元講師が打ち明ける「歌手やシンガーソングライターを夢見る君へ」:音楽史について
ポップス系のスクールではあまり教えない音楽史
音楽史は、その名の通り音楽の歴史のことだ。
ポップス系のスクールで、あまり音楽史を教えることはないと思う。
まして、ポップス系の音楽史を教えるというのは珍しいと思う。
でも音楽史を知ることはとても大切なことなのだ。
音楽史を知ることが大切な理由
音楽史を自分なりに研究することで、「君がプロになるために、どこに狙いを定めるのか」を見極めるヒントにすることができる。
なぜなら、以下の2つの大原則を悟ることができるからだ。
①音楽は常に時代とともにある。時代を無視した音楽は流行らない。
②ジャンルには「生まれてから死ぬまで」のパターンがある。
それは、素人の遊び・実験→流行・プロ化→複雑化・権威化→衰退or破壊という流れになっている。
ひとえに音楽史と言っても、ある程度詳しく書こうと思っても分厚い本数冊以上の分量になる。
そこで、音楽史についてはごくごく一部のポイントをおおざっぱに紹介することにして、音楽史から学べる2つの大原則を理解してもらう記事にしようと思う。
音楽は時代とともにある①:神や王を称えるために使われたクラッシック
音楽とは「使うもの」だ。
誰かが何かの意図を叶えるために音楽は使われる。
そしてクラッシックは、もともと神や王を称えるものだった。
バッハのパイプオルガンの曲、例えば「トッカータとフーガ 二短調」は、文字の読めない庶民に神の偉大さを伝えるという意図があったと思う。
だからこそ壮大で重々しく、暗い曲調が多いのだ。
聴いてると反省したくなるでしょ。
神様に許しを請いたくなるように作っているのだ。
パイプオルガンは教会の建物とセットと言っていい楽器で、
外で使用人が「ふいご」で空気を送り続けることで巨大なパイプの笛が鳴り、演奏を大音量で教会内に響き渡らせることができた。
だから「神の偉大さを音楽で伝える」ためにはパイプオルガン一択だったのだ。
エジプトのピラミッド、日本の古墳、と共通な部分があると思う。
文字で「偉大さ」を伝えられないから、わかりやすく壮大な何かを作って庶民に見せる、ということだ。
ハイドンとかモーツァルト前期くらいまでの音楽は、王や貴族を称えたり慰めたりすることに音楽が使われた。
王様や貴族のお抱え音楽家がプロとしてのほぼ唯一の道だった。
部屋の中で演奏を聴かせていたため、編成も小規模だった。
大きな音量はそれほど必要ではなかったのだ。
この頃までのクラッシックはバロック音楽というジャンルになる。
モーツァルト後期くらい以降からは一般庶民も少しずつ音楽をコンサートの形式で楽しむようになっていく。
ベートーベンの交響曲やオペラ(歌劇)など、大きなコンサートホールで編成もオーケストラのような大規模なものになった。
マイクやアンプなんてない時代。
オーケストラは何十人も一緒に演奏して大きな音を作る必要があったし、
歌手は普通の話し方の声ではなく、喉を開けて、
極限まで「響かせる歌い方」にならざるを得なかった。
それが今のオペラ歌手の歌い方なのだ。
この時代のクラッシックは「ロマン派」と言われる。
一方、音楽は新しい楽器の影響も受ける。
例えばピアノが登場する前(ハイドンくらい)の鍵盤楽器はハープシーコードなどがあるが、音量の調節ができても最大音量が小さいとか、最大音量は大きいけど音量調節があまりできないという状況だった。
しかしそこに、最大音量が大きく、しかも柔軟に音量調節ができるピアノが登場する。
すると、シューベルトやショパンなど、ピアノ一本やピアノ+歌というような器楽や声楽という分野も発達するのである。
このロマン派くらいまでのクラッシックは、比較的わかりやすかった。
素人にでも、メロディを口ずさむことができる。
ほら、ベートーベンの第九とか、なんとなく口ずさめるでしょ。
しかしこの後、クラッシックは印象派の時代になっていく。
メロディは断片的になり、高度化・複雑化・象徴的な感じになる。
そしてさらに難解な現代音楽へ。
要は素人にはわかりにくくなる。
