一欠片のキャラメル
おじいちゃんがこの世を去ったのは一昨年の11月。
老年実習で課題や学習に追われていた中、急いで電車に乗って帰省したことを覚えている。
あれからもう2年の月日が過ぎた。
でも、未だに後悔していることが一つある。
それは、おじいちゃんに一欠片のキャラメルを食べさせてあげられなかったことだ。
§
おじいちゃんは元市役所公務員で、結構な重役に就いていたらしい。
そんなこともあってか、世間体を気にすることが多く、また、法定速度を絶対に遵守するほどルールには厳しい人だった。
僕は小さい頃の記憶があまりないが、僕が1人でおじいちゃん家に初めて電車で行った日に、おじいちゃんが駅まで車で迎えにきてくれたことを今でも思い出すことが出来る。
その日は大雪が降っており、おじいちゃんはいつも以上に安全運転をしていたため、「遅すぎるよ!」って文句を言ったのを覚えている。
時は経ち、両親が離婚した関係で、おじいちゃんも僕の家に引っ越してきて、母、姉、僕、おじいちゃん、おばあちゃんでの5人暮らしが始まった。
おじいちゃんはいつも優しくて、よく雨の日や雪の日に送り迎えをしてくれていた。
でも、そんな優しいおじいちゃんは、僕を叱ることもあった。
きっと、いなくなったお父さんの役割をしていてくれたのだと思う。
そして僕が消防士になった時にはとても喜んでくれて、いつも僕が消防の話をする時は笑顔で話を聞いてくれた。
そんなおじいちゃんも歳をとり、段々と認知症の影が近づいてきていた。
その頃の僕は認知症の知識なんか全くなく、最近おじいちゃんが変な行動するなーとしか思っていなかった。
しかし、そう思っている内にどんどんと認知症は進行し、僕が消防士を辞めて家を出る頃には、毎日「今日は仕事じゃないんか?」と聞くようになっていた。
それから、おじいちゃんのことが気にはなりつつも、課題や実習などに追われ、中々家に帰れない日々が続いていた。
そんな時、おじいちゃんが肺炎で入院したとの連絡がきた。
看護学生として医療の知識を学んでいた僕は、「これは急いで帰らないとダメだ」と思い、すぐに帰省して、おじいちゃんの入院している病院へ向かった。
久しぶりに見たおじいちゃんは痩せ細っており、「おじいちゃん、お見舞いにきたよ」と話しかけても、曖昧な笑顔で頷くだけだった。
そんなおじいちゃんの姿を見て、「もうあんまり長くは無いのかもしれない、、」と心の中で思いながら、実習のために自宅へ帰る電車に揺られていた。
そして本格的に実習が始まり、看護計画の立案やパンフレットの作成などで忙しい毎日だったが、なんとか土日の時間を作っておじいちゃんに会いに行くようにしていた。
そんな中、僕がお見舞いに行った時に、親戚もお見舞いにきてくれていた。
そして、明らかに弱ったおじいちゃんを見て、「おじいちゃんにキャラメルを食べさせても良いか看護師さんに聞いてこようかな。」とポロッと口にした。
その時僕はつい「やめておいた方がいいんじゃ無いかな」と言ってしまった。
その言葉が出たのは、おじいちゃんが誤嚥して状態が悪化するリスクが高いと思ったからという理由だけではなく、僕は心のどこかで、多忙な業務に追われる看護師に気を遣っていた。
後悔しかない。
おじいちゃんは、僕達が帰った約2週間後に容態が急変しこの世を去った。
大好きだったキャラメルを口にすることなく。。。
あの時、変なプライドや気遣いを捨てて、看護師に相談していれば、、。
あの時、恥ずかしがらずにおじいちゃんに話しかけていれば、、。
あの時、、、。
おばあちゃんが、おじいちゃんは毎日家で僕のことを気にしていたと教えてくれた。
「今日は仕事に行ったか?」
「消防士を頑張っているんだろうか」と毎日言っていたそうだ。
おじいちゃんはずっと僕の父親代わりをしてくれていた。
だけど、そんなおじいちゃんに親孝行をしてあげることはもう出来ない。
今さら後悔しても遅いんだ。
看護学生として医療の知識を学んでいたにも関わらず、後悔する選択をしてしまった。
いや。
むしろ中途半端に知識があったからこそ、後悔する選択をしてしまったのかもしれない。
あの場においては、自分が医療職の端くれであることなど全く関係ないことだったのに。
死んでしまっては、もう何もしてあげられない。
そんな当たり前のことを医療者の端くれである僕が分かっていなかった。
人は後悔してからその過ちに気付くというのは本当かもしれない。
取り返すことが出来る過ちならばそれも良いだろう。
でも僕のように取り返しのつかない過ちは、そうあってはならない。
もしいまこの瞬間に、この世を去ってしまいそうな人に対して、変なプライドや見栄で自分の本心を隠してしまっている人は、そんなもの取っ払ってほしい。
もし過去に戻れるなら僕も間違いなくそうするだろう。
そしておじいちゃんにあげるんだ。
一欠片のキャラメルを。