メモを失くした男の思い出した些細な記憶について
昔、メモを失くした男が思い出していたのは、ほんとうに些細なことだった。スタンディングテーブルに軽くうつむき加減に佇む彼は、ホットコーヒーの香りが漂う店内でふと我に返った。あれほどメモの紛失を責められ職を追われたのだが、実際はメモは彼の手元に残っていた。誰も知らないことが当たり前のことのように。失くしたことになっていたのは、どうしようもない事情が火星の至る所に密かに口を開けていたことを、調査員だった彼が知ってしまったという事情によるものだった。そのことは誰にも打ち明けなかった。