音楽は時代とともにある②:奴隷貿易から始まったブルース・ゴスペル・ジャズ・R&B・R&R
ここからはアメリカの話になる。
ブルースやゴスペルは、奴隷として無理やり連れてこられたアフリカ系の人々の文化と、西洋音楽の分野が混ざった結果生まれた。
最初は、奴隷が農作業をするうえで疲労を軽減する意味での労働歌だったろう。
その中で、主人である白人の家にあったギターやピアノに触れる機会もあっただろう。
ちなみに奴隷貿易とは、キリスト教では信者は誰しも平等なのだが、「キリスト教に属さない人間は人間ではないので、家畜として扱ってよい」という、とんでもない考え方が発端であったようだ。
一神教の怖さだなーと思う。
でも、もちろんそれは矛盾しており、人間じゃないと思っているはずのアフリカ系の奴隷に対し、もともとのブードゥー教などからキリスト教への改宗が進められ、人間じゃないはずなのに集会が禁じられた。
当たり前だ。自分と同じ人間だなんてわかっている。だから反乱を恐れて集会が禁じられるのだ。
奴隷に生まれた瞬間、一生タダ働きで、自分の好きな人生を選択することはあり得ないし、ほぼ娯楽がない人生になる。
そんな奴隷の人々が唯一許可された集会がミサだった。
もちろんアフリカ系の人々だけのミサ(まあ基本差別だから)。
そこは、賛美歌なら歌ってよかった。
そんな未来の希望も娯楽もない奴隷たちが唯一、仲間で集まって歌える機会が教会のミサだったのだ。
そこから生まれたのがゴスペルなのだ。
救いじゃない。
絶望の中でつかの間の発散だ。
救いようのない今の人生が一刻も早く終わって、天国に行きたいのだ。
だからあんな歌や歌い方になるのだ。
いろんな濃い感情の混じりあったパワフルな歌い方。
その後、アメリカで南北戦争があって、リンカーンが奴隷を解放した。
解放したけど、ただ放り出した。
アフリカ系の人々は、奴隷の時は食事はあったのに、学力も経済力もないまま放り出されたせいで、今度は食べ物にも困るくらい困窮することになった。
白人からは差別や憎しみの対象にされ、
歩いているだけで理由もなく殺されることだって普通にあった。
そんな彼らの奴隷の頃から続く絶望を、
「ぼやき」として、つかの間歌ったのがブルースだ。
もちろん、ブルースには恋の歌もある。
自由は辛さと恋をもたらすってことだよね。
南北戦争が終わると、軍楽隊の管楽器が大量に安く払い下げられた。
そこから、ジャズが発達してくる。
港町ニューオーリンズでは、白人、アフリカ系、そして様々な国からの移民が混ざり合って、主にトランペット・トロンボーン・クラリネットからなるデキシーランドジャズが生まれた。
その後、レコードが一般化する。
ラジオも一般化する。
音楽は録音・再生・放送できるようになったのだ。
そうすると、それまで少人数でアドリブが主体だったジャズが、20名ぐらいのビッグバンド編成になり、きっちり編曲してソリストがたまにアドリブするという形式になった。
「編曲されて内容の決まった曲を録音され、レコードとして販売され、リスナーは自分の部屋でラジオや蓄音機で聴く」という音楽の楽しみ方が一般化したのだ。
スウィングジャズというジャンルの頃だ。
グレンミラーとかベニーグッドマンの頃だ。
ビッグバンドがコンサートホールで演奏するようになると、リスナーは、ジャズでダンスを楽しむようになった。
なんだそれ、そんなのかっこ悪いわ、とスウィングジャズに反発して、小編成でアドリブ主体のジャズを演奏する人もいた。
ビバップというジャンルで、チャーリーパーカーとかが有名だ。
そこに、世界恐慌とか、第一次世界大戦などがあって、
だんだん経済状況が悪くなる。
その後、映画が一般化していく。
最初は無声映画だったが、トーキーといって、音も一緒に鳴る映画が出てきた。
そして、第2次世界大戦の頃になると、不景気もより深刻になり、それまでビッグバンドや無声映画での生演奏で稼いできた楽器演奏をするミュージシャンが食えないようになってきた。
そこで、楽器演奏者たちはストライキを起こす。
これにより、大編成のスウィングジャズは衰退した。
