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『婚姻FA』第一話
まだ肌寒い早朝の通勤電車内。葛西智也(37歳)は、スマートフォンに表示された全国紙の電子版を何度も上下にスクロールしていた。
「婚姻FA制度 施行半年で1000件突破 —— 新たな選択への期待と懸念」
大きな見出しに続き、社会面のトップ記事は「婚姻関係円滑化法」(通称:婚姻FA制度)の現状を伝えていた。野球選手の移籍制度になぞらえて作られたこの新しい法律は、想定を上回るペースで利用されているという。
「従来の離婚制度と異なり、新たな結婚相手が確定していることが特徴。現在の婚姻関係から新しい婚姻関係への『移籍』を、補償金の支払いにより実現する仕組みだ」
葛西は車窓の外を流れる景色に目を向けた。S市郊外を走る電車は、まだ満開の桜並木の中を進んでいる。淡いピンク色の花びらが、春の朝もやの中をゆっくりと舞っていた。
記事は続く。「FA制度の最大の特徴は、配偶者の同意を必要としない点にある。ただし、新パートナーとの即時の入籍が必須条件となり、補償金の算定には新パートナーの資産も含まれる」
通勤電車の車内アナウンスが、次の駅を告げる。スマートフォンの画面は、記事の続きへとスクロールされていく。
「賛否両論が巻き起こる中、政府は『個人の幸福追求の権利を守る』として、制度の正当性を主張。一方、野党からは『伝統的な家族観の崩壊を招く』との批判も」
葛西の指が画面上で止まる。その先には、制度を利用したカップルへのインタビューが続いていた。30代後半の男性の言葉が、妙に生々しく目に飛び込んでくる。
「これまでの人生を否定するわけではない。ただ、本当の幸せを選ぶ勇気が必要だった」
電車が駅に滑り込む。乗客の流れと共に、葛西もホームへと降り立つ。改札を抜けると、駅前の大型ビジョンが目に入った。
そこには政府広報が流れていた。洗練されたグラフィックと共に、「新しい人生の選択」「あなたの決断を、システムが支援」という文字が躍る。その横では、スマートフォンを操作する若い男女の姿が、清々しい笑顔で描かれていた。
葛西は足を止め、ポケットのスマートフォンを取り出した。ブラウザの履歴には、既に何度も開いた形跡のあるページが並んでいる。
「婚姻FA管理システム」
指が、アプリのダウンロードボタンの上で迷う。春の朝日が、オフィス街のガラス面に反射して、まばゆい光を放っていた。
通勤客の流れに逆らうように、葛西は駅前のカフェに向かった。まだ早い。オフィスに行く前に、確認しておきたいことがある。
店内の隅のテーブルに座り、もう一度スマートフォンを取り出す。今度は迷いなく、アプリをダウンロードした。
インストールが完了し、画面が切り替わる。
「ようこそ、婚姻FA管理システムへ」
爽やかな配色で設計された画面に、小さなチャットボットのアイコンが現れた。
「本日は体験版として、シミュレーションをご利用いただけます」
葛西は深く息を吸い込んだ。カフェの喧騒が、どこか遠くに聞こえる。指先が、画面に触れる。
「婚姻FA制度について、詳しく教えてください」
春の朝の光が、テーブルに置かれたスマートフォンを優しく照らしていた。画面の向こうで、チャットボットの返信を示す三つの点が、ゆっくりと明滅を始めた。
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【完結】婚姻FA エピソード1
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