父親の入院
10日ほど前、父親が肺炎で入院しました。
入院当初、医師からは「危ない状況、いつ呼吸が止まってもおかしくない、でも薬が効けば元気になるかもしれない…」と言われました。どうなるか予断を許さない状況で、覚悟はしておく必要があるということだけは分かりました。そして入院から10日経過して、父親はまだ何とか生きています。
現在83歳、数年前から枯れるように徐々に小さくなってきましたが、大きな病気もせず、自分で歩いて食事してトイレも行って…流れる時間はゆっくりしていましたが、自由気ままに過ごしていたように見えます。咳き込んだり、むせたりすることが多く、病院でも調べてもらいましたが、どこも悪いところはなく、ただ肺活量が95歳並みと言われました。このまま老衰が進んで穏やかな最期を迎えてくれれば…と思っていましたが、肺炎で入院したことにより、一気に弱ってしまったように思います。
父親とは昔から反りが合わず、何となく距離を開けていました。私が妻と子供たちと別居して、実家に戻ってきて再び両親と同居するようになって以降も関係性は変わりませんでした。妻や子供たちのことを尋ねようとしてくる父親をうざいと思い、必要最低限の会話しかしてきませんでした。それでも相手は80歳を超えた老人ですので、いたわりの気持ちも持っていて、病院の送迎や体調の確認などはしていました。衰えてきたとはいえ、まだ大丈夫かなと思った矢先の肺炎でした。
あんなにうざいと思っていた父親でしたが、いざ入院して弱っていく姿を目の当たりにすると、何とも言いようのない悲しさ、寂しさが募ってきます。もっと優しくしておけば良かった、たくさん話しておけば良かった…という後悔の念も湧いてきます。そして、孫に会わせてやれない申し訳さなと情けなさを痛感しています。
入院先の病院は原則週1回のお見舞いしか認められていません。しかし、父親は症状が重く、いつ急変してもおかしくないということで、毎日、自由にお見舞いすることが認められました。そのため、私も土日、在宅勤務のときなど可能な限り母親と一緒にお見舞いに行き、父親に話しかけています。眠っているときもあれば、起きているときもありますが、言葉も聞き取りにくく、意識も混濁しているときがあります。それでもはっきり言われたのが、「気にせず普通に生活しろ」「仕事も勉強も頑張れ」「体調は大丈夫か?」といった言葉でした。ありきたりな言葉ですが、この言葉を忘れずにいようと思います。
誰もが死を迎えます。でも、どのように死にたいか…ということはこれまであまり考えてきませんでした。父の入院をきっかけにして、「死」について考えることが増えてきました。そこで気付いたことは、死に方を考えることは、突き詰めれば生き方を考えることなのかもしれないということです。「生」の対極に「死」があるのではなく、「生」の最後に「死」があるのであって、決して対立するものではないのかな…と感じています。「生」の中に既に「死」が包含されている…一つの同じ軸の流れの中にあるのかもしれません。
父親の生き方というのは、必ずしも見習えるものばかりではなく、反面教師にするようなことの方が多かったように思います。それでも自分の父親が生死の境を彷徨い、意識が混濁している姿を見るのはとても辛いものがあります。父親は最後に死に様を見せようとしています。悲しい、寂しい、まだ生きてほしい…色々な思いが交錯しています。でも父が死に向かっていく姿から目を背けず、しっかり向き合っていこうと思います。その姿そのものが父の生き様であり、私に対する最後のメッセージになるのだと思います。