その後、楽器演奏者ではないためストライキをしなかったジャズボーカルがジャンルとして発達する。
また楽器演奏者も、小編成・アドリブ主体でのジャズを発達させていく。
モダンジャズというジャンルで、それまでのジャズよりも、複雑で、難解な音楽になった。マイルスデイビスの頃だ。
要は素人にはわかりにくくなる。
難解なモダンジャズの代わりに、ではないが、空いたスペースを埋めるというか、R&Bというジャンルが少しずつ発達してくる。
それまでのジャズやブルースの要素を含みつつ、わかりやすい大衆向けの音楽として生まれたのだ。
第2次世界大戦が終わると、ラジオ局開設の規制が緩和され、
ラジオ局が大幅に増えた。
そこにテレビ放送が始まる。当然ラジオ局はリスナーが減る。
生き残るためにラジオ局は差別化を図るようになり、局ごとに特定のジャンルばっかり流すようになる。
そこに、アフリカ系の人々が主体のR&Bばかりを流す白人経営のラジオ局が現れ、白人の若者が熱心に聴くという現象が起こる。
楽器では、この頃、エレキギターが現在の形に完成してくる。
この初期のR&BからR&R、つまりロックンロールが生まれてくる。
ロック(ロックンロール)は最初、踊るための音楽だった。
ダンスホールでポニーテールの女子が男子と踊るアレだ。
チャックベリーやエルビス・プレスリーの頃だ。
この時代の音楽をひっくるめて、オールディーズと呼ぶこともある。
大衆音楽=ポピュラー音楽=ポップスとして少しずつ認知されていくことになる。
音楽は時代とともにある③イギリスから始まったロック、パンク、レゲエ、ソウル、ファンク
1950年代、イギリスでは、ある少年たちがアメリカで流行していたロックンロールやR&Bを聴いていた。
彼らは自分たちでバンドを結成し、チャックベリーやエルビスの真似をしていた。
1960年代、そんなイギリスのロック少年たちから、ビートルズが出てきた。
ビートルズは、最初は本人たちの意図とは別にアイドル的な意味で大人気になった。
しかしその後、彼らはロックを一気に芸術の域に高めた。
おそらくビートルズは時代を超えて歌われ、愛される存在になるだろう。
そして、ギターの神様、ジミーヘンドリックスもこの頃出てきた。
ジミヘンコードなど、大きなアンプでディストーションで歪ませた音での演奏スタイルはエレキギターの可能性を何倍にも広げた。
アメリカでもイギリスのビートルズやローリングストーンズなどの音楽が大ヒットし、ブリティッシュ・インベンションと呼ばれた。
そんなイギリス出身の彼らとの交流を経て、それまでフォークミュージシャンだったボブ・ディランがエレキギターを持ち、フォークロックのシンガーソングライターとして出てきた。
ボブ・ディランは、その高い精神性でロックやポップスのレベルを引き上げたと言ってよいと思う。
2016年、彼はその歌詞によってノーベル文学賞を受賞することになる。
イギリスのロックは1970年にビートルズが解散して以降、ハードロックというジャンルが生まれ、レッド・ツエッペリン、クィーン、ディープパープルが登場していくにつれ、高度化、複雑化していく。
アメリカでもエアロスミスやKISSなどのハードロックバンドが出てきた。
一方で、この頃のイギリスは不景気で若者の失業率が高かった。
そして中南米からの移民も多かった。
若者は高度化しすぎた難解なロックを嫌がり、自分たちのフラストレーションをストレートに表現できるシンプルで力強い新しいロックを求めた。
そこから生まれたのがパンクだ。
洋服屋に集まったアマチュアバンドや店員で構成されたセックスピストルズを代表として、ファッションや反体制メッセージなども含んだムーブメントになった。
また、パンクは中南米出身の移民が持ち込んだレゲエの要素も含んでいた。
レゲエと言えば、ジャマイカでは、ボブ・マーリーのレゲエの名曲たちがリリースされていたのもこの頃。
またアメリカでは、若者=ロックという位置づけに加え、大人のためのロック=AORというジャンルも芽生え、ロック形式でありながら、大人っぽい洗練されたサウンドを提供するバンドも出てきた。ボズ・スキャッグスやシカゴ、TOTOなどだ。
