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私がnoteを始めたわけ(毒舌注意)②


でも私がより腹立たしく、忌避しているのは、“読解力のない人達”ではなく、語彙力のない人達・文章力のない人達です。


語彙力がないとは?


語彙力とは、単語の字と読みと意味を正しく覚えて、文章を書く際に正しく使用する力です。
それがない人のまぁ多いこと!
インプットの時点で間違っているのです。

「妙齢」ってお年寄りのことじゃないって知ってましたか?
「性癖」ってエロい意味の言葉じゃないって知ってましたか?

慣用句も間違いが多いです。
「的を射る」を的を得る、と書いたり、「やむを得ない」を「やむ終えない(負えない・追えない)」など。

ただし、それぞれ間違えるメカニズムが違うんですね。

単語を間違えるのは、ある人があまり一般的でない言葉を字面でなんとなく意味をわかった気になって誤用して、SNSを通じて一気に拡散されてそれが正しい意味として定着してしまったパターンが多いと思います。
一方、慣用句を間違える人は言葉を音で掴んで理解しようとする人(聴覚優位)のため、字が間違ってても気にならないから間違ったまま使うのではないでしょうか。慣用句の意味を間違えるパターンってあまり見ない気がします。

文章力がないとは?


主に、「てにをは」を正しく使えていない人が多いです。要は文法がぐちゃぐちゃの文章を書く人が多いのです。
主語と目的語が入れ替わっていたり、わかりにくかったり。
長文を書いているうちに視点が途中で変わっていたり。(例:「◯◯が〜した」となるはずが、途中でいろんな展開があって一文が長くなった結果、「〜された」になっている。だったら「が」じゃなくて「に」だろ!)

私、品詞の種類には興味がなくて覚えていませんが、文法がおかしい文章はわかります。
Xを見ていて流れてくる文章にしょっちゅう心の中でツッコミ入れながら校正しています。
もちろん相手に直接指摘したりなんかしませんけども。

私が語彙力のない人・文章力のない人を嫌う理由


なぜならば、彼らは間違った言葉を広め、日本語文化を壊していっているからです。

もちろん彼らに悪意はありません。日本語文化を崩壊させようだなんて大それた意図はないでしょう。しかし、だからこそ質が悪いのです。

間違った単語、間違った慣用句、間違った文法がSNSを通じて市民権を得て、やがて世の中の多数派になったらどうなるでしょう?
正しく勉強した教養ある人達の方が「間違っている」という扱いを受け、教養ある人達はバカが正義になった社会に愛想を尽かし、社会は分断されていきます。
わたしはそんな、本物と偽物が入れ替わるスリラーはまっぴら御免です。

面白い表現や洒落た言い回しはいらない。
ただまともな文章を読ませてくれ…!

まともな文章に飢えた私は、ブログという媒体に救いを求めました。
そして行き着いたのが、このnoteです。

まず書きやすい。
シンプルなデザインと機能、そして、いきなりブラウザを切り替えても随時自動で文章を保存しておいてくれるという、痒い所に手が届く神仕様。(他所にも実装されているのかは知らないが)

そして、まともな文章を書く人がたくさんいるーーーーーーーー!!!!!(滝涙)

まともどころか楽しく読める教養に富んだ文章にたくさん出会える。

私はnoteを始めて本当に良かったです。

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