STEAM教育の可能性を凝縮したのがパン作りでは?という仮説。
我が家の長女が、学校で書いた詩で、『イベント』というタイトルの詩を書いていた。
それが、私のナリワイの1つであるパン屋のイベント出店の時の話で、
いろんなお店があって楽しい、お友達に会えたりして嬉しい、手伝いをがんばるぞ!という気持ちを歌った詩だった。(実際には、途中でふらふら遊びに行っちゃったりするんだけどね、でも書いてもらえるとやっぱり嬉しい)
長女を妊娠中にパン作りに目覚め、出産後も赤子の世話の合間にセコセコとパンを焼いていた私。赤ちゃんの頃から、いっつも馬鹿みたいにパンを焼いていた私の姿を見ているので、娘の中に「ママはパンを焼いている人」ということが当たり前にあって、販売で余ったパンを食べるのは日常(塩パン残していないと怒る)、休みの日に一緒にパンを作ったり、販売の日に手伝いをしてくれたり、パンというものに普段からよく触れ合っている。
パン作りって科学でありアートであり食育であり、つまり総合的な教育プログラム
そんな日常なので、子育てとパン作り、というのは私の中でとても近くて関係の深いもので、
・子育てとパン販売の仕事の両立
というシビアな問題(物理的な労働時間の問題とか)を抱えつつ、
・酵母を育てるって子供を育てるのと似てる
という感覚から始まり、
・パンの生地を触って癒されるのは子供も大人も同じだ(手から伝わる感覚)
という発見や
・時間がたつと膨らむという不思議(発酵のメカニズム)
・自分で時間をかけて自分の手で作ったものを食べる感動(特に焼きたてのパン!)
という体験を子供たちと共有してきた。
そして娘が小学生になり徐々に幼児から児童へと感覚が変わってきたこの頃、さらに感じることが、
・パン作りって科学でありアートであり食育であり、はたまたビジネスにも繋がる、つまり総合的な教育プログラムなんじゃないか?!
という仮説。
今注目させれている「探究学習」「サービスラーニング」「プロジェクト型学習」にも通じる部分がある。
また、近年よく話題に上がるSTEAM教育にも関連付けられる。
パンを作る過程はとても科学的なので、何度でパン生地を捏ねあげて何度で何分発酵させると、どう膨らむか、という観察、実験の視点も非常にあるし、小麦という農作物を食べ物に変える過程も特殊だ。
正直な話、この発想は、「学校つまらない」って言い出した長女の話から始まった。友達とも別に問題はなく、勉強についていけない訳ではない。でも「つまらない!」という娘の訴えを聞いて、親の私は「どうしたらいいのかな」と悩み、教育についてすごく調べたり本を読んだりしている。その結論、「学校つまらないって思うの当たり前かもな。」という気持ちもあり。学校自体を完全に否定するわけではないけれど、「何か足りないんじゃないか、今の教育システムには。」という不安を覚えた訳です。
実際、不安を抱えている親が全体の75パーセントを占めていたというアンケート結果も。(5~15歳の子どもと同居する首都圏(東京・埼玉・神奈川・千葉)の男女対象)
彼女の「つまらない」の反対側にあるのが冒頭の詩にあった「パン屋のイベントの手伝い」なのだとしたら、そこには日本の教育の「つまらない」を変える可能性があるんじゃないか、と勝手に思っている。
パン作りとは「酵母菌による発酵」。"酵母菌"を育てるために人間ができることは、より発酵しやすい環境を整えること。
同じく子供の教育に関しても、親ができることって、その子にとってより伸び伸びと成長しやすい環境を整えてあげることでしかないんじゃなかろうか。
そんな思いが日に日に膨らむのだけれど、現在調べた感じだと、小学生以上を対象にしたパン教室って本当に少ないのね。そこに本当に需要がないのか、もうちょっと悩む。
そしてパン作りを教育のジャンルで生かせる可能性を探る。