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『婚姻FA』 第九話 (最終話)
夜の七時を過ぎ、マンションに帰宅した元妻の目に最初に入ったのは、靴箱の隙間だった。
彼の革靴が、いつもの場所から消えている。
ポストから取り出した封筒に目を留める。
FA管理課からの正式な通知書。配達記録付きの郵便。
開封する手が、かすかに震えた。
システマチックに並ぶ活字が、事務的な文面で婚姻関係の終了を伝えている。
日付、時刻、補償金の振込予定。
全てが、粛々と進められていた。
リビングのテーブルの上。封筒に入った鍵が、白い光を反射している。
一言のメモもない。
五年の結婚生活が、こんなにも無機質に終わるとは。
クローゼットを開ける。
ハンガーの間隔が、妙に空いている。
引き出しの中も、彼の存在が消えている。
書斎のデスクには、探偵報告書が置いてある。
半年分の記録。時間も場所も、全てが克明に記されている。
もう一度、ページをめくる。
写真には、他愛もない会話を楽しむ二人が写っている。
この証拠を握った時は、まさかこんな展開になるとは思わなかった。
PCを開き、検索を始める。
「不倫 証拠 法的効力」
「探偵報告書 証明力」
「FA制度 不倫」
画面には、冷徹な現実が並ぶ。
FA制度下では、不倫の証拠は法的な意味を持たない。
制度による「円滑な移行」が、全てに優先される。
部屋の明かりが、徐々に暗くなっていく。
時計の針は、九時を指していた。
探偵報告書を手に取る。
分厚いファイルの重みが、手のひらに残る。
宛名を書いた封筒には、井上の会社の人事部。
コートを羽織り、部屋を出る。
エレベーターで一階へ。
マンションの前の通りには、まだ人の姿がある。
郵便ポストまでの道のり。
かつては二人で歩いた道。
今は、一人分の足音だけが響く。
ポストの前で立ち止まる。
封筒を見つめる手に、迷いはない。
「制度は制度。でも、これは私なりの——」
言葉は闇に消える。
封筒が、静かに投函される。
郵便ポストの赤が、夜の中で鮮やかに光っている。
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