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ゆっくりお酒が飲める日を待ちながら今日はひとまず渋谷のバーのマスターが書いたショートショート恋愛小説集を読もう。
『シャルトリューズ』は、重厚なハーブの香りとたっぷりの甘みが魅惑的な薬草酒です。宗教改革の混乱が続く17世紀のフランスで生まれたと伝えられています。
現在も発祥地であるアルプスの麓の修道院で作られており、3人の修道士だけが秘伝のレシピを守っているとのこと。
神に仕える人たちが作ったお酒ってアブナイ感じがして素敵ですよね。私は好きです。
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そんなシャルトリューズが、渋谷のバーのマスター・林伸次さんが書いたショートショート恋愛小説集『恋はいつもなにげなく始まってなにげなく終わる。』で、15番目の物語に登場します。
ひと肌の恋しい11月、流れているレコードの歌詞にバーテンダーさんが浸っているとコーデュロイのジャケットを着たお洒落な老紳士が、本書の舞台であるバーにご来店。孫に渋谷の町を連れ回されて疲れたことを話す老紳士に、バーテンダーさんが勧めたお酒がシャルトリューズです。
そして、ぴったりなお酒のセレクトへの御礼から老紳士の雑談が始まり、最近抱いた恋心の話に繋がります。
老紳士が語ったのは、とある百貨店で出会った和服の老婦人に、自分は恋をしたのだろう、彼女も恋をしていたのかもしれない——という、それっきりの小さな恋のお話です。
小さな恋の物語に私はホッとした気分になりました。曇り空に晴れ間を作る風のようなサーッと吹いて止む恋の物語は「綺麗だな」って感じませんか。
こういう綺麗な恋の物語が『恋はいつもなにげなく始まってなにげなく終わる。』に23編も収められています。様々なお客さんがバーテンダーさんについつい恋の話をしてしまう、というのが主だった話の流れです。
「あの恋はたしかにあったはずなのに、あの時、誰かのことを強く好きだと思った気持ちはたしかに存在したはずなのに、いつか消えてしまう。私はそんな存在したはずの恋を書き留めて、この世界に残しておこうと思った」
と、本書の冒頭で語り部であるバーテンダーさんが問わず語りしています。素敵です。真実か空想か分からない、曖昧な感じにどきどきします。
実際のところ、バーテンダーさんはお客さんの恋の話をたくさん聞いてるんじゃないのかなあと私は思います。バーによく行くので。
「ああ、これは小説になりそうな話だな」と思って、わくわくしながら林さんは耳を傾けているんじゃないでしょうか。でも、職業倫理に忠実な正しいバーテンダーはお客さんの話を他所でしてはいけません。
「(私は何もできないのに)人はなぜ、バーテンダーに恋の話をするのだろう……」という本音をこらえきれず、物語のモデルにバレないように林さんが蒸留したうえでこっそり本にしたような雰囲気です。やばい。まるで密造酒。
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私が思うに、綺麗な恋の物語が嘘っぽい時代になってしまいました。マッチングアプリの中ではマーケティングリサーチと確率論を駆使した恋愛競争戦略論に基づいてお手軽に恋が生成され、赤裸々トークがSNSでバズり、自らの存在意義を見出した発信者が読者の代理戦争に日夜勤しみ、ブラッディーな思想を拡散した結果でしょう……というのは私の本音の一面ですが、全部がそうだとはもちろん思っていませんよ。すみません、言いわけっぽいですね(汗)。
でも綺麗な恋の話って、いかにもバズらないと思いませんか?きっと少なくないでしょうに。
だから、林さんによって書かれた本書が世の中のバランスをいい感じにしてくれるんじゃないでしょうか。そういう期待を込めて私は解説を書くことにしました。あんまし恋愛ってガラじゃあ、私はないんですけど。
別に恋をしてなくてもバーでお酒を飲むのは良いものですよ。自分の話したいときに自分の話したいように、バーテンダーさんとお話しすると元気が出てきます。熱はないけどなんとなくダルいって人は、それこそシャルトリューズを飲むといいかもしれません。疲れた心と体に薬草酒が効くと思います。
とはいえ時短営業で落ち着いて飲めないのが悲しい。タイムリミットを気にせず一杯のお酒を大切にじっくり飲んでゆっくり酔うのは心地良いんですけどねえ。