙を破った。
 サワの後ろに隠れるように立っていたオルガは、一歩前に出ると、静かにリクに声をかけた。

「だからと言って、やっていいことと悪いことがあるでしょう?」

 リクは、思っていたのと違うところから飛んできた声に少し驚いた様子を見せるが、すぐにオルガへ冷たい目を向ける。

「あなたの言いたいことは理解できるけれど…、だけどこんなことをしても、何にもならないでしょう?」

 淡々と言葉を続けるオルガを、スハラ達は黙って見守る。

「あなたがこんなことをしても、セイカは喜ばないわ」
「オルガに何がわかるの?」

リクはかみつくように言い返すが、オルガはひるまない。

「確かに全てはわからないわ。だけど、これだけはわかる。セイカは、あなたが誰かを傷つけることを望まない」

 断言するオルガに、リクの目の奥で暗い光が揺らめく。

「うるさい、うるさいうるさい!みんな嫌いだ。みんないなくなればいい!」

 リクの声に呼応するように、泥人形がゆらり、ゆらりと立ち上がる。
 あっという間に、スハラたちをぐるりと取り囲んだ泥人形は、スイとテンだけでなんとかできる数ではない。

「どどどどうしよう~スハラ~やばいよぅ」

 がたがた震えるテンは、尊のうしろに隠れてしまう。オルガを背中へ庇うようにして泥人形を睨むサワも、盛大に舌打ちをしている。

「みんな消えちゃえばいいんだ!」

 叫ぶリクの声を合図に泥人形が襲い掛かった。

 
 はずだった。

 急に動きを止めた泥人形が、ばたばたと倒れていく。
 尊は、頬に当たるものを感じて空を見上げた。

「…雨?」

 雨雲なんてないのに降り始めた暖かい雨が、倒れた泥人形を溶かしていく。
 そして、リクの目に宿っていた暗い光が、雨に洗い流されるように消えていく。

 霊雨。

泥人形を全て溶かした雨は、程なくして止んだ。

不思議な雨は、止んでしまうと、まるで降っていなかったかのように地面も身体も濡れていない。

「今の雨って…」

 尊の疑問は、スイによって解決された。

episode9 囚われの君へ「決死の救出」

「ミズハ!」
「みんな無事だったかしら~」

 今の雨を呼んだミズハが、緊張感のかけらもなく現れる。
 そして、全てを知ってか知らずか、ミズハは座り込んで呆けているリクに声をかけた。

「リク、大丈夫?怪我してない?」

 声をかけられて、はっとしたリクは、いろいろ考え込んで視線を泳がせる。その目には、さっきまでの怒りは見えない。

「…大丈夫…だけど…」

 消え入りそうなリクの声は、冷たさが消え、戸惑いとともに以前の温かさが戻っていた。
 その様子を見て、スハラが口を開く。

「リク、あのさ、」

「おい、あれなんだ?」

 スハラの言葉を急に遮ったサワが、海のほうへ目を向ける。
 だが誰も、サワが何を指しているのかわからない。しかし、同じところを見つめたまま、眉間にしわを寄せるサワの様子から、スハラ達はしばらく辺りの様子を探る。

 少しすると、禍々しいオーラを放つ何かが、教会に向かって近づいてくるのがわかった。
 その何かは、黒い雲を連れていて、辺りは急に暗くなり、周辺の空気は重く、黒く染まっていく。

「なんだ…あれ」

 息を飲む尊と、足元で尻尾を丸めるスイ。
その黒いものが、あと20メートルくらいと迫った時、それが何か理解したらしいリクが脱兎のごとく駆け寄っていった。

「セイカ!」

 リクが呼んだ名前に、スハラたちは一瞬理解が追い付かない。しかし、歩みを止めないその黒いものがさらに近づいてくると、確かに中心にセイカのようなヒトがいるのが見える。

「ねぇ、セイカ!セイカでしょ。どうしたの?ねぇ!」

 セイカと呼ばれたそれは、リクの必死の呼びかけには全く反応せず、周辺の重力を増しながら、真っすぐに教会を目指していく。

「ねえってば!」

 リクはセイカの気を引こうと腕を引っ張る。しかし、セイカはその手を振り払うと、リクには目もくれず、歩みを進めていく。

「セイカ…どうして…僕が分からないの…?」

 その場に座り込んで泣きそうなリクの声が、スハラの耳に届く。

「…本当に、セイカなの?」

 スハラもセイカの名を呼ぶが、呼ばれたセイカは何の反応もしない。昨日、痛いほどの切なさを抱えてスハラたちの目の前にいたセイカが、今は何か黒いものになってしまっている。

