無色透明
昨日、映画『きみの色』を観てきた。
(ネタバレ要素はほぼないが一応注意)
今の私が観て良かったと思う。
あまり悲劇的でなく、言葉というより視覚と空白、余韻で楽しむ、柔らかくて優しい映画。
自分の生活・人生を第三者から俯瞰してみるとこんな感じだよな、と思う。キャラクターに深入りせず、どこかヴェールで纏われて隠されている。
私も友達を見る時、こんな感じでどこか掴めない分からない感情が付随している。
トツ子のよくしていた『ニーバーの祈り』。
教会で祈る構図とスラスラ耳に流れ込んできた言葉にすこし肯定された気がする。
中学3年の時、宗教を学ぼうと思い聖書を読んでいた。それと同時期に、この『ニーバーの祈り』を知ったのだが、しばらく忘れていた。どこか安心できる言葉なので引用する。
人間関係において、変えられるのは自分自身だけ。自分が変わることによって周りが変わることはある。だから、変わって欲しいならまずは自分が変わるべきだし、必要ないなら割り切るしかないのかな、と思っていたタイミングで再開出来たことに喜びを感じる。
先日、作家の川上未映子さんがこんなツイートをしていた。
監督は意図していないような気がするが、これに準ずるものを映画から受け取った。
とはいえ常にやっていることであるため、再確認できたとでも言おうか。
人と通話した時、ご飯を食べる時、遊ぶ時、自分にその後予定がなければ、別れを切り出すことはない。したことがない、が正しいか。小学生の時からずーっとない。相手が満足した時がその時なんだと思っている。「いつが最後になるかわからないじゃん」なんて理由は最近になって後付けされたものだ。でもなんとなく、「人と関わっている時間がずっと続けばいいのにな」とは思っている。
後付けの理由だけど、今は確かな理由だ。
話が脱線した。
でもそんなことを考えながら、映画館を出た。
私の色ってなんだろうと思いながら、
一方では無色透明ならいいなと思いながら。
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