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クリームソーダ

 2人並んで砂浜に座り、僕らはボーっと海を眺めていた。

 たくさんの人達が、今年、最後の夏を惜しむかの様に、身体中の細胞に記憶させるかのように、海で泳ぎ、笑い、はしゃいでいた。晩夏の日差しを笑顔で反射させている彼らの姿を見て、あ、輝いてるってこういう事か、とボンヤリ思った。彼らの姿が眩しくて、思わず目を背ける。光で照らし出されるのは、なんだか、すべてを見透かされているようで、落ち着かないのだ。

 隣に座っているユウも同じ心境なのだろうか。じっと自分の足元の砂浜を見つめている。ユウが、今、何を考えているのか、その答えが砂浜に浮かび上がってくるような気がして、僕も、同じ場所をじっと見つめてみたけれど、そこには太陽に熱せられた、乾いた砂があるだけだった。

 高い波が打ち寄せて、人々の甲高い笑い声が聞こえてくる。潮の香りを含んだ風が、僕らの間を静かに通り過ぎていった。

 もう、終わりにしようか、と声にならない言葉を僕は飲みこんだ。鉛の塊を無理やり喉やら食道やらに押し込んでしまったかのように、苦しく、重たい気持ちになった。


 幼少期の頃から、違和感はあった。でも、その違和感が何なのか分からなかった。初めて、その違和感が何なのか分かったのは、小学生高学年になった頃だった。

それまでよく一緒に遊んでいた男友達に対して、僕は、いつもとは違う感覚を抱いたのだ。

 本能的に、これは感じてはならないことだと思った。こんな感覚が、自分の中にあることを認めてしまったら、この世界に存在する見えない大きなルールから外れることになる。そんなことになったら、僕はどうなってしまうのだろう。考えるだけで怖くなり、その日から、僕の心の中には、大きな秘密が生まれた。決して誰にも見つからないように、鍵を何重にもかけて、その秘密を、心の部屋の奥の奥の方へと隠した。

 中学生になっても、高校生になっても、僕はその秘密を隠し続けた。まるで仮面を被って日常生活を送っている様で、本当の自分をさらけ出せる相手がいない寂しさと孤独感をいつも抱えていた。親になんて、絶対言えなかった。

 そんな時に出逢ったのが、ユウだ。

 大学に入学したものの、人見知りで、友達もなかなかできず、1人校内を歩いていた時、笑顔や嬌声が交じり合う雑踏の中で、自分と同じような目をしている人を見つけた。いつも1人きりで、周りから少し浮いているような、上手く馴染めないような、どこか寂しい目をしていた。それがユウだった。

 最初、食堂で声をかけるときは緊張した。ユウも話すのが得意ではないようで、昼食を食べながら、2人でポツリポツリと言葉を交わしあったのを覚えている。周りの声がうるさくて、相手の声が聞こえず、「えっ?」「ごめん、今なんて?」って、お互いに聞き直したりしていた。

 学科が一緒だったこともあり、自然とユウと過ごす時間が多くなった。お互い読書が趣味だったので、最近読んだ本のことや、本を読むのにおすすめの喫茶店を教えあったりした。

 長い間冷え切っていた心が、少しずつ、ユウと過ごすことで、優しく暖められていく感覚があった。ただ、肝心なことはなかなか打ち明けられなかった。人間として、存在として、拒絶される恐怖が大きかったからだ。

 でも、先に扉を開いてくれたのは、ユウだった。

 その時、抱いた感覚は今でも忘れられない。自分の内側に、ずっとあった孤独感という大きな氷の塊が、振動と共に一気に溶けていくような感覚だった。

 その日から、1人きりだった世界が、2人の世界になった。

 今まで見えていたものが、全然違って見えるようになったのだ。ちょっとしたことが輝いて見えた。当たり前のように世界が存在してくれることに感動し、涙を流すことだってあった。生きていてよかったと思える自分がいることに、僕自身が驚いた。

 2人で温泉旅行に行った日の夜、お互い、まだ周りの親しい人に、自分の秘密を打ち明けていないことを知った。実家が代々続く老舗の和菓子屋なので、父親が一人息子であるユウにかける期待がとても強いらしく、死んでも打ち明けることなんかできないと、諦めたように、寂しそうに目を細めていた。

 「だいぶん前に、経営状態が本当にヤバくなったことがあるんだ」ユウは天井を見つめながら言った。「おじいちゃんが、せっかく残してくれた店なのに、潰すわけにはいかないって、父も母も、必死になって働いてた。僕はまだ小さかったから、本当の大変さなんて分からなかったけど、子供なりに父と母が一生懸命になって働く姿を見ていたんだ。もちろん、寂しかったけど、それ以上に、2人の必死な姿が今でも目に焼き付いてるよ」

 僕は、なんて声をかけたらいいのか分からず、静かにユウを抱きしめることしかできなかった。

 それからも、2人で色んなところに行った。一つ一つが大切な思い出として残っているけれど、これから先どうなりたいかという事は、話し合ったこともなかった。

 自分の学年の人たちが就職活動で慌ただしくなってきた頃、2人のお気に入りの喫茶店で、ユウがポツリと言葉をこぼした。

「大学を卒業したら、地元に帰って、実家の和菓子屋で修業するつもりなんだ」

 そんなユウの言葉に「そうか」としか言えない自分が本当に情けなかった。ユウの人生には大きなレールが敷かれていて、それを進んでいく彼を止めることは、誰にもできないような気がしたのだ。