「…どうすればいいの?」

 黒く染まったオーラをまとって近づいてくるセイカに、誰もが圧倒されてしまって、動くことができない。
 そして、近づくにつれ伝わってくる負の感情。

 悲しい。怖い。寂しい…。

 痛いほどの感情を纏うセイカは、すごく苦しそうに呻いているようだ。

「…ミズハ、…あれを、セイカを祓うことはできる?」

 意を決したかのようなオルガの声に、ミズハは少し迷ってから言葉を選んだ。

「…できると思うけど、セイカがどうなるかわからないわ」

 それは、祓うことでセイカまで消えてしまうかもしれないということだ。だけど。

「セイカをあのままにしておくなんて、したくないわ」

 だからミズハ、お願いと言うオルガの意思は、すでに固まっているようだ。
 昨日、セイカは自身のことよりリクのことを心配していた。みんなを悲しませたくないと言っていた。
 そんなセイカが、禍々しいものになって、誰かを傷つけるなんて、望まないはずだ。
 スハラが、ミズハを見る。

「私からもお願いするわ。セイカを、助けてあげて」

 ミズハは、わかったと言うと、スイとテンの名を呼ぶ。
 なに~と震えながらもミズハの足元に寄る2匹に、ミズハはしゃがんで話しかける。

「スイ、テン、私ひとりじゃセイカは祓えない。手伝ってくれる?」

 いつもと違って、少し悲しい笑みを湛えたミズハに、2匹は頷く。

「「うん、我ら、やれるよ。大丈夫」」

 2匹は地面を蹴って飛び上がると、くるんと回って、大きくなる。
 ミズハは、そんな2匹へ、ありがとうと口を動かすと、水を纏わせていく。そして、祝詞を唱えると、スイとテンへ合図をした。

 地面を蹴って跳ねるスイとテンは、黒いもやの塊のようなセイカへ向かっていく。 

 セイカは、光輝く水を纏ったスイとテンに底の見えない暗い目を向けると、おもむろに腕を振り上げ、手のひらを2匹へ向けた。

 2匹は、セイカに何かされるのかと思い、思わず足を止める。

 人形のように色を失くし、何かに耐えるように小刻みに震えるセイカの手から、重苦しい負の感情が広がっていく。

―――イタイ、クルシイ、サビシイ。

「セイカ!」

 黒いものとなってしまったセイカを呼ぶリクの声に、重く暗い空気が僅かに揺れる。
その瞬間、黒いもやが薄まったように見えたが、すぐにスイやテン、スハラ達まで黒い霞に覆われてしまった。もう隣にいても、お互いの姿を確認できない。

「・・・うぅ・・・」

 真っ暗な世界の中、どこからともなく聞こえる呻き声は、この世の者とは思えない苦しさを含んでいる。

「・・・セイカ?苦しいの?」

 オルガが宙に向けて問うが、返事はなく、今にも消えそうな呻き声だけが、みんなの耳に届く。

 『歴史的な建造物』として存在していても、ほんの些細な何かをきっかけに、自分たちの存在は簡単に壊れてしまう。

 今、目の前にあるセイカの姿は、『明日の自分』かもしれない。

「辛いんだね…。スイ、テン、」
 セイカを助けてあげて。
目に涙を浮かべながらも強い意志を変えないオルガに促されて、スイとテンは恐怖と戸惑いを振り払う。

 2匹は呼吸を合わせると、黒い霞の中心にいるセイカを見定め、走り出す。

そして、束の間のあと、弾けるような音が響いて、辺りは白い光で満たされた。

episode9 囚われの君へ「ヒトリじゃない」

 光が消えると、黒い雲は消えていて、泥人形を溶かしたのと同じ温かい雨が、辺りに降り注ぐ。

 セイカは、白い光の残滓に包まれて、横たわっていた。

「セイカ!」

 リクが駆け寄って抱き起す。スハラ達も少し遅れて、リクとセイカを囲むように集まる。

「セイカ、ねぇ大丈夫?セイカ!」

 リクの必死の呼びかけに、うっすらと目を開けたセイカは、声にならない声でつぶやいた。

「……リク…大丈夫?…ごめんなさい…私は大丈夫、だから…。それだけ、伝えておきたくて…」

 力なく消えていく声。
セイカは一瞬微笑むと、目を閉じて、動かなくなった。

「セイカ、待って!ねえ、起きてよ!セイカ!」

 辺りには、リクの悲鳴のような叫びが響いていた。

※ ※

 オルガたちが帰った後、独り残された私のもとに、見たことのない来訪者があった。
 窓から入ってきたそれは、夕闇を取り込んだかのように黒く、細長く。その鎌首を持ち上げ、私に話かける。