オールドなR&Bはソウルやファンクへと発展し、アメリカの自動車工業が盛んなデトロイトで起業したレコード会社「モータウン」からは、ダイアナ・ロス(シュープリームス)、スティービーワンダー、ジャクソン5などが出てきた。
ジャクソン5からはマイケル・ジャクソンが出てきて、1980年代に文字通りキング・オブ・ポップスとなる。
そして、ダンス音楽も大きな動きがあり、それまでダンスホールでは生演奏で踊っていたのが、1970年代になると、レコードをかけて踊るのが一般的となり、ディスコが流行した。
映画で言えばサタデーナイトフィーバーで、バンドで言えばアース・ウィンド・アンド・ファイアーになる。
ディスコ、そしてそこで流れる音楽はテクノを経て、現在のクラブミュージックやEDMなどにつながっていく。
音楽は時代とともにある④:スラム街から生まれたヒップホップ、ラップ
1970年代、ニューヨークのスラム街に住むアフリカ系の人々は、貧しく、治安も悪い環境で暮らしていた。
若者は、新しいレコードを買うお金がない場合、古いレコードを部分的に手動で繰り返し再生しながら、ラップやブレイクダンスなどを楽しんでいた。大まかに言えば、これがヒップホップ、ラップの起源だ。
ゴスペルには、コール&レスポンスという文化があり、司祭が何か声を上げると、聴衆も大声でそれに返すというものだったが、ラップの場合も、クラブでのパーティーでDJが声を上げて盛り上げていたのが発祥だったようだ。
ラップはバトル形式をとることで、ギャング同士の抗争を流血なしでおさめる役割もあったようだ。
音楽は時代とともにある⑤:まとめ
多くのジャンルがある音楽のほんの一部について、社会の動きと絡めてかなりおおざっぱにジャンルの成り立ちを書いてみた。
一部は細かい部分については、厳密には不正確な部分もあると思う。
ただ、この記事の目的は、音楽が時代とともにある、ということを知ってもらうことなので詳しくは自分で確かめてみてほしい。
このように、社会の動きと音楽とは密接な関係があることがわかったと思う。
社会の何かが変われば、それに反応して音楽も確実に変わる。
そして現代の私たちは、まさに社会の動きは音楽をガラッと変えてしまうということをリアルタイムで体験している世代だ。
まずはYoutubeやSNS。
専門機材を持っていなくても、放送局でなくても、誰でも音楽を発信できるようになった。
誰でもできるということは競争が凄まじいということで、曲で言えば、長さが短くなったり、いきなり盛り上がる、つまりイントロ部分がなくなったりという現象が起きている。
Youtubeで大概の有名曲はタダで聴けるようになり、若者が古い名曲にも簡単に出会えるようになった。
そしてサブスク。
レコードが生まれると、生演奏できない場所でも音楽が聴けるようになり、ウォークマンが生まれると音楽を持ち歩けるようになった。そしてサブスクが一般的になった今ではCDやカセット、データという単位で所有する、つまり持ち歩くこともなくなりつつある。
Youtube、インスタ、TikTokと、あたらしいSNSが登場するたびに、そのプラットフォームを素早くうまく利用した者が売れている。
ジャスティン・ビーバーはYoutube、ビリー・アイリッシュはSoundCloudからスターになった。
今の時代、これらのSNSやネットのプラットフォームを全く利用しないで大ヒットを飛ばすことはかなり難しいだろう。
このように、音楽というのは常に時代とともにあり、時代を無視した音楽は売れないのだ。
そしてYoutubeもSNSもいつか衰退するのだ。
どういうふうにそれが起こるのかはわからないが。
いかに巨大な船に見えようが、だからといって永遠には乗っていられないかもしれない。
ジャンルには必ずある「生まれてから死ぬまで」のパターン
そして、ある音楽のジャンルの発達には、一定のパターンがあることに気付いただろうか。
そのパターンとは、
「素人の遊び・実験→流行・プロ化→複雑化・権威化→衰退or破壊」
という流れになっている。
