Z世代が観た『終りに見た街』、今夜は眠れそうにありません
1998年(平成10年)生まれの私と戦争の関係性は、主人公・田宮太一(大泉洋さん)よりも薄っぺらい。
まだテレビで「火垂るの墓」が放送されてはいたし、学校の平和学習で戦争に関するテレビドラマを見たことはあったが、本当にそれだけだ。戦争はテレビの中の出来事、ぐらいにしか認識していなかったように思う。
そんな私は小学生の頃に見た「火垂るの墓」がトラウマになり、夏休みに偶然目にした戦時中の絵を見て気分が悪くなってしまった。中3で訪れた沖縄ではひめゆりの塔にもガマにも入れなかった。だから、大人になるまでずっと戦争の話題から避け続けていた。
『終りに見た街』を見ようと思ったのは、単純に宮藤官九郎×大泉洋のタッグが見たかったからだ。『不適切にもほどがある!』に大ハマりしていた私は、吉田羊さんもでるし絶対面白いじゃん!と何も考えずに見始めてしまった。
戦争の描写が深まってからも「何をきっかけに現代に戻るんだろう」「家もレオも元通りになってたらいいな」とそんなことばかり考えていた。
2024年から昭和19年にタイムリープ。戦争の悲惨さを目の当たりにして、現実に戻る。この先の未来を少しでも良くするために生きていこう…そんな終わり方だと勝手に思っていた。
平和が当たり前になった日本に生まれ、育ってきた私にとって『終りに見た街』のラストは本当に衝撃的だった。太一の呆然とした瞳が頭からこびりついて離れず、眠ってしまったら最後、明日の日本もああなってしまっているのではないかと思ってしまう。
死は、いつか突然やってくる。戦争だけじゃない。事故も病気も災害も、いつも予告なく突然やってくる。これまでの経験や知識など歯が立たず、あっという間に命をさらってしまう。
そう分かっているのに、私たちは毎日毎日くだらない炎上をスクロールし続けている。人の命を軽視する攻撃的な言葉たちを「またやってるよ」と他人事でスルーしている。なんて愚かで無駄な時間を過ごしているのだろう。
選挙に行ってもすぐに未来は変わらないし、一部の大人たちによって憲法9条は変わろうとしている。末端国民の私がどう働きかけたって、正直何も変わらないだろう。
でも男女平等、増税、同性婚、地球温暖化、どれも「平和」がなければ議題に上がることもないのだ。私たちは何よりもまず、今のこの「平和」に感謝して未来に残していかなければならない。
眠れない夜に書いたこの拙著が、いつか誰かの心を少しでも動かすことができればと思っている。