 その瞬間、僕は、ユウがどこか遠くへ行ってしまったような感覚を覚えた。身体という物体は、僕の目の前にあるのに、心が遠く遠く離れていってしまったような、そんな感覚だった。

 僕の就職活動が忙しくなったこともあって、ユウと会う機会は減っていった。バイトの合間に応募書類を作成し、スーツを着て、面接を受ける日々が続いた。将来、自分がどうなりたいか、なんて分からないまま、慌ただしく時間だけが過ぎていった。

 不況のあおりを受けて、どの業界も求人倍率は厳しかった。焦りのような気持ちや、諦めのような気持ちが出てきた矢先、総合スーパーに採用が決まり、ほっと肩の力が抜け、安心したのを覚えている。社会に自分の存在を認められたような気持ちになった。

 そうか、僕は、ずっと誰かに存在を認められたかったんだ。22歳になって初めて自分の本心に気付けたような気がして、少し恥ずかしくもあり、嬉しくもあった。

 「海に行こう」とユウが誘ってくれたのは、採用が決まって、心も身体もほっと一段落した頃だった。就職活動とバイトで忙しかった鬱憤を晴らしたかったので、僕は「うん」と即答した。

 その時、僕は、ユウと海に行ける楽しみとは別に、なにか予感のようなものを感じていた。それは、決して直視したくない予感だった。

 2人で海に行った日、僕がユウに伝えたかった本当の言葉は何だったのだろうか。喉や食道に押し込まれた鉛の塊が重すぎて、本当の言葉は、ついに僕の口から出てくることはなかった。

 

 それからの大学生活は、驚くほど静かに過ぎていった。最後まで大学という場所や空間に馴染むことはできなかったけれど、哀愁の想いが、自分の中に確かにあるのを感じた。

 ユウとは、以前と変わらず一緒に昼食を食べたり、本屋に行ったり喫茶店に行ったり、映画を観たりしたけれど、少しずつ、自然と、2人で過ごす時間は減っていった。

 大学を卒業すると想像以上に忙しい日々が続いた。引っ越しの手続きや新入社員研修、覚えなければならないこと、考えなければならないことが多かったけれど、それは僕にとって好都合だった。余計なことを考える暇もなく、時間が過ぎていってくれるからだ。

 総合スーパーならではの騒々しい祝日セールを終えた久しぶりの休日、僕は最近買った文庫本を携えて、近所の喫茶店へ行ってみた。少し前、出勤途中に偶然見つけ、休みの日に訪れてみたいと思っていたのだ。

 アンティーク調の外観が幻想的で、まるで絵本に出てきそうな喫茶店だった。店のドアを開けると、乾いた鐘の音が響く。木製の内装が柔らかで、自然と心と身体がリラックスするのを感じた。

 僕は窓際の席に座りクリームソーダを注文した。窓から入ってくる柔らかな日の光が心地よくて、本を読むのに最適だった。

 ウエイトレスが持ってきてくれたクリームソーダを見た時、僕は、ユウと最後に行った海の事を思い出した。日の光を反射して、キラキラと輝く青色は、まるで小さなコップの中に、あの日の海を閉じ込めたかのような錯覚を僕に抱かせたのだ。


 クリームソーダを、あの日の海を、僕は、ゆっくり飲み始めた。


 たくさんの人達の、はしゃぐ声、笑い声、輝いている顔。波が打ち寄せる音、砂浜の感触、身体にあたる風、潮の匂い。

 ユウに伝えたかった、僕の本当の言葉。

 もう別れようか、なんかじゃない。

 そんな事を伝えたかったんじゃないんだ。


 本当は、

 僕は本当は、

 ずっとずっと一緒にいたいんだ、って伝えたかったんだ。

 この先も、これから先も、僕はユウとずっと一緒にいたい。これからも2人で色んな場所に出かけたい。読んだ本の感想を伝えたいし、聴きたい。

 もっともっと笑いあいたい。もっともっと一緒に泣きたい。離れたくなんかない。お願いだから、どこにも行かないでくれ。

 どこにも行かないで下さい。

 1人に、しないでください。


 本当は、そう伝えたかったんだ。

 でも、伝えられなかった。ただ伝えるのが怖かった。

 忘れようとして、必死になって蓋をしていた感情が、自分の中から湧き上がってくるのを感じた。


 そうだ、僕は寂しかったんだ。悲しかったんだ。


 ユウと別れることが、たまらなく寂しくて、悲しくて、どうしようもなかったんだ。あの日の海で、僕は、その事をユウに伝えたかったんだ。


 ずっとずっと、喉や食道を塞いでいた鉛の塊が、徐々に溶けて流されていくような感覚を抱いた。

 自分の、本当の気持ちや感情が湧き上がってくると共に、胸や顔が熱くなり、涙となって流れ落ちた。

 こんな場所で、しかも1人で泣くなんて恥ずかしい、って、頭のどこかでは思っているけれど、そんなの関係なく、そんなの何の問題もなく、ただ涙は流れ続けた。


 そんな僕を見守るように、クリームソーダは窓から入る日の光を受け、優しく、キラキラと光り輝いていた。

 


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読んでくださり、ありがとうございます。

今回は、lazy_planetさんの写真を見たときに感じたインスピレーションを元に、ショートストーリーを描かせていただきました。

 lazy_planetさん、ありがとうございます。


今日も、すべてに、ありがとう✨


 

 

 










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