このパターンは音楽以外の文化や芸術にも当てはまる。
あるジャンルが生まれる瞬間。
その多くはプロではない素人から発生する。
他人から見たらわけのわからないお粗末な実験をちょこちょこと繰り返している。
しかしそれがだんだん社会に認知され、プロ化して、流行する。
そうすると、なんだかそのジャンルをやっているとすごいとか偉いとか言う感じになっていく。
内容も高度化・複雑化して、芸術的になっていく。
そうすると難しくて庶民は離れていく。
その後は衰退するか、
お金持ちの人が、本当はあんまり意味わからないんだけど、ステータスとして聴くみたいになっていく。
クラッシックで言えば、
やはり最初は農作業用の疲労軽減のための歌などから始まって、
ピタゴラスとかが、ピンと張った糸の長さで音の高さが変わるじゃん、みたいな実験もあったりして、
収穫を神に感謝する素朴な歌を経て、
教会音楽になり、王様のお抱えになったりして、
庶民をコンサートを楽しむまで一般化するが、
最後は芸術として高度化して、一部の好きな人だけが聴くようになっていく。
ロックで言えば、
単純な曲で踊っていたのが、
ビートルズくらいから精神性とか入ってきて、
ハードロックとかで技術が高く、複雑になっていき、
庶民の若者は離れ、シンプルで爆発力のあるパンクが流行するという流れ。
ラップもそうだ。
極論で言えば、貧乏で古いレコードしかなかったのだ。
歌舞伎もそうだし、落語もそうだ。
新しいジャンルの多くは庶民から、素人から生まれるのだ。
ジャンルの祖先となる素人は、
それまでの「これが偉い」という誰かの感性に従っちゃうんじゃなくて、
自分が面白いと思ったものを、バカにされようと、
全然流行ってなくても、最初に自分でやってしまう。
それこそクリエイティブだと私は思う。かっこいいよね。
だから、アンダーグラウンドで、素人同然の人が、自分には意味不明なことを熱心にやっていて、それが奇特な感じに見えたとしても、バカにはできない。
その人のほうが時代に合わせて、先を行っているのかもしれないのだ。
逆に言えば、こと音楽ジャンルに関しては、すごいとか偉いとかになってきたら、成熟しきっていて、下手すると衰退するかもしれないのだ。
だいたい、ジャンルの側も、すごいとか偉いとかになると、リスナーを上からみてくることもある。
これが理解できないの?みたいな感じで。
流行して成功して、金持ちになって偉くなると、成功の夢の中で、素人を甘く見るようになるのかもしれない。
そうなったら終わりだと思う。
素人の大切さについては次回の記事で書こうと思う。
他人に左右されずに「この音はいい」と確信できる感性を持ってほしい
だから君も、もしよければ音楽の歴史も調べて詳しくなってほしいのだ。
音楽史については、今はネットで、タダで簡単に勉強できる。
ここで触れていない音楽史もたくさんある。
日本のポップス系の音楽の歴史だってあるのだ。
そして、時代の流れを察知し、適応する冷静さも、そしてそれがどんなに偉い他人でも、来歴や他人の価値観に左右されずに、自分自身がこの音はいい、と確信できる耳も、よく養っていってほしいのだ。
そして、君は、音楽史の知識や今の社会についての君なりの見方を持ったうえで、どこの何を狙うのか、考えてほしい。
貧乏でも専門教育を受けていなくても関係ない。
そういう劣悪な環境から、むしろパワフルな新しいジャンルは何度も生まれているのだ。
今「いい」とされているものは、すでに新しくはないのだ。
今売れている音楽を、今から追いかけても、遅い。
「いい」とされているものがないほど、新しいものが見つかりやすいのかもしれない。
全く流行っていない、でも自分自身が心底面白いと確信できるジャンルを狙ったり、あるいは創始してもいいし、時代の波に乗り遅れないようについていくのもいいだろう。
少なくても、「なんとなく流行っている方向に進みだす」よりは全然いい。
君は送り手なのだ。
君は君だけの価値観で音の良し悪しを判断してほしいのだ。
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