医大生の小話① 話が長い人の悩み
こんばんは。一昨医と申します。
今日も投稿読んでいただいてありがとうございます。
今日のテーマは「話が長い」こと。
何を隠そう、私自身がその手の人間です。
最近、友人との間で「話が長い」キャラとして半分ネタになってきていて。昨日寝る前に、これも何かしら理由があるんじゃないかと思ったので、自分なりに掘り下げてみようと思います。
話がまとまらないから。
一番大きな理由はこれなんじゃないかなと思うんですよ。
話している途中で、「~でね、それで~」とか「これってこういうことなんだけど~」とか。
たとえ話も含めて、ついつい話を付け足してしまうことが経験上多いです。
この付け足した話って、あってもなくても文章としては意味が通っているし、正直言って要らないですよね。
英語の構文読解でいうところの分子構文みたいな。←まさにこれ
なぜそうなるかというと、4パターンある気がしています。
①根底に「ちゃんと相手に伝わっているか?」という不安がある
話した内容が間違って相手に伝わることってありますよね。
その結果として自分に被害を被った経験がある人なら、「先にこれもあれも言っておかなきゃ」と思って、補足しながら話を進めると思います。
どれだけ情報を追加してわかりやすく話したところで、結局は聞き手の理解度次第なところがあるので、効果判定は何とも言えないですけど。
初見の内容で基本事項がわからない時にはむしろありがたいことだなと思います。
②話す内容を今考えながら話している
大勢の前でいきなりスピーチを振られたときとか、友達との会話に起こりがちな気がします。
その瞬間ごとに言葉を紡いでいるわけで、そこに連続性を持たせるのは結構難しい気もしますが…
③自分に与えられた話す時間が無限である(と思っている)
自分も「あ、話しすぎた」って局面はよくあるので、悩ましいですね。
少なくとも時間制限のある局面で、これはマナー違反ですよね。
④伝えたいことがありすぎる
校長先生の話ってこれじゃないかと思います。
人のためを思って(かどうかはわからないけれど)、伝えたいことはこれでもかと盛り込んでしまうんでしょうね。後輩についつい説教じみた話をしてしまう人も同じ部類な気がします。
状況をわきまえて端的に必要な情報を伝える努力をしよう。
結局のところ、話が長いことってそんなにマイナスなことじゃないと思うんですよ。
「話が長い」ってことは、どの場面においても、相手と真摯にコミュニケーションを取ろうと試行錯誤しているからこそ生まれる事象なんじゃないかと思っていて。
それ自体はむしろ誇るべきことかもしれません。
ただ、その時々の状況において、話を端的に絞ることが求められます。
連絡事項は結論から伝えるべきだし。
スピーチとか、時間制限のある発表は、必要なエピソードとバックグラウンドも必要でしょう。
友人との語らいなんかでは、テンポを合わせることも大事ですよね。
意識することはいくらでもあると思います。だから巷にコミュニケーション法があふれかえっているのでしょう。
僕の課題は、この話を絞る技術が拙いことにあるんだと思う。
話を聞く中で、この技術は使えるなとか気付いたり、流れを考えて修正しながら話したり、日々試行錯誤しています。
このプロセスにも意味があると思う。(そうであれ!笑)
noteもこの練習のための一舞台だと思っています。
まとめとしては、
補足説明を入れられる理解力や見識の高さ、誠実さをを持ちつつ、その場に応じた話の絞り方ができる技術を持ち合わせれば、より上手にコミュニケーションを取っていけるのではないでしょうか。
キャラ立ちするのなら、ネタにできる「話の長さ」なんて、むしろおいしいかもしれませんね。
ここまで読んでいただきありがとうございました。