『寂シイ?』

 寂しくないわ。

『怖イ?』

 いいえ、だって、私は一人じゃないもの。

『デモ、誰モ、イナイヨ?』

 そんなことない、と言いかけて、ふと不安になる。いつの間にか夜の闇が濃くなって、この世界に独りで取り残されたような、そんな感覚が湧いてくる。

『ダイジョウブ?』

 私の不安を読むように話しかけてくるそれは、私の顔を覗き込む。黄色い目が、怪しく光る。

『ヒトリハ、寂シイ』

 そんなこと、ないと思う。

『ヒトリハ、怖イ』

 いいえ、そんなことは。

『誰モ、イナイ』

 そんな。

『消エテシマウ』

 暗転する世界。私は思わず目を閉じてしまう。
 独りは嫌。誰かをのこしていくのも、のこされるのも嫌。消えたくない。

 誰か、誰か誰か誰か。

 助けて。

 一瞬にして不安で染まる心。
目を開けると、怪しく光る黄色い目が、すぐ目の前にあった。

『ダイジョウブ、ボクガ イルヨ』

 誰かに似たそれの声に、私は身を預ける。

「消えたくない…」

 リク、助けて。

 私は、不気味な光に呑まれていった。

episode9 囚われの君へ「人間と付喪神と猫とヘビ?」

 あれから2週間。
 俺は気の抜けたような日々を送っていた。
 表向きは、泥人形事件も解決し、まちの見回りも終了した。たまに入ってくる便利屋への依頼も買い物の手伝いとか、ペットの散歩とか平和なものばかりだ。
 俺は、テーブルにあごを乗せて、ため息をつく。

「なんかなぁ…」

 あれから、セイカは目を覚ましていない。
 ミズハとスイ・テンのお祓いは成功したけど、そもそもあの黒くなった状態が身体に相当の負荷をかけていたようで、また、もともと調子がよくなかったこともあって、眠りについた状態になってしまったのだ。
 俺がセイカに会ったのは、あの時が初めてだし、全然知らないヒトだけど、それでも辛そうなのはすごく伝わってきていた。スハラたちの様子からも、よほどの状態だったんだろうなと思う。

 リクも、あれ以来姿を見ていない。
 あのあと、憑き物が落ちたかのように反省したリクは、被害があったところには謝罪に行ったらしい。
 その際にはスハラが付き添ったって、オルガが言っていた。
 そして、自分のしてしまった事への償いとして、いくつかのボランティア活動を始め、教会の仕事にも復帰したけれど、まだすごく落ち込んでいて、元気は全くないとのことだ。
 そもそも、あのあとしばらくはリクだけでなく、スハラたちもみんな憔悴したような様子だった。

『人間なんていなくなればいい。僕らを壊そうとする人間なんて、僕が先に消してやる!』

『セイカを消そうとする人間も、そんな人間と仲良くするお前たちも、みんな大嫌いだ!』

あのときのリクが放った憎悪の棘は、簡単には抜けない。
 リク自身が常にそう考えているわけじゃないのは、わかっている。だけど、あのときあの瞬間の本心ではあるだろう。

 俺は、ここ最近の事件を思い起こさずにはいられない。
 人間は付喪神へ、付喪神は人間へ、敵意を向けていた。
 スハラはそのことについては、昔からそうだったって言っていたし、俺もそれはわかってるつもりだ。

 だけど、ここまであからさまではなかったと思う。
 だから、今回のリクもそうだけど、急にタガが外れたかのような感情の暴発は、なにか不自然なような気がするが…

「なんなんだろうなぁ…」

 再びため息をついたところで、玄関の開く音がする。

「ただいま~」

 現れたのは、スハラだった。

「何か依頼はきた?」
「いや、何も」

 スハラは、持っていた紙袋を無造作にテーブルへ置く。がさっと崩れた紙袋からは、いい匂いが漂ってきて、その匂いにつられて、窓際で寝ていたレンがのっそりと伸びをしながら寄ってくる。

「パン?どうしたの?」

 俺は無遠慮に紙袋を覗き込む。中身はサンドイッチだった。

「友和のパン。さっき、そこで安西さんにもらったの。今回のお礼だって」

 そういえば、最初に見回りの話を依頼してきたのは安西さんだったっけ。はじめは些細な事件だったのに、まさかこんなことになるなんて想像もつかなかった。

「安西さん、ありがとうって言ってたよ」

 足元でレンが、何かちょうだいと催促するように、にゃあと鳴く。
 スハラがテーブルの上に置いてある小さな引き出し棚を開けて、猫用のおやつを出している間に、俺は、どれを食べようかと紙袋の中をあさる。
 紙袋いっぱいに詰め込まれたパンは、どれもおいしそうだ。

「スハラ、これもらうよ」

 どれにするかやっと決めて、タマゴサラダを手に取ったところで、インターホンが鳴った。
 スハラはレンにおやつをあげていたから、俺は手に取ったパンをちょっと見つめてからテーブルに置いて、玄関に向かう。

「どちらさまですか?」

 玄関を開けると、サワさんが立っていた。

「あれ、どうしたんですか?」

 いつもと同じような仏頂面をしたサワさんは、中を少し窺うようにして、あがっていいかとだけ言う。

「どうぞ、今はスハラと俺しかいませんよ」

 サワさんは、小さく頷くと、靴を脱いだ。

「あれ、どうしたの?ひとり?」

 スハラは、サワさんという珍客に驚きながらも、いすを勧める。確かに、サワさんがひとりでここに来ることなんてほとんどない。というか、前のオルゴールの一件以外、見たことがない。

「…オルガに行けと言われた」

 余計な説明どころか、必要なことすら一切省いた説明は、簡潔すぎてよくわからない。そんなサワさんに、スハラは慣れた様子で適度に質問をはさんでいく。

「ここに来て何を?」
「話せと言われた」
「何について?」

 サワさんは、束の間考える。そして、少しの沈黙のあと、口を開いた。

「音が、したんだ」
「何の音?」

 スハラが間髪入れずに聞いていく。

「この間のリクも、セイカも、その前のキタも、みんな同じ不協和音が響いていた」

 サワさんには、人が抱く感情が音となって聞こえる。

 人にはたくさんの感情があるし、同じものを見た“楽しい”とか“悲しい”という感情でも、人によって音は変わって、同じ音は一つとしてない。

「全く同じ音だった」

 サワさんは、その音を思い出したのか、苦い顔をする。

「そんなことってあるの?」

 スハラの疑問に、サワさんは少し考え込む。

「…全く同じなんてものは今までに聴いたことがない」

 今度はスハラが考え込んでしまう。

「どういうことかしら?」
「知らん。俺はただ、オルガにこのことを言ったら、お前にも言えと言われただけだ」

 サワさんは、何かを考えて難しい顔をしているスハラを無視して、じゃあ、と用は済んだとばかり立ち上がるが、ふとテーブルの隅に寄せられた大量のパンに目を止める。

「スハラ、これは?」

 難しい表情のまま顔をあげたスハラは、もらったのよと簡潔に答える。

「持ってく?何なら、オルガにも持っていってあげて」

 サワさんは、少しだけ迷うそぶりを見せて、紙袋から出されていたタマゴサラダとメロンパンを持って帰っていった。

 あぁ、俺のタマゴサラダ・・・。

 窓際では、レンが残念だったねと言うかのように、にゃあと鳴いた。

※ ※

 レンが、定時の散歩をしていると、声をかけて来る猫がいた。

「レンさん、どこ行くんです?」

 振り向くと、サビが、何かを前足で押さえていた。

「なんだい、それは」

 サビはえへへと笑って、自慢げにひげを伸ばす。

「そこで見つけたんです。黒いヘビ。こいつ、空飛んでたんですよ」

 サビは嬉しそうに前足でぺしぺし叩くが、ヘビは逃げようと必死に蠢いている。
 それにしても、うるさいヘビだ。

「そんなやつ、さっさと放しちまいな。うるさくってたまらないよ」

 レンに言われても、サビは首を傾げるだけだ。

「うるさいって何のことです?レンさん、なんか聞こえるんですか?」

 あぁなんだ、聞こえてないのかい。

「なんでもいいさ、なんでもいいからそんな気味の悪いもん早く放しな」

 サビは、しょうがないなと、ヘビからやっと手を離した。すると、蛇は感情のわからない黄色い目でレンを一瞥し、あっという間にどこかへ行ってしまった。

 全く、変なモノがいるもんだ。

 レンは、散歩を再開する。
しばらくはサビもついてきていたが、気まぐれな猫はいつの間にかいなくなっていた。
 いつもの散歩コースを周って、旧寿原邸に帰る。
 レンは、レンのために開けてある窓の隙間から家の中に入ると、定位置に座り、さっきのヘビを思い出す。

 なんだったのかね、あれは。

 しかし、思考はあっという間に溶け、気付くとレンは陽だまりで丸くなって眠っていた。


※エピソード一覧

・第1部
ep1「鈴の行方
ep2「星に願いを
ep3「スカイ・ハイ
ep4「歪んだココロ
ep5「ねじれたモノ
ep6「水の衣
ep7「嵐の前の静けさ
ep8「諦めと決意
ep9「囚われの君へ←今回のお話

・第2部
ep1「北のウォール街のレストラン
ep2「高嶺の花

※創作大賞2024に応募します!

#創作大賞2024
#ファンタジー小説部門

古き良きを大事にする街で語られる、付喪神と人間の物語をどうぞお楽しみくださいませ。

※コメントはこちらから

ここまでお読みいただきありがとうございます!
おかげさまで第一部が終わりました。いかがだったでしょうか?
もしご感想等ございましたら、大変励みになりますのでよろしくお願いします!

いいなと思ったら応援しよう!