人生初の初詣
明けましておめでとうございます。2025年スタートしました。仏壇と神棚に手を合わせて新年の挨拶をして、
朝はお雑煮、お重一段ずつに詰めた、田作り、黒豆、なます風サラダ、さつまいも栗きんとん、を食べました。
12月後半ずっと雨でどんよりしていた日が続いていたけれど、元旦の今日は珍しく天気が良い!
クリスマスプレゼントの白紙カードで芯ちゃんが一生懸命作った手作りトランプが正月に間に合ったので、ババ抜き!4歳のゆーちゃんがババ抜きのルールを理解して楽しんでやることができた、成長してるなぁ。理解できると楽しめる事も増えるからエンジョイできるよね〜。
元旦の今日は天気に恵まれたので、せっかくだから歩いて地元の浦嶋神社へ!参拝してから浦島公園で缶蹴りして遊ぶ。
天気良いって気持ちいい〜!
私、実は人生初めての初詣。
もともと私の中に神社仏閣の日本文化が根づいてないんだよなぁ。。そういう文化は伊根に暮らしてからで目から鱗、感心することばかり。
きっと、そういう文化から離れた育ちをしてきたからだろうし、親にあまりそういったことの関心がなかったからだと思う、それが悪いわけでは全然ないけれど、私は伊根に来て日本文化の素晴らしさを感じまくってきた。
近くには由緒正しい浦島太郎こと浦島子の神社。
道の途中には、玉手箱のけむりが滝になったという滝山。
こういうローカルとか、ルーツみたいな文化的なものには感性的にものすごく惹かれるんです。浦島子の故郷、ここに暮らしてからずっとロマンを感じています。
神社仏閣の日本の良き文化を当たり前に暮らしにとりいれたいな、それが子どもたちに自然と根づいて欲しい、とも思うのだけど、なんだか自分の中にある抵抗感が払拭できてない、、
育ち的な要因も大きいとは思うけれど、、それにしても、、なんでこんなに抵抗感があるんだろう、、?とまた潜在意識さんに聞いてみた。
そしたらまた出てきました。
→「他力本願はダメ!」
そう、自分の外側に依存することへの強烈な拒否感があるみたいなのです。
神社仏閣に拝みに行く人は何かに一生懸命すがっているように見えていたわけです。確かにすがっている人はたくさんいると思います。何かに頼っていれば安心とか、幸せになれるとか、それは他力任せであって、依存症です。それが小さいころから変だなと思ってきたのです。
だから、神社仏閣は変な所だから私には必要ないと思ってきた。
他力本願はよく人任せ、他人に依存するという意味で使われてます。でも、ちゃんと調べてみると違いました。
「他力本願」=語源は仏教にあります。仏教で言われる他力本願とは、阿弥陀如来の本願力のことを言います。阿弥陀如来の本願力とは、すべての人が持っている暗い心=無明の闇を破り、心からの満足、幸福を与えるお力です。
これ!他力とは本願力!本当の願い、だた一つ叶えたい願い。
仏様の本当の願いとは全ての人を本当の幸せにしたい。
他力本願とは、他の本当の幸せを願うこと!
すごい!すごすぎる!
だから私が四男が元気がなくなった時に、心の中で、
「私の命をかけてもこの子を助けてください。助けて下さい。」と本願したことで不安が消え失せたのが分かりました。
本当にすごい、感動の渦中。