父の入院のこと。その七
(前回noteのつづきです。)
翌朝、ぼくはこの日はひとりで父のアパートへゆきました。
アパートに到着して、まずは、数日間そのままになってしまっていた部屋の匂いがわるかったので、窓を開けたり換気扇をまわしたり。
あとは、前日にはかせた介護パンツを取り替えようとして。このときにね、父が顔をしかめるように痛そうな顔をしたのですが。あとで病院の先生より聞けば、長いあいだ同じ体勢で倒れていたため「褥瘡(じょくそう)」ができてしまっていた、とのことで。じぶんも慣れなさもあいまって、取り替えるのはたいへんだった。
それから、すこしの食事とお水を取らせて。
でも、これから、どうしたらよいのか? は、さっぱりわからない。
‥‥というふうにしていたときに思い出したのがね。せんじつ、父の「介護保険」の訪問調査で来ていただいた市役所のかたより、介護のことでなにかあれば、豊橋市内の地区ごとで「包括センター」という施設があり。そこへ連絡をしてください、とのようにおっしゃっていたので。部屋に置いておいたパンフレットをめくり、電話をする。
電話では、たどたどしくも昨日からの経緯を説明いたしまして。すると、これからアパートへ来てくれる、というふうに言ってくださって。
その後、包括センターのおふたりのかたが部屋へ来られて。父の容態を見て、まずは、かかりつけのお医者さんで診てもらったほうがよい、とのことでしたので。包括センターのかたが、父の通っている脳神経内科へ連絡してくれて。診察予約を取り、父は、ぼくの運転で乗せてゆき、うしろから包括センターのかたたちも病院まで来てくれる。というふうになりました。
病院では、先生の診察や、倒れたときの影響を調べるためのMRI検査や血液検査をしたり。
また、包括センターのかたより介護施設等についての説明を受けまして。
包括センターのかたのお見立てや、当初の先生の診察では、父はしばらくはじぶんで生活できそうにないので、まずはいちど家族の自宅にもどって、つぎの施設なりが決まるまではそこで生活するようになるかもしれない。のようにおっしゃっていたので、そうなるかもと母へも連絡をしていたのですが。
そのあとからの先生のご説明では、、
「数日間倒れていたとのことで、しばらく食事やお薬を飲めてなかったために体の運動機能が下がっています。なので、その機能を倒れるまえの元の状態へ戻すため、まずはリハビリの入院をするのはどうですか?」
と提案していただいて。そうすることに決めました。
ここで、包括センターのかたとはお別れをしまして。この病院へは父の友人の大木さんも来てくれたので。大木さんとともに、入院先として紹介していただいた市民病院へと向かう。
市民病院へ到着して。検査や診察や入院の準備や説明等で、最終的に夕方ごろになってしまったので。この日も職場へ連絡して、アルバイトのお休みをいただく。そして夜ごろ手続きもすべて終わり、帰宅する。
というような一日だったですが。。
朝、家を出るときにはさ、その日の夜にはどうなっているか? が、まったく予測つかないような日だったけれど。いろいろなかたに助けていただいたり提案してくださったりして。なんとか一日を終えることができて、ほんとうにありがたかった。。。
(つづきます。)
平成30